発達障害者の日誌8
障害者であるから諦めるではなく、その悪さだけを肯定するのではなくて。ありのままをどういきましょうか?ということを考えていけたらなとおもいます。
どこかのニュアンスがずれて。許可を頂いたはずなのに後からだめだとされた事が少なからずあります。
勿論僕個人も再三確認してからしたはずですが相互理解までいかなかったようです。過ぎたことですし僕の伝え方が悪かったのだなと今では思いますし、もうすこし違うかたちの伝え方もあってよかったなと。
一方通行できめつけられるのは些か気分は悪くはあるのですが、基本的に人間というものは己の生きうる許容量でしか生きれないものです。
そこにどう選択を広げ受容を寛容にしていくか、生きづらさや生きにくさ問わず、常に問いかけていくものだなと。
日常会話ができるひとを障害者と把握しないのは当たり前です。ある程度言葉が通じれば変わり者。
そして働きたくても選択せねば働けない現実があったとしても体感と思考と知ることがなければ難しい。
声をたかくしても互いに想いのならないものであれば、関係性もいきるために考慮するのもよいのではないでしょうか?