町長の息子
「…………」
「…………?」
固まったままのリルハを、グレンが少し不審げに見下ろす。その視線を受けてはっと我に返ったリルハは、慌てて挨拶をした。
「はっじめまして!わたしっ、街の近くの牧場に引っ越してきたリルハと申しますっ!これからお世話になりますのでっ、町長さんにご挨拶をっと思いまして、参りましたっ!!よろしくお願いしますっ!」
………終わった…。初対面の挨拶が…。力んで息も絶え絶えだなんて…。
恥ずかしすぎてしゃがみこんでしまいたいリルハを前に、たっぷり5秒の沈黙の後、グレンは返事をしてくれた。
「………あぁ、君がリルハか。話は聞いているよ。僕はグレン。この街の町長、デイビット・ゲイシーの息子だ。父の補佐の仕事をしている。今後も諸々の手続き等、何かと関わることも多いだろう。よろしく頼む。」
流れるような挨拶の後、グレンは小さく微笑んでリルハに手を差し出してくれる。
「かぁっこいい…!!」
魅入られたように手を出して握手をしながら、リルハは思った。
グレンの所作はとてもスマートで、正に仕事の出来そうなクール美男子そのもの。
リルハの兄も穏やかで知的な雰囲気でなかなか格好良い人物のはずだが、グレンのようなシャープな雰囲気の男の人には慣れていないので、リルハは激しく動揺していた。
「あっりがとうございます!あの、これ、お近づきの印に、良かったらどうぞ!」
思わず、街への道中で採集していた水色の花を差し出す。自分の瞳に似た色の花びらが愛しく感じて、部屋に飾ろうと思って摘んでいたのだ。
「きれいな花だな。ありがとう。もらっておくよ。」
瞳を緩めて花を受け取ってくれたグレンを思わず凝視しながら、リルハは勢いよく頭を下げる。
「それではっ、これで失礼させていただきますっ!お父様にもよろしくお伝えくださいませっ!」
自分でも何を言っているかよく分からなくなりながら、何とか挨拶を終えたリルハは、カックンカックンとクルミ割り人形のようなぎこちない動きで町長のお屋敷を後にした。
「…グレンさんの破壊力が凄すぎる…!分かってたのに、物凄く格好良いって分かってたはずなのに…!!急に会っちゃったからいけないんだ!心の準備が出来てたらもっと普通に出来たはずなのに…!しかも私、勢い余ってあげるつもりのなかった花まで渡しちゃったよ!?グレンさんは寒色系の花が好きだから、好感度上がっちゃうからむやみに渡しちゃダメだったのにぃ…!!!
恐るべしグレンさんの魅力!気付いたら好感度アップの行動をとってしまうなんて…。こんなんじゃダメよリルハ!あなたはこの街に何しにきたの!牧場でしょ!うっかり格好良い人に動揺してる場合じゃないでしょうー!!
今は牧場の整備と街の人達に馴染む努力が大事!格好良い人の特別扱いダメ!絶対!!
だいたいグレンさんには可愛い幼なじみの花嫁候補がいるんだから!邪魔はしません!!!これ絶対!!!」
心の中で早口に捲し立てたリルハは、自分の不甲斐なさに力が抜けて、広場の噴水の縁に座り込んだ。
こんなはずじゃなかったのだ。
昨夜の夢を見て決めたのだ。この世界に夢のゲームと同じ人達がいたとしても、ここは自分にとっての現実で、ゲームの世界ではないのだから、自分の都合の良いように人を振り回したりしないと。
みんな自分がここに来る前からそれぞれの生活があって、それぞれの人生を歩んでいるんだから、その邪魔をしてはいけないと。
ゲームでは牧場に引っ越してきた主人公が好きな登場人物を選んで仲を深めて結婚することが出来る。
でもそれぞれの登場人物にはパートナーとなるべき相手が既にいて、主人公に選ばれなければ元々のパートナーと結婚して子供も生まれて幸せに暮らすのだ。
リルハはその未来を知っているからこそ、みんなの邪魔は絶対にしたくなかった。
生まれてくるはずの子供たちに会えなくなるなんて絶対に嫌だし、自分のせいでパートナーの女性が独身のままになってしまうのも、人の幸せを奪うみたいで耐えられなかった。
だから決めたのだ。自分は夢だった牧場経営をまずは精一杯頑張って、いつか自分もパートナーを得たいと思ったら、その時はゲームの主要人物ではない人を探そうと。
この街は独身の若者は多くないようだし、登場人物を覗いてどんな人がいるのかはまだ全然分からないけれど、少なくとも登場人物に恋をすることだけは避けなければならない。
だからこそ、異性として意識しないように、好感度を上げすぎないように注意しなくてはと誓っていたはずなのに、いきなりこれだ。
先が思いやられる。いや、一番心が揺さぶられそうだったグレンさんが既に済んだのだから、この先は意外と大丈夫かもしれない。
花を一本渡したからってどうなる訳でもないし、むしろ決意を新たに出来て良かったのかもしれない…?
段々と心が落ち着いて上向きになってきたリルハは、うつ向けていた顔を上げた。
「………ひぃっ!?」
するとそこには、リルハをじっと見つめる、オッドアイの瞳があったのである。