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発達障害者の日誌6
愛というのを言語化と認識するのが非常に難しい。それというのも親愛であり友愛であり愛であるもの境界線がいまいちで、それは本当にいとおしいのだけれど。
それが暴発してしまうと大変だ。強引でしかない。今思うと非常に逸脱した行為をしながらも友達としていてくれる子には頭があがらない。
つい最近になって言語化してみたらふられて友達になったと理解したのでよかったのだが、それまではなんとなく流れた程度で逃避しているといわれて、自分の中の感情がよくわからないままだったので、理解できたということは次は異性感の距離感についても思考していく必要性がある。
やはり自分の障害特性を踏まえて選択の余地は増やしていく。言語や思考を豊かにしていくというのが課題になっていくだろう。
全てのひととわかりあうというのは無理なので、自分が大切にできる範囲で生きるのが大切だろう。
健常や障害かかわらず、誰にでもよい顔をするのがいいひとではないよ