プロローグ
僕の人生は、貧乏貴族の四男坊として生まれたにしては、なかなか捨てたもんじゃなかったのではないかと、我ながら思ったりもする。
家督を継ぐのは原則長男。
長男が死んだときの保険としての次男。
万が一、長男と次男が修復不可能なほどアレな感じに仕上がった場合の、最終兵器三男。
そして、両親が酔っぱらった拍子に、色々盛り上がってうっかりできちゃった四男坊が、何を隠そう僕である。
いつまでも仲がよろしいですなぁなどと、下ネタ的な空気を纏った祝福を受け、一通り恥ずかしい思いを味わされたものの、なんだかんだいって歳がいってから出来た子供というのも悪くないものだと半分本気で嘯いていた両親は、善人と言って差し支えないパーソナリティを持っていたといって良いだろう。
そんな感じで満を持してこの世に生誕した僕は、両親や年の離れた兄達にぞんざいに可愛がられて育った。
幼子のころから「お前は、ちゃんと手に職をつけなければならん」と、現実に即したアドバイスを末っ子にし続けた家族たちの教育方針は、若干夢は足りなかったものの僕の境遇に対して的確だったとも付け加えておこう。
なんせ我が家では、最終兵器はもちろん保険さえも使われることなく、長男が無難に家督を継ぐことがほぼ確定しているのだから。
そんこんなもあって、手に付けさせる職の候補として、うちの家族が最初に僕にあてがってみたものは剣術だった。
いや、ぶっちゃけてしまうと次男も三男も手に付ける職として剣術をあてがわれており、僕だけ特別だったわけではない。
何なら家督を継ぐ予定の長男も剣術大好きだった。
そもそも親父も地方官吏の癖に剣術道場に入り浸ってた。
剣術一択というか、剣術なら父でも兄達でも教えられるから教育コストがリーズナブルだとか、本とか楽器と違って木の棒はそこら辺に落ちてるとか、四男坊の教育に金を使える余裕なんてないとか、とりあえずウダウダ言ってないで棒振っとけとか、そういう感じであったことを正直にここに記そう。
だが、そんな家に生まれて、僕は幸運だった。
特に適性をみられた訳じゃなかったけど、どうやら僕の適正に剣術はこの上なく合っていた。
兄達も適性がなかった訳ではない。
二番目の兄は底辺ながら帝都で衛士の職を得ることが出来たし、このままそつなく過ごせばそこで出世も望めるだろう。三番目の兄は冒険者として喰いっぱぐれない程度には稼げているらしい。
我がズップリン家の血筋には、剣術の才があるとまでは言わないものの、少なくとも性分にはあってるのは確かなようだ。
だが、そんな中でもなんと言っても出世頭は、この僕だろう。
歩けるようになったのと同時に木の棒を持たされた僕は、言葉を覚えるよりも父が使っている剣術の流派の基本型を覚える方が早かったそうだ。そして9歳の誕生日を迎える頃には、父にも兄達にも負けない程の強さに成長していた。
我がことながら、天才と言っていいんじゃないだろうか。
ぶっちゃけ周りからも天才といわれたし、女の子にもモテた。
だいたい男が腕っぷしを鍛える目的なんて、半分以上がモテたいがためだといっても過言ではないが、そういう意味で僕は十全に目的を達成した。
そんな僕の評判を聞いた帝都に新設された騎士育成施設が、実績作りのために僕を特待生で迎え入れたのは、僕が11歳の時のことだ。
授業料免除、寮は伯爵家以上の子息が入るVIPエリアの部屋が用意され、衣食住のすべてが保証された。
当然、入学後に実績を上げることが出来なければ、そういった特別待遇も続かなかっただろうが、ただまぁ僕は天才であったから、在学中一度たりとも首席の地位を他者に譲ることはなかった。
当然努力もした。
ただ、人の半分の努力で人の倍の成果が出てしまう。
天才だから。
元宮廷騎士や辺境たたき上げの実力派講師陣も、すぐに僕に敵わなくなってしまった。
帝都内でも僕の評判は轟きに轟き、僕目当てで宮廷騎士団の団長が視察に来た際には、卒業後はぜひウチにとその場でスカウトまで受けたのだ。まだ騎士の叙勲も受けていないひよっこに、宮廷騎士団側から声をかけるなんて、もちろんそんな事は異例中の異例だ。
卒業式には、なんと皇帝陛下がご臨席されていた。
ただ、当然これは僕が卒業するから皇帝陛下がお起こしになられた訳ではない。
この騎士育成施設は皇帝陛下の肝いりで創設されたものらしい。
どうやら結構ちゃんとした学校だったようだ。
首席である僕は、有難くも皇帝陛下よりお言葉を授かることができた。
誉である。
その昔、ズップリン家が男爵位を賜って以来の栄誉である。
「ライニンゲン騎士学校、第一期卒業生首席マーカス・ズップリンよ。卿の努力を称え、剣聖ロス・シャフトの従士に任ずる。」
この日この時をもって、僕の順風満帆な人生は終わりを告げた。
そして、白々しく周囲に響き渡るファンファーレと共に、呪われた人生が幕を開けた。




