第一部 主は住所不定
剣聖ロス・シャフトは謎の多い人物である。
彼が初めて公の記録に現れたのは、今から12年前まで遡る。
帝都にある冒険者ギルドで、ロスという名の一人の少年が冒険者登録を行った記録が最初である。
冒険者登録をする以前について、本人は詳しく語ろうとしないため、両親や親族に関する情報は元より、出身地すら不明である。
帝都スラム街の孤児の出であるという者もいれば、食事の好みなどから東方の遊牧民の出身ではないかと主張する者もいるが、本人が否定も肯定もしないため本当の所はわからない。
ギルドに登録した当初はいくつかのパーティーに所属した記録が残っているものの、固定パーティーを組むに至らなかったようで、次第にソロでの活動がメインとなっていく。
魔物討伐系の依頼に関して、非常に高い依頼成功率を記録しており、しばしばギルドからの指名依頼も達成している。ただし、その半面で依頼主や協力者とのトラブルが少なからず記録されている。
彼の名が一躍有名になったのは、ポロルの争乱という事件である。
冒険者ギルドでオーガ討伐の依頼を受けて帝都南方にあるポロル村という小集落を訪れたロスは、たまたま盗賊団によるポロル村襲撃に居合わせることとなった。
村を襲った盗賊はその数36名。そのことごとくを討伐したロスは、そのまま盗賊団のアジトに乗り込み拠点に残っていた盗賊12名を蹂躙した。
この事件は、罪なき村人達はロスによって救われ、めでたしめでたし、とはならなかった。盗賊団のアジトには、盗賊団の運営に隣の領地のフェラーリス子爵が関わっていた証拠が、しっかりと残されていたのである。
その証拠隠滅を計るために、フェラーリス子爵の私兵およそ200騎がポロル村に迫る中、ロスは村から単騎で出撃し、村に被害を出すことなく見事にフェラーリス子爵の私兵達を追い払うことに成功した......。
と、あらすじとしてはそんな話が記載された書類の束を、僕は机の上に放り投げた。
辛抱しながら読みすすめてはみたのだが、ついにアホらしい気持ちが抑えきれなくなったのだ。
どうやら、この文章を書いた者は、記録をおとき噺か何かだとを履き違えているらしい。
そもそも36名の盗賊を一人で討伐した所で既に、突っ込みどころ満載である。実戦経験が1度でもある者であれば、この時点で眉唾な話であると考えるだろう。相手は盗賊とはいえ武装した集団である。何十人も相手取るというのは並大抵のことではない。少数でも腕の立つ味方がいる状況であれば、立ち回りにより寡兵でも勝利を収める道はあるだろうが、一人だけではそれも望めない。
更に連戦で拠点防衛している盗賊12名に、極めつけは貴族の私兵200騎である。
荒唐無稽な話であると僕は断言する。
僕はこれまで、戦場で100人斬りを達成したとのたまう輩に2度ほど遭遇したことがあるが、いざ手合わせしてみると二人とも10合も打ち合わぬうちに勝負がついた。僕の完封勝利である。見掛け倒しの世間知らずほど、その手の戯言を言いたがる。
僕でも実際の戦場でたった一人で20人以上の首級を上げようとしたら、死力を尽くすことになるだろうことは想像に難くない。少なくとも手足の1本位は賭けねばならないだろう。そういった現実をきちんと認識できない者は、戦場で生き残ることは出来ないだろう。
だが、僕の目の前の机上に投げられ紙束の続きには、敵兵の数が味方の10倍だ100倍だといった数字が乱舞し、中には1,000の兵士を一人で蹴散らしたなどという、神話と見紛う与太話がまことしやかに書かれていたりもする。
それでは、ロス・シャフトは、ただのほら吹きだろうか。それとも病的なまでの妄想癖の持ち主だろうか。はたまた伝説的な腕前の詐欺師であろうか。
いいや、きっとどれも違うだろう。
僕の読んでいた書類は我が母国レダーシアン帝国のれっきとした公文書なのである。ではこの突拍子もない話の数々が真実なのかと言われれば、それもやはり違うだろう。
僕が考えるに、剣聖ロス・シャフトなる存在は、国によって作られた英雄なのではなかろうか。
帝国は、他国に対して軍事的に優位に立つための一つの装置として、英雄を作り上げたのではないだろうか。百戦百勝の無敗の英雄が戦場に立つだけで、味方の士気は上がり敵の戦意は挫かれる。
だが、完全なほら話を人に信じさせる事は難しい。もしかしたら実際にロス・シャフトは、一騎打ちの戦いでは無類の強さを誇る武術の達人であるかもしれない。そういった達人に、腕の立つ従士を10人でも付けたらどうだろうか。彼らの上げる首級も当然ロス・シャフトの手柄となる。戦場で20人の首級を上げられる......例えば僕のような従士が10人いて、さらにそれらが高度に連携して戦うのならば、ロス・シャフトの100人斬りはぐっと現実的な数字となる。
皇帝陛下の息がかかった騎士育成施設、つい先日初の卒業生を輩出した僕の母校のようなところを出ても、いきなり騎士に叙勲される訳ではない。騎士になるには、やはりきちんと正騎士の従士として下積みを経験しなければならないのだ。
ライニンゲン騎士学校は、端的に言えば、優秀な騎士の従士が務まるような優秀な従士を育成するための学校だ。卒業した暁には、帝国が誇るエリート騎士達の従士の職が斡旋される。もちろん優秀な騎士の下で従士として数年の下積みを勤めあげれば、高確率で正騎士への叙勲が受けられる。
騎士と言っても当然ピンからキリまでいる訳で、地方の貧乏騎士の下についてしまった日には、満足な給金も貰えず、何年経っても正騎士に足るような装備を整えられずに万年准騎士止まりなどということも起こりえるのだ。エリート騎士の従士の地位は、騎士になるための一番の近道であり、特にコネのようなものがない騎士志望者にしてみれば、喉から手が出るほど欲しいものなのである。
また、騎士側としても使えるか使えないかわからない者を、従士として育てるよりは、既に基礎をみっちり叩き込まれている者が居るのであれば、そちらの方を従士として選択したい。国の機関から、従士として必要な水準の知識と能力の保持が、保証されている者がいるのであれば、願ったりかなったりである。
ライニンゲン騎士学校は、騎士を目指す者達にも、正騎士達にも、需要のある機関であることは間違いがない。そして、それらを隠れ蓑にして、仮称『英雄システム』に必要な、達人レベルの従士候補も効率的・定期定期に調達ができる......。
騎士宿舎内にあてがわれた、従士が使うには快適すぎる私室の天井を眺めながら、僕はそんなことをとりとめもなく考えていた。最初は面白半分の思考実験のようなつもりだったのだが、もしかしたらこの仮称『英雄システム』は、意外と的はずれな考えでもないかもしれない。
仮に、この『英雄システム』が真実であり、この度僕がこのシステムを構築するための従士という名のパーツとして選ばれたのだとしたら、どうだろうか。
「別に悪くはない。」
僕は思わず声に出して、そう呟いていた。
『英雄システム』の従士に選ばれるということは、要するにその国で最も優秀な従士、つまりは最優秀の騎士候補者ということなのだ。当然、次の『英雄』候補者であるとも言える。
僕は知らぬ間に、剣聖マーカス・ズップリン誕生への第一歩を踏み出してしまったのかもしれない。
まあ、僕の思考実験の真偽は、当の本人であるロス・シャフトと対面できれば、おのずと判明するものであろう。ではなぜそれをせずに、自室でウダウダとしているかといえば、従士であるにもかかわらず、現在僕は主に会いたくても会えない状況なのである。
僕の従士としての初仕事は、剣聖ロス・シャフトを探し出せ、という不可解なものであった。
そう、僕の主は、もうかれこれ2週間ほど、絶賛行方不明中とのことなのである。




