承「外の世界」
「ねぇ、森の外の事、聞かしてよ?」
食堂での食事が終わると同時に、光希はそんな事を言ってきた。
「森の外の事? なんで、そんな事を聞く?」
「僕、森の外に出た事がないんだ」
「え? それホントか?」
俺の問いかけにコクリと頷く。
「随分前に一度だけ、森から出たことあるけど、それっきりなんだ」
どうやら、本気で言ってるらしいが、とてもではないが信じられない。こんな樹海の奥地でずっと暮らしてきたなんて、信じられるはずもなかった。
だが、光希の目は曇りなく、嘘を言っているようには思えない。
「減るもんじゃなし、教えてよ。ね?」
光希は、しつこくせがんでくる。
これだから、ガキは嫌いなんだ。自分が知らないことは、なんでも聞きたがる。こっちは、あちら側であった事なんて思い出したくもないっていうのに……。
「嫌だね。あんな所の事、なんで話さなきゃならないんだ! フザケんな!!」
ちょっと語気を強めに言ってみた。すると、光希は驚いたように目を見開いた。
これでいい。ガキなんかちょっと脅かせば、すぐに引っ込む。元々、死ぬつもりだったんだ。こんな所で子供と関係性を持っても何の意味もない。さっさと、此処から出て行って、そして……。
「ああ! もう! そうやって辛気くさい顔ばかりしてさ!! 僕に何も話してくれないわけ!? ちょっとズルくないかな?」
光希は突然怒り出した。
まったく――――これだから、ガキは――――。
「ズルい? なにがズルいって言うんだ?」
「ズルいよ! こっちはご飯まであげたんだからさ、ちょっとは僕の言う事も聞いてもらわないと!」
「う……」
痛い事を行ってくる奴だ……。
「それとも悠軌は、一宿一飯の恩も返せないような男なわけ?」
「こ、この……言わせておけば……」
さっきまで、さん付けだったくせにもう呼び捨てにしてやがる。それに一宿一飯って……飯は頂いたが、泊まったわけではないと思うが……。
「って、あれ? それだと泊まっていってもいいって事か?」
「はあ? 何、言ってんのさ? 当たり前だろ?」
「……」
呆気にとられる。まさか、こんな見ず知らずの人間に、飯だけでなく、宿まで提供しようとは。一体に何を考えているんだ?
「だからね? 外の事や君の事、教えておくれよ?」
光希は潤んだ瞳で訴えてくる。やめてくれ……男かも女かも分からない顔で、そういった表情をしてくるのは……。しかも、なんか注文が一つ増えてるし……。
「うぅ……はぁ……しかたねーなー」
「やったぁ!!」
光希は両手を万歳して、喜んでいる。ちょっと喜びすぎだ。
「話してやってもいいが、そんなに面白い話じゃないと思うぞ? 特に俺のは……」
「いいのいいの! さあ、聞かせておくれよ!」
それから、俺は光希に森の外に何があるかを一つ一つ丁寧に話した。
都会の街並みや、最近の若者のトレンド。色々のことを話してやった。特に光希が興味を持ったのはスマートフォンだった。どうやら、携帯電話すら見たことないらしく、見せてやると大喜びしていた。電波は届かないし、電池も少なく、まともに動きもしなかったが、興味津々でいじくり回していた。
「壊すなよ?」
「別にいいだろう? どうせ、死ぬつもりなんでしょう?」
「む……」
そう言えば、そうだった。こいつと話していると、死のうと考えていたことを忘れてしまいそうになる。
「ああ、それと、もう少し悠軌のことも話してよ。さっきから、自分のことは一切話さないじゃないか?」
「そ、それは……」
話したくない。俺の話なんて、何も面白い事なんてない。寧ろ、ヒドイ話ばかりだ。
「話したくない……かい?」
「……ああ」
「でも、話してもらうよ? そうじゃないと、困るんだ」
「困る? 何がだ?」
「いいから、早く、ね?」
「わ、わかったよ……」
そして、俺はぽつぽつと話し出した。これまで、自分がどう生きてきたか。それから、此処に来るまでに何があったかを。
楽しかったこと、悲しかったこと、幸せだったこと、辛かったこと、自分が歩んでいた人生のすべて……そして、自分がどうして死のうと考えたのかを。
つまらない話だ。誰が聞いたって、絶対楽しくもならないし、感動もできないそんな話だ。なのに……光希は本当に楽しそうに聞いていた。話しているこっちは何がそんな楽しいのか分からないのに。
「お前……何がそんなに楽しいわけ?」
「え? だって、悠軌のお話、面白いよ?」
「……話しているこっちは面白くないんだがな……」
「そうなんだ? でも、僕は楽しいよ! 色々な話が聞けてさ! それに悠軌の事も分かったし、嬉しいよ!」
満面の笑顔で、光希はそう言った。その笑顔が、無性にイライラした。だって、そうだろう? こっちは、自分の辛い過去を話してるっていうのに、こいつはそれを面白いって言いやがるんだ。
それに……俺の事が分かって嬉しい? なんで、これから死のうとしている奴にそんな事を言うんだ!!
「お前に……お前に俺の何が分かるって言うんだ!? フザケんな!! お前には俺の事なんて分かりはしない……分かってたまるか!! あんな……あんな事があって、俺がどれほど……」
俺は激昂していた。わけも分からず怒鳴り散らしていた。だが、光希は、表情穏やかにそれを見つめているだけだった。そして、俺の怒りがおさまりかけた頃、光希は口を開いた。
「……可哀想に。君は何も信じられなくなっているんだね」
「なに?」
「でも、安心して。きっと〝信じる心〟は消えてなんかいない。必ず、取り戻せる時が来るから」
「は、はは……バカバカしい! そんな時なんて、訪れやしない!!」
そうだ……俺はもう誰も信じやしない。信じることができない。取り戻せる時が来るだって? そんなのあの絶望を知らないから言えることなんだ!
「大丈夫だよ。悠軌なら……僕には分かる」
「分かる? は! 何が分かんだよ、バカじゃねーの!!」
「はは! かもね!」
俺の罵声にも、屈託なく笑う光希。どうして、そんな風に笑えるのか俺には分からない。こいつの眼は何の曇りもない。何もかも信じている眼だ。俺のことも、俺が「信じる心」とやらを取り戻せると信じている。
「お前……なんで、俺なんかを構うんだ? こんな、どうしようもない奴……放っておけばいいだろ?」
「どうしようもないなんて、とんでもない!? 君は良い人だし、君の話は面白いよ!」
良い人? 面白い? そんな風に思っていたのか……悪い気はしないが……。
「だから、ね? もっとお話聞かせてよ?」
「あ? まだ、聞きたいって言うのか?」
聞き返すと、光希はコクコクと頷いた。その眼はせがむようにキラキラと輝いている。
まったく……俺はその眼に弱いなぁ……。
「……チ! 仕方ねーなぁ!」
「やったぁ!!」
光希は嬉しそうに飛び跳ねている。
その姿を見て、ふと思った。たったこれだけの事に喜んでもらえる、人に喜んでもらえるなんて、どれくらいぶりだろう……と。
俺は、光希に森の外の事を再び話しだした。それは夜が更けるまで続いた。光希はいつまでも楽しそうに聞いていた。