発達障害者の日誌98
どうも人差し指で文章を打つ男僕です。相方にはよくそれで生きれたなといわれたりもしましたが、ぶっちゃけそんなの関係ないです。ただ活用できる指の数が人差し指であっただけなので、ちゃんと言うべきときにちゃんと言っているので僕等は仲よしなんで心配しないでください。さて友人も含めて固定化された概念に納得すると受け入れてしまうかたもいますね。
僕も最近までそうでした。別にそれが間違いだとかはおもいませんが、それは非常に退屈だとおもうんですよね。年上のかたには面と向かって喧嘩になるような事は致しませんが、自分の正しいとおもうことを余所様におしつけるのはちがうし、それによってしようとしていることを潰すような発言も違うわけです。僕個人もこれは話した話なんで多くは語りませんが、基本的にそのこれからやろうとしているひとたちの新しい事に潰される危険性をもってるからいうの?ともおもうわけです。
実にスマートな方ならば同じ領域に入ったとしても自分のお客は離さないだろうし、研磨し続けてむしろ協力しあって新しい領域を淡々と増やしていくはずだよなあとおもうわけです。否定や恫喝の中で得るものはただの不適当な憎悪や嫌悪というものが多いでしょう?がなりたてたところで失うものだけが多いはずです。それは本当に満足いくことをしている人ではないとおもうし、若いものをそういう風にみるならばそんなスマートでない自分を肯定しているだけの場所にいるはずもないなあともおもう。見事に合わせたな俺とおもったくらいでしたので、やはり合わせるために自分が望まない言葉を使うのはつまらないし、迷うことなく踏み込んでいいんだなとおもいました。
やるべき理想と現実をもってれば連なる人は必ずいるので




