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ダーク・イーター  作者: loveclock
解明編
6/19

夜の淵 ②

 銃声は止み、ジャングルには再び虫の鳴き声が満ちていた。

 耳に妙な音が届いたのはすぐのことだった。周囲の演奏に遠慮するようにわずかに立ててはいるが、それが却って気にかかってしまう。

 湿り気のある音だ。行軍中に泥濘にはまった時のことを思い出す。確かに底はあるにも関わらず、動くほどに呑まれていくような感覚に嫌な気分になった。後で無様に転び、泥まみれになったショーンを隊の皆で笑っていた。

 俺は手をついて、ゆっくりと体を起こす。次第に広がる夜の密林に立つ人の影はない。草木をかき分けるように人工物の影が転がっているばかりだった。

 闇夜に何かが動いた。ちょうど死体になった兵士の横のあたりだ。布擦れに合わせて金属が互いにぶつかり音を立てた。誰かが兵士の装備を漁っている。

 体を起こしてのち、腰を落とした。姿勢を崩さす、音のもとへと足を運ぶ。

 ひと息に助走をつけると肩を入れて跳んだ。衝撃が体に響いて、影にぶつかった手応えを得た。そいつが呻き声を上げた。すかさず両腕を影の体に回し、そのまま押し倒すと、跨って体重をかけた。すばやく両腕を戻し影の首の上で交差させた。

「お前は」 

 連れられていたベトナム人だった。首元を抑えられながらも必死の形相で俺を睨む。食いしばった歯の隙間から漏れる荒い息がベトナム人の意思の強さを表す。力を抜けばあっという間に押し返される。

 鋭い視線を突き刺してくるベトナム人を抑えつつ、傍にあった兵士の腰のあたりを探る。握り馴れた感触があって、素早く拳銃をホルスターから抜くと、ベトナム人の顔に突きつけた。

「油断も隙もねえな」

 上下関係がはっきりしたのか、ベトナム人の体から緊張が解けた。俺は拳銃を構えたまま立ち上がり、ベトナム人にも同じことを促す。

 手探りで死んだ兵士の背嚢から縄を頂戴し、ナイフで長さを調整する。ベトナム人の両手首と腰に縄を回している間も、抵抗の意思を無くしたようにベトナム人はおとなしい。巻き終えると手綱のように端っこを持った。

 まずは基地に帰ることを考えた。兵士たちをまとめていた巨躯の男が言うには、南に6マイルのあたりに軍の基地があるらしい。暗い密林の中、ベトナム人を連れまわすことに抵抗はあったが、命を狙われないとも限らない。

 その巨躯の男も地面に吸われるように消えてしまった。

 歩き出そうとした足を思考が止めた。ベトナム人の相手をするのに必死でまったく意識から外れていた。いったい誰が兵士を地面に引っ張った。

 確かに地面に吸いこまれるように消えた兵士を見ていた。それほど多い数でもなかったが、それが原因で十数人の兵士が瞬く間に全滅したのだ。結果として有効打には違いない。

「お前らか。お前ら、ベトナム人の仕業か」

 突然、吠えた俺にベトナム人は驚いた。勢いのあまり引き金に指をかけていた。

 ベトナム人は必死に首を振る。俺の指が震える。

 すぐそばで嘔吐く声が轟いた。十分に咀嚼できなかったものが食道に絡まって苦しみに変化し、喉の奥に絡まった物を掴んで、ようやく吐き出したような苦い声だった。

 あの湿り気のある音だ。誰かが吐いている。大量の水が地面に跳ねる音が耳に届く。思わず、こちらまで催してきそうになる。

 ベトナム人の相手をしていたせいで、異音のことを意識から外していた。そのベトナム人も、さっきまでの様子が嘘のように震えている。許しを乞うように両手を合わせて掲げ、俺を見る。

 手綱を握りながら、周囲を伺う。蠢く影を捉えた。

「動くな」

 拳銃を素早く構える。俺の声に反応したのか、影が動きを止めた。

「そのままだ。こっちには銃がある。妙な動きをしてみろ、すぐに弾を撃ち込んでやる」

 影に近づこうとして、手綱が急に重くなる。振り返るとベトナム人が体重をかけていた。

「馬鹿野郎、余計なことをするな」

「ぐぶっぐぶっぐぶぶ」

 影が笑った。拳銃を構えなおす。

「お前、何者だ。アメリカ人か。それともー」

「われわれは、あめりか、でもあるし、そうでもない。ぐぶっ」

 影がこちらに近づいてくる。

 黒い塊だ。闇夜のそれとは明らかに異質な黒い色を持っている。ラグビーボールのような体から、昆虫の脚にも似たものを数本生やす。おそらく腕か脚の役割を持っているのだろう。

「お前はいったい」

「われわれは、ぐぶっ、われわれだ」

 気絶する直前のニックの台詞が脳裏に甦る。

「こっちから西側にはまだ、ゲリラ共も展開していないらしいぜ」

 違う。展開できなかったのだ。ジャングルに未知の脅威があることをゲリラ共は知っていた。このベトナム人も、おそらく怪物と接触したのだろう。だから巨躯の男と兵士たちは、このベトナム人を連れて夜の密林にいたのだ。

 怪物の動きは早かった。俺が拳銃の引き金に指をかけた瞬間、兵士の死体を掴み自身の前方にかざした。指の動きを止められず、弾倉が空になるまで引き金を引き続けた。

 火薬の匂いが辺りに漂う。背後でベトナム人が消え入りそうな声で、呪文のような早口を繰り返している。虫の声は消えていた。

「ぐぶっぐぶっ」と闇が笑った。

 俺は近くの遺体に手を伸ばす。追加の弾倉か拳銃を求めたが、それよりも重いものを感じた。銃把に指を滑り込ませると自動小銃を拾い上げる。訓練で染みついた動きが、ほとんど無意識に発射手順を完了させた。

 照準器を覗きこみ、力を抜いて引き金を引く。

 闇に光が弾ける。それが連続する。銃口から吹いた発火炎に照らされて、弾丸を受け暴れだした怪物の姿が、映写機のように夜に映し出される。

 気付いたときには引き金に重みがなくなっていた。弾丸を使い切り、空になった弾倉を捨てると、また遺体に探りを入れる。

「ごほっ、ごふっ」

 怪物が咽た。ほとんど反応で、自動小銃を構えたが弾はない。それはむこうも分かっているだろう。

「く、くるしい。たくさんのわたしが、しんだ。わたしたちは、おまえをゆるさない。」

「お前はなんだ」

「わた、わたしたちは、おまえをたべるものだ」

 闇から何かが飛んできた。突然のことに避けることはできず、膝のあたりにそれを受けた。湿っていて、重みがある。液体だと分かってあわててズボンを脱いだ。どこかで嗅いだことのある臭いが鼻を衝く。

 前方で草木をかき分ける音がする。「動くな」と叫び、引き金を引くが空の音がむなしく、やがて音はジャングルの奥に消えていった。

 今しがたの出来後に思わず、腰から落ちた。人間相手に戦争をしているはずが、なんで怪物を相手に銃を乱射していたのだろうか。これが夢であったなら、何かしらの病気だなと自嘲してしまう。

 いつまでも下着姿でいるわけにもいかず、脱いだズボンの代わりにと兵士の遺体からズボンを拝借した。ついでに背嚢を漁り懐中電灯も借りた。

 周囲を照らす。人工の明かりに心が緩みつつも、照らされた地面の様子にすぐさま、その安心感は消え去った。

 どこもかしこも遺体だらけだった。恐怖に慄いたまま、目を見開き息絶えた死体。両手を虚空に伸ばし、何かを掴もうとして硬直したものもある。夢であってくれと思ったがそうもいかないらしい。

 妙な呪文が聞こえ、それはどうやらベトナム語らしく、そこでベトナム人がいたことを思い出した。

「おい、チャーリー。どこにいる」

 ベトナム人を蔑称で呼ぶ。わけのわからない呪文は相変わらずだが、すぐにでも消え去りそうにか細い。あの呪文で怪物を呼んでいるんじゃないのかと、勘ぐってしまいそうだ。

 文明の利器はすばらしく、チャーリーはすぐに見つかった。両足を抱えてうずくまっていた。目を閉じ、必死に口元を動かしている。

「おい、チャー」

 隣に下着姿の下半身があった。脚が他の兵士と比べて一回り太い。肉というよりも岩の塊のようで、丁度上半身が隠れているが、誰の遺体かは想像できた。

「あの野郎も、死んだのか」

 情けない声を上げて地面に吸いこまれた巨躯の男も、他の兵士同様に死んでいたのだろう。あの威圧的な態度の糞野郎が、どんな泣き顔でくたばかったか、顔を見てやろうと明かりを照らす。

 その顔が無かった。正確に言えば、上半身と呼べるものが丸々無くなっている。腰から下だけが地面に転がっていた。腰のあたりを覆うようにべったりと黒い液体が張り付いていた。

 近づくと刺すような臭いが漂った。さっき怪物にかけられた液体と同じ臭いだ。

 怪物が嘔吐していたことを思い出す。

「喰っていたのか」

 嘔吐していたのは、巨躯の男が余りに大き過ぎたからだろう。だから一度吐き戻し、時間をかけて上半身だけを頂いたのか。

 横にいたチャーリーの肩を叩くと、文字通り飛びあがった。

「あれはおまえらのところの兵器か」

 互いの言葉は知らないが、意味位なら通るだろう。ジェスチャーを交えたがチャーリーも知らないようで、チャーリーは激しく首を振った。

 チャーリーが俺から懐中電灯を奪った。両手を結ばれた格好ではあるが、器用に裾を捲って自身のすねにライトを当てる。何かが巻き付いた跡があって、薄黒く跡が残っている。チャーリーは指先でなぞる。 粘液が指に纏わりついていた。

 

 ダイナーの店内はあまり暖房が効いていない。そのせいか座っている客も、みな厚着のままだ。オリバーと武田は入り口近くのテーブル席にむかいあって座っていた。

 店の奥のキッチンからウェイトレスが注文を取りに来た。時間も遅いせいか、あるいは低い賃金による不満か、あからさまにやる気のない態度に武田は苦笑した。

「注文は」

「フライドポテト。大盛で」

「僕はコーヒーを」

 注文をメモに走り書きウェイトレスは下がって行く。

「本当に怪物と出会っていたのですね」

 オリバーは頷くだけだった。

「怪物と戦ったんですか」

「そう急かさないでくれ」

 ウェイトレスが大皿に乗ったフライドポテトを持ってきた。お盆には武田が頼んだコーヒーも乗っていたが、大皿の大きさに比べると、おもちゃのミニチュアように見える。ウェイトレスが雑に大皿を置くので、テーブルの上にフライドポテトが跳ねて落ちた。

「俺は当時、大学生で、まあ若気の至りというやつだな。あるいは正義感かもしれん。派兵に参加してな、ベトナムに放り込まれた」

「後悔を」武田は思わず口にしていた。

「そんなものは数えきれないくらいさ。生きていたら大なり小なり後悔を重ねていく。戦争は大きい方か。上手に付き合っていくしかないのだろうと思うよ」

「それからは」

「現地で訓練だよ。糞みたいな上官にしごかれてな。そんでいくつか戦地を生き延びた。まあ、あの時の経験があったからこそ、こうして話が出来るんだから、感謝しなくちゃな。」

 オリバーはテーブルの上に落ちたフライドポテトを拾って口に入れた。つられて武田もコーヒーを口につけた。

「俺には、ショーンとニックっていう友人がいた。そいつらと一緒に戦場の中心地へ向かっていた途中の事だった」


「オリバー」

 暑さにうんざりして横になっていると外から声をかけられた。日陰に入れば大分マシだと皆は言うが、それは嘘だろうと薄目を開ける。つらい毎日をそう言い聞かせて耐えているに違いない。重い腰を上げて、寝ていた宿舎の入り口に向かう。

「ようやく、お目覚めかい」

 宿舎の入り口に立つ兵士は俺の姿を見ると軽口を叩くが、それに答える余力も惜しい。

「何の用だ」と尋ねると、兵士は外に見える粗末な檻を指し示した。檻のそばに誰か立っている。

 宿舎とは名ばかりの掘っ立て小屋の外に出ると、猛烈な日差しが肌を焼いた。歩いているだけで倒れそうになる。あの晩の出来事が想像以上に体に堪えていたのかもしれない。

「何か用か」

 声をかけながら気だるげな足取りで檻に近づく。バンダナを巻いて長い髪を後ろに流した兵士が、こちらをちらりと見た。

 檻といっても、どちらかといえば囲いに近いものだった。なんとか実用に耐えうる枝を集め、ありあまりの縄でそれらを等間隔に縛ると、枝を柱に見立てて円状に広げた。一人分がせいぜい横になれる空間があればいい程度の代物で、要するにチャーリーを囲っておくためのものだった。

 中のチャーリーは、両手足は自由だが、腰ひもを檻の柱に括り付けられている。巨躯の男が言っていたベースキャンプに来て三日経つが、怯えた態度がさらに顕著になったようだ。

「他の連中がこいつを、どうにかしてくれってよ。一晩中、何か呟いていて気味が悪いって言ってるぜ」

 バンダナの兵士が檻を蹴った。チャーリーが身を震わせる。

「捕虜だろ。返還する義務がある」

「じゃあ、おまえやってくれよ」

「じゃあって」

「やらないなら、処分しとけって。あまり長い間、置いておくと死体になっちまうぞ」

 バンダナの兵士はそう言い残し、檻を離れる。背中を追っていくと待機していた別の部隊と合流し密林に消えていった。

 粗末な檻の中のチャーリーを見ると目が合った。隈が酷い。チャーリーはすぐに目を伏せ、狭い檻の中で横になった。怪物から逃げ延びても、いずれは敵軍に殺されてしまうのかと思うと、どうして生きているのかと考えてしまう。

「オリバー、上官様が呼んでいるぞ」ベースキャンプの小高い丘の上からスキンヘッドの兵士が見下ろす。

 よく呼ばれる日だなと思った。

 唯一、居住空間と呼べる上官殿の住まいに足をむける。ベースキャンプは四方をジャングルに囲まれていた。戦地前進のためにベトナム軍から陣地を奪う度に、こうしてジャングルを切り開いてベースキャンプとして接収するが、ここは、まだ日にちも浅いところだった。

 上官の住まいと、兵士たちの眠る掘っ立て小屋。それとささやかな武器庫と糧秣庫。ヘリポートの予定地は今も兵士たちが草を刈っていた。それらを囲うようにさらに、外周を塹壕が掘られ、土嚢が積みあがっている。

 捕虜を収容する小屋も無く、夜も明けたころに突然チャーリーと一緒に現れた俺を、ベースキャンプの住人は心よく思っていなかったに違いない。

 なだらかな起伏を上って行くと、上官の住まいが見える。外見は兵士の眠る小屋と変わりはないが、内装はしっかりしていた。ベッドもあるし、食事を取るための机もある。

 小屋の前に立ちノックをする。「入りたまえ」と中から声がした。

「君に帰還命令が出た」

 俺の姿を見るなり、上官殿は口を開いた。

「自分は、おかしくなったのでしょうか」あれが現実のこととは思えない。

「私はそう考えているがね」無表情に言い放つ。

 上官殿は一枚の書類を手渡してきた。計画書のようだ。

「明日、兵士と物資を補充するためのチヌークが来る。君はそれに乗って帰りたまえ」

「あのベトナム人はどうなりますか」

「運が良ければ、捕虜交換に出されるだろう」

「自分が残ることは」

「残念だが、なにやら上の方が騒がしくてな。どうやら君の報告書を読んだらしいが」

 上官殿はそこで言葉尻を切った。

「とにかく、今晩はゆっくり休みたまえ。久しぶりに国に帰れるんだ、もっと喜んだらどうだ。」

 俺はひじを曲げて指先までを一直線にし、手を額に掲げた。ゆっくりと上官もそれに続く。踵を返し部屋を出た。

 肌を焦がすように照り付ける日差しを手でひさしを作って遮る。見上げれば青い空に浮かぶ雲が島をつくっていた。暑さを覗けば穏やかな昼間だった。


 時間が経つにつれてダイナー店内にいたお客の数は減っていった。そのせいかどうかは分からないが、店内はさっきよりも冷え込んでいるように思える。武田が手を伸ばしてコーヒーカップをとっても、すっかり冷めきっていた。

 武田の肩は僅かに震えていた。寒さのせいではない、この感覚を武田は覚えている。大きな事件を追い、それを明るみに出す度に心が燃え上がり、体が震えた。

 メモを取る手が震える。ボイスレコーダーが録音されているかを今一度確認した。新米の記者だったころ、よくした失敗だった。

「何度でも話してやるよ」

 武田の様子を見て、オリバーが笑った。この老人が笑うのを初めてみた気がする。

大皿に乗ったフライドポテトは半分まで減っていた。オリバーの好意にあやかって、少しばかり頂いたが、油の濃さと一本の太さは違うものの、味付けについては日本の方が好みだった。

「それで、翌日のヘリコプターに乗って帰ったということですか」

「いや、話はまだ続く」

 オリバーはフライドポテトをつまんだ。一瞬、武田の目にそれが指の骨に見えた。ぎょっとして目をこすると、黄色の細長い芋に戻っていた。

「巨体の男の言うベースキャンプに到着して三日間、俺にとっても休養だったし、それはあいつにとっても同じだったのさ」

 オリバーはひと息入れた。空気が変わり、武田の肌がひりついた。

「あいつが来たのは、それから数時間後だった」


 瞼が軽くなっていた。心なしか体も軽い。苦も無く体を起こすことができた。

 小屋に入る日差しは弱くなっていた。小屋の壁をくり抜いただけの窓から、密林のむこうに姿を隠していく太陽が見える。上官との会話の後に、宿舎に戻ってひと眠りしていたことを思い出した。

 眠っていたのは、やはり体が参っていたか、あるいは夜の出来事に心が未だにとらわれているせいか。上官の言う通り、本国に帰るべきなのだろうか。

「あいつ、またやっているよ」

 小屋の中にいた兵士が呟いた。二の腕に骸骨をあしらった刺青が特徴的だ。手元を忙しくなく動かしいる。分解された自動小銃が見え、銃器の掃除をしていたのだと分かった。

 意識を小屋の外にむければ、なるほどチャーリーがまた呪文を唱え始めていた。

「何だろうな。意味のある言葉なのか」なんともなしに口を開いた。

「ありゃ、まじないだよ。魔よけさ」

 言葉を失う。俺の様子を見て、彼が不思議そうに顔を傾げるが、また手を動かし始めた。

「悪魔がいるって信じているのか」

 誰に言ったわけでもないが、彼はそれを拾ってくれた。

「まあ、いるんじゃないのか。やばいぜ、この国は」ケラケラと彼は笑った。

 冗談のつもりなのだろうが、俺にはそう受け取ることができない。

 チャーリーと話をすべきだと思った。言葉は通じなくとも、どうにか手段はあるはずだ。宿舎の入り口に立ち、粗悪な檻を視界に入れた。中でチャーリーの横になっているのがわかった。

 宿舎から出ると、体を風が通りぬけて涼しさを感じた。風を追って顔を上げれば、橙色と淡い水色の混ざり合った空に鳥の影が羽ばたいていた。濁声にも近い鳴き声がいくつも響いた。日は陰りはじめ広大な密林の、その姿も影に落ちていく。

 檻に顔を向ければ、俺よりも先に檻に近づいている集団がある。中の一人に見覚えがあった。バンダナの兵士だ。自動小銃を肩に担いでいる。昼間の間、密林に出ていた兵士たちが戻ってきていた。

 嫌な予感がするとは思った。俺は駆け足気味になる。集団になれば人は変わる。兵士になれば、なおさらだ。戦地を転々とする間、私刑にあった捕虜たちを散々見てきた。

 集団はチャーリーの檻をぐるりと囲う。暑さとは違う妙な熱気が彼らから漂う。周囲を見回すが、他の兵士たちの顔は明後日の方向を向いていた。それを責める権利は無い。同じこと俺もしてきたのだ。悲鳴を上げる捕虜の声を聞くことはしなかった。

「よう、何してんだよ。檻の周りで」

 声をかけると、集団の視線が一斉にこちらをむいた。肩に力が入る。中のチャーリーは身を屈めじっと俯いている。檻が狭いから、という訳ではないだろう。

「ちょっと見ていただけさ」

 バンダナの兵士が軍靴の先端で枝の柱を小突いた。乾いた音がして枝が折れた。チャーリーは微塵も動かない。

「本当に、それだけか」

「おいおい、どういう意味だよ。いや、そうか横取りされると思ってのか」

 バンダナの兵士が言うや否や集団が笑いだした。腹を抱えている者までいる。

「そりゃ悪かったな。まあ、せいぜい大事にしてやれよ。相棒なんだろう」

 バンダナの兵士がにやけ面を浮かべながら近づく。すれ違いざま肩を叩いた。ふっと何らかの臭いが鼻に残る。集団も彼の後についていく。最後に髭のたくましい兵士が俺に顔を近づける。何かを噛むように口を動かす。にっと笑って歯の隙間から噛み煙草が見えた。

「なんなら、俺が相手をしてやろうか」

 熱せられた鉄芯を頭に突っ込まれたようだった。瞬間的に沸騰した俺の頭から湧き出る血が心臓を経由し、腕を通り指へと到達する。熱い血潮が拳を握り込み、その形のまま右拳を突き出すが、髭の兵士は左側に華麗に体重をかけて避ける。どこから放たれたのか分からないが、髭の兵士が放ったストレートが顎を打った。

 頭蓋を揺らされ立っていられなくなった俺は、糸の切れた人形のように崩れた。ぼやけていく奴らの後ろ姿から笑い声が聞こえ、空になりかけの意識に滑り込む。

 チャーリーが不安げなまなざしを向ける中、チャンスがあれば背後から奴らを撃ってやろうと考えていた。それが脳からの最後の信号で意識は一度途絶える。


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