ナナハン
(※本作はカクヨム様にて先行公開している同名作品です)
はじめまして、前田泥州と申します。
小説に挑戦してみようと思い立ち、短編(1話完結)を書いてみました。
短いお話ですので、どうかお気軽に読んでみてください。
江里口信常は、後に四天王と称される龍造寺配下の中でも、ことさらに口数の少ない男であった。
何を考えているか分からぬところがあった。
だが、ただそこにいるだけで、共にあることを感じ取らせる男でもあった。
天正十二年三月二十四日。
先ほどまで降りしきっていた雨も、やがて止むだろう。
泥に伏した死骸と、おびただしい血を洗い流すこともなく。
沖田畷の戦は、すでに終わっていた。
主、龍造寺隆信は討たれ、陣は崩れ、味方は四散した。
勝ちは島津に落ちたのだと、江里口にも分かっていた。
それでもなお、百武のいるあたりだけは、まだ戦が終わっていなかった。
だが、その音もやがて遠のいていった。
しばし戦の騒ぎが遠のいた頃、江里口は島津兵の亡骸を見て回っていた。
奪うべきは首ではない。鎧である。
己とさほど変わらぬ体躯の持ち主を探していた。
雨に打たれ、泥にまみれた屍はみな同じように見えた。
だが、近づけば肩の張り、胴の厚み、脚の長さは違う。
江里口は一つ一つを見ていく。
生きている者を見るのと同じ目で、死んだ者を見た。
やがて見つかる。
先刻の乱戦で、自らの槍の一突きで背まで突き抜けた相手だ。
ちょうどよい。
江里口は膝をつき、緒を断ち、具足をはぎにかかった。
濡れた革が手にまとわりつく。
血と泥を吸った鎧は重く、持ち上げるたび鈍く鳴った。
己が着ているものを脱ぎ捨て、島津の某の具足をまとってみる。
肩も胴も、無理なく収まった。
その様を、ほとんど動かぬ体で眺めている者がいた。
百武賢兼である。
その周りには、斬り伏せられた幾人もの敵兵が折り重なっていた。
どれほど斬ったか、数える気にもならぬ。
ただ、その場の屍だけは他と違っていた。
背に致命傷を受けた者がやけに目につく。
あの退くことを知らぬ島津兵どもが、百武を前にしては背を向けたのである。
正しく武神と呼ぶほかない光景であった。
それでも百武自身は、もう尽きかけていた。
胴の傷は深く、息は浅い。
血は雨に薄まりながら、またとめどなく流れていた。
百武が指先をわずかに動かした。
江里口を呼んだのである。
江里口は黙って駆け寄った。
泥に膝をつき、その顔をのぞき込む。
百武はじっと江里口の目を見た。
何を問うでもない。
何を託すでもない。
ただ、その目だけで十分だった。
ふいに、百武の口元が崩れた。
満面の笑みであった。
もう声は出ぬ。
だが、声があれば戦場に響くほどの笑いであったろうと、江里口には分かった。
百武はもう一度、しっかりと江里口を見据えた。
それから、己の首をぽんぽんと叩いた。
江里口は何も言わなかった。
有難いとも、すまぬとも。
無言の斬撃が刃音を鳴らす。
転がった百武の首は、笑っていた。
江里口は近くに落ちていた旗を拾った。
泥にまみれ、雨に打たれ、持ち主もすでに定かでない旗である。
それで首をくるみ、きつく結わえた。
それから百武の胴を一度だけ見たが、すぐに背を向けた。
島津の篝火が見える方へ、江里口は歩き出した。
丸に十字の旗印が風になびく。
島津の陣である。日中の戦を終えてなお、気を緩める薩摩の男たちではなかった。
それでも決定的な勝ちに浮いた熱は抑えきれず、陣は興奮のざわめきに満ちていた。
軍目付の前では、我先にと功を訴える者たちが声を張っていた。
江里口は何も言わぬ。ただ人の輪を離れ、篝火の及ばぬところへ腰を下ろした。
どさりと置いた包みは、泥とこびりついた血にまみれ、ひときわ異様であった。
人を避けたつもりが、かえって目を引いたようだ。
遠巻きに江里口へ目をやり、ひそひそと囁き合う者たちがいた。
やがて、何事かを耳打ちされた軍目付が、江里口の方へ歩み寄ってきた。
軍目付は少しばかり離れたところで足を止めた。
「おぬし、それは……首、か?」
江里口はわずかに眉を上げた。
この首を、それと呼ぶか。
だが次の瞬間にはその気色を押し隠し、小さく頷いた。
もとより口数の少ない男である。
ましてこの薩摩訛りの中で、下手に口を開くわけにはいかなかった。
「して、どこぞの大将か?」
遠巻きにしていた者の一人が、周りにも聞こえるよう声を張った。
たちまち周りでどっと笑いが起こり、いくつもの目が江里口へ向けられた。
その声の主を一瞥し、江里口は立ち上がった。
脇に抱えた龍造寺の旗指物の包みを、血で貼りついたところから剥がすように解いていく。
風にさらされた首は、今なお笑っていた。
江里口はその顔の泥を己が袖で拭う。
それから髻を掴み、首を掲げて篝火にかざす。
「百武」
その場にどよめきが走る。
その首を見た者が、悲鳴のような声を上げた。
「その鉢金、鬼じゃ……あの鬼じゃ」
あの場にいた者なのだろう。早口に、あの鬼が兵どもにもたらした災いをまくし立て始めた。
紛うことなき将の首だった。しかも、あの百武である。
地鳴りのような歓声が沸いた。
その熱は渦を巻き、辺りを包んだ。
そして篝火に迷い込む夜蛾のように、その男は来た。
島津家四男、家久である。
肥前の熊、隆信を討った男であった。
僅かばかりの供を左右に従え、兵どもの囲いを割って現れた。
江里口は家久の顔を知らぬ。知らぬが判った。
纏う空気が違う。
周りの兵どもの興奮が一段上がり、その目つきが変わる。
左右の男どもの殺気が違う。まだ戦場にあるかのようだ。
それを脇に従える男。
あれだ。
江里口は家久の方を向き、立て膝で座り直す。
乱れた旗布を首へ巻き直し、左手の小脇に抱えた。
頭を垂れ、目を伏せる。
その姿は、主君の言葉を待つ武士そのものであった。
だが、見ていたのは家久の足だ。
己との距離を測っていた。
顔を見れば抑えが利かぬ。
牙はまだ見せぬ。
軍目付が家久の意を読み取ったのか、小走りで江里口に駆け寄り、手を差し出した。
「首を検分する。渡すがよい」
江里口は首を横に振った。
ただそれだけだ。
どっと笑いが起きる。
大手柄を人に預ける馬鹿がおるまいよ、と笑いが広がる。
なおも軍目付は手を伸ばそうとするが、
「よい」
機嫌のよい家久の声だった。
自ら江里口のほうへと歩み始めた。
どよめきと羨望の目が、家久と江里口のあいだに集まった。
殿自らとは、羨ましいことよ。
江里口だけは表情を変えず、目を伏せたまま、家久の足もとだけを見ていた。
七歩だ。
江里口は己に聞かせた。
その間であれば、直後に槍に貫かれようが、
届く。
鼓動が遅くなったのか。すべてがゆるりと流れている。
あと、十歩。
腕に抱える百武の首が熱い。
ありえぬ。熱いのは己が身であろう。
だが、百武が熱いのだ。
九歩。
家久の頭上には、月が出ていた。
思えば昨夜、主も同胞も語り合った場に、あの月はいた。
雲と雨に空が満ちたのは、その後だ。
今は、その月が見ている。
八……歩。
ほんの些細なことであった。
「あんな大穴を鎧に空けてたいしたものよ」
誰が言ったか、それすら知れぬ。
だが、それで足りた。
家久の足が止まる。
もう前へは出ない。
気づかれた、しくじった、とは思わない。
ただ
疾走る。
獣のしなやかさで、地を這うように家久へ迫る影。
左右の供どもは、あまりの速さに動けぬ。
江里口は抱えていた包みを家久へ放った。
布は宙でほどけ、笑う百武が家久に迫る。
家久は思わずその首を受けた。
その一瞬、低く走る江里口の影は、百武が隠す。
取った。
腰の太刀が鞘走る。
鞘から刃が離れた瞬間、右足が踏み込む。
全身を放つように立ち上がる。
逆袈裟に走る刃は篝火の灯りを返し、一閃、家久の肩の高さまで駆け上がった。
家久が弾かれるように後ろへ倒れた。
江里口は空を見上げる。
そこには、先ほどから変わらぬ月がいた。
「浅い」
手に残った感触は、確かに斬った。
だが、生を断つものではなかった。
自ら身を引いたのか、それとも天の差配であったのか、知る由もない。
江里口が斬撃を放った刹那、家久は身を後ろへ飛ばしていた。
刃が走った場所に、その胴はなかった。
右足の傷は浅くはない。
だが、命には届かなかった。
もはや家久を見ようとはせぬ。
終わったのだ。
止まっていた時が、そこでふいに動き出したかのようであった。
島津の兵どもに、遅れて恐怖が走る。
――討たれた、いや無事だ。
――もし、殿が身を引かなければ。
肝を冷やした恐怖が、そのまま怒りへと裏返る。
何を言っているのかも分からぬ獣どもの怒号が、江里口に向かう。
だが、そんなものは江里口に届きもしない。
ただ空を見上げたまま、月へ。
「これで……よろしいかな」
人生七歩半、八には届かず
殿でもあるまいし。
江里口はふいに笑った。
斬られ、殴られ、刺し貫かれても、もはや他人事であった。
その笑みは、ついぞ消えなかった。
天正十二年三月二十四日。
完
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
カクヨム様で発表した本作を、こちらでも公開させていただきました。
江里口の物語は一区切りとなりますが、他の四天王たちの生き様もいつか形にしたいと思っています。
現在は、戦国ではないジャンルの長編についても構想を練っているところです。
不慣れな初心者ではございますが、もし少しでも「面白い」と感じていただけましたら、ブックマークや下部の評価(☆☆☆☆☆)で応援いただけますと、執筆の大きな励みになります。
今後とも、前田泥州をどうぞよろしくお願いいたします。




