5月8日 午後
リューズは体勢を変えるタイミングを見失い、尻餅をついた状態のまま、廊下の冷たい床に座って会話をこなす。
『まずは、普通に物語の中でも言われているみたいに「当時勇者が無名すぎたから」説についてだけど……。それじゃあ納得いかないよね。だって、魔王の本拠地に出向く直前の冒険譚まで詳しく書かれてるのに無名だなんて、そんなわけないじゃん』
「まあ、そうだよね。わたしも思ったことある」
『でしょー。で、次。「作品の演出」説。黎世記の著者は、空白と言うか、多くは語らないって感じの演出好きだよね。だってそもそも、勇者が魔王を倒す物語なのに魔王との決戦についてを書かないなんて、はっきり言ってイカれてるじゃん。大胆すぎ。まあ、そこが魅力でもあるんだけどね。千年も前の話だし、資料が無くなっちゃったんじゃないかとかもいろいろ言われてるけどさ』
「そうだね」
少女は、呆気に取られていた。怪しい雰囲気の地下室に、まさか誰かが監禁されているのか、はたまた話の通じないバケモノでも封印されているかと心配していたのが、蓋を開けてみれば元気な早口の女の子である。よほど退屈をため込んでいたのか矢継ぎ早に言葉を発しており、少女は適当に相槌を打つことしかできない。
『結局、「勇者は最後まで名前を隠し通した」っていうのが有力だよね~』
「うーん」
ただ、淡白に会話をこなしているようで、少女はこの話題について考えを巡らせていた。伝説の勇者の物語を読んだ者は、一度はこの“伝説の勇者が本名不明なんておかしいでしょ”という疑問に行き着くものだ。もちろん、少女自身も例外ではない。
この疑問は、単なる歴史の考証や物語の考察の域を越えて、魔法そのものの性質にさえ関連してくる。この疑問に始まり、勇者の物語を解き明かすことは、魔法学問の発展に大いに寄与すると言っても過言では無い。
『──時はそう遡らず二百年前! あるところに、一人の純粋な少年がいた! 後にこの少年は、偉大な研究者として歴史に名を刻むこととなる……』
地下室の中から熱弁する。
曰く、彼は授業の時間が嫌いだった。中身が退屈なくせに、答えがわからない問題に限って教師はこちらを指名してくる。
ふと、彼は思った。どうして人から指をさされるのはこんなにも気分が悪いのだろうかと。
『これが、彼の生涯の研究テーマとなった。そして彼の研究は、世界の常識を大きく変える!』
単に心理的に害するというだけだったそれは、実は人と人との間の魔力の相互作用によるものであると、彼は突き止めたのだ。
——さて、魔法の発動において鍵となるのは想像力であると、単純に説明されることがある。では、想像力とは何を意味するのだろうか。そこには“名前”が深く関わってくる。
発動する魔法の名前は? 魔法が引き起こす現象の名前は? 魔法の効果を与える対象の名前は?
たった一つ魔法を発動するのにも、いくつもの“名前”が脳内を行きかうことになる。さらに、《《魔術》》の行使となると、関連する“名前”の数は膨大になる。
複数の魔法を構造化した《《魔術》》や魔法ないし魔術を用いた必殺技は、名付けることで発動の意思が確立される。それにより、名付けずに使用した際と比較して明確に性能が向上する。
『戦に身を投じる魔術師たちは皆、それぞれが名付けたオリジナルの魔術を世に広めていた。それが、自らの身を削ることになっているとは知らずに……』
自身の権威を確立するために、開発した魔術に自らの名前を付ける者は多くいた。しかし、それこそが落とし穴だったのだ。
二百年前の研究で判明したのは、“名付けがもたらす影響は、魔術に対してのみに留まらない”というものだった。特に注目されたのは、人名に関する影響である。
ある実験が行われた。観衆の中心で魔術を発動し、その威力を計測する。その際、術者を指差す人数に応じて威力や正確性に変動はあるのかというものだ。結果、指を差す側の人数が増えるにつれて、魔術の出力の乱れは増大していった。
さらに様々な条件下での実験が行われた。中でも特に顕著な変化を示したのが、指を差す側の人間の中で術者の名前を知る者の割合、つまりは“知名度”がもたらす影響である。
そのため、苗字のみを名乗ったり、偽名や二つ名を用いたりしながら、人々は自分の名前を守りながら生活している。中には、親から授かった本名を知らずに生涯を終える選択をする者もいるほどだ。
『昔は、今と比べて文化はかなり違ったとは思うよ。とはいっても、歴史上随一の英雄の名前に関する記録が何もないとかおかしくない? せめてお墓くらいは建てるでしょ。もしかして、すっごい遺跡の奥深くとかに隠されてたりするのかな? それとも、まだ生きてるとか!?』
「もしそうだったら面白いけど……」
少女は、ちょっとずつうんざりしてきていた。確かに、『黎世記』に関する議論は非常に興味深い。興味深いのだが……。それはそれとして、今は他に知りたいことが多すぎる。そもそも、この地下室産のおしゃべりガールは何者なのか、それすらわかっていないのだ。
……少女は今、なんだかすっごいどうでもよかった。
もはや、これは会話ではない。相手は無法者である。ならば、こちらも無法で返すのみ。流れなど知ったことではない。とりあえず疑問を解消したいという気持ちが、『黎世記』の話題に対する興味を上回る。
「あの……あのさ」
『なになに、新説提唱!?』
「いや、その……なんていうか、あなた、元気そうだね」
『まあ、元気だけど。そうね、最初はもしかして、新しいお医者さんでも来たのかな? って思ったけど、それにしては若すぎる気がするし。ていうか、たぶん同い年くらいでしょ。じゃあお医者さんなわけないか。ほんと、なんでこんなところに来たの?』
「ピアノの音がしたから、誰かいるのかなって思って……」
『ふーん。あ、もしかして、私が閉じ込められてるとでも思ったの? 残念……かどうかは知らないけど、別にそんなんじゃないよ。まあ、とりあえず悪い人じゃなさそうでよかったかな』
事件性は無いようだが、油断するにはまだ早い。人の言葉を女の子の声を操るバケモノの可能性がまだ拭いきれてない。……なんて考えてはいるものの、少女は今のこの感情が、恐怖心や不安感の類でないことなど、とうに分かっていた。
それは、興味。いつの間にか、この女の子との会話に興味を抱いていた。ついさっきまではとっとと帰ろうと思っていたのが、今ではすっかりそんな気は失せている。
さて、医者というキーワードが引っかかる。この女の子は、何か病を患っているということだろうか。
「“お医者さん”って……。あなたは、なにかの病気なの?」
『そ。魔力過敏症。私の場合は、ずっと魔力を浴びてると目に悪い魔力がたまっていっちゃって、最悪失明しちゃうかもしれないんだって。それで、この病気の治療のために、魔力濃度を抑えたこの地下室で経過観察しているってわけ』
「魔力過敏症……。学校でもちょっと習ったけど、症例が少ないうえに、人によって対処法も変わってきちゃうんだっけ」
『人類』と一口に言えど、その種類は多岐にわたる。ルーツとなった獣や精霊の数に加え、それらが交わったことによって生まれた種族まで細分化するとなると、途方もない数に及ぶ。
こういった種の多様化が進むにつれて、身体の組成を決定づける遺伝には不整合が生じやすくなっていく。それがこのように先天的な病として発露する場合があるのだ。
そのうちの一つが、魔力過敏症である。多様性から生まれた病である故、その症状や対処法は個人ごとに変わってくため、治療は困難を極める。れっきとした難病である。
しかし、当の本人はあまり重く受け止めていない様子で、またしても話題がすり替わる。
『てかさ、てかさ、いま“学校”って言ったよね? ゼニス国立学園でしょ。いいなー。私、病気がよくなったら学園に通いたいの。いい教師が集まってて、色んな生徒がいて、図書館も大きくて……。楽しいに決まってるじゃん!』
女の子は楽しそうに話すが、少女は苦い気分になっていた。なぜなら少女は今日だって、友達と遊ぶでもなくふらついていたのだから。
少女は膝を抱え込んで床を見る。が、そんなことはつゆ知らず、女の子は語り続ける。
『やっぱり、国立学園の目玉と言えば、学園祭の生徒対抗戦は外せないよね! 普段はあんま学校に来ない最強の生徒も、この日だけは来て優勝をかっさらっていくんでしょ! シビれるぅーッ。ま、見たことすらないんだけどね。いつか学園に通い始めたら、絶対出場してみたいなぁ。ねえ、あんたは出たことあるの? どんな感じなの?』
「ええっと……」
学園祭とは、ゼニス国立学園が例年六月ごろに開催する祭典のことである。優勝賞品を狙う生徒が三人一組でチームを組み、壮絶な戦いを繰り広げる一大イベントだ。
というわけで、一緒に出る友達のいない少女に話せることなどない。
『ねえ、学園祭のこと話してよ。いいでしょ、減るもんじゃないし。お願ーい』
「え、ええっと……」
「──お客様、どちらにおられますかー?」
不意に、ノアの声が聞こえてくる。なかなか戻ってこない少女のことを探しに来たのだ。
都合の悪くなった少女は、この声に縋りつく。
「……わたし、そろそろ行かなきゃ。ごめんね」
『……ねえ!』
また、引き留められる。
『……また来てね! 約束!』
「……」
(結局、わたしは逃げてばかり……)
少女は、その場を後にした。
第二話 運命に追われる少女
◇
「お客様、お帰りですか?」
「はい。お待たせしてすみません……」
部屋に戻ると、青髪のメイドに出迎えられた。彼女は、少女が置きっぱなしにしていた荷物を両手に抱えている。
「お荷物、玄関までお持ちします」
「……ありがとうございます」
二人は小さな魔法の火球と月の灯りが照らす廊下を歩く。
少女は気まずい空気を肺にため込みながら、首が見える程度に切りそろえられた青髪の一歩後をついてゆく。
長い長い廊下を歩き終えて、玄関に着く。青髪のメイドは、まず上着を手渡す。そして、少女がそれを着終わるのを見計らって、口を開く。
「お客様……いえ、リューズ様。ご提案があるのですが」
「……なんですか?」
「このお屋敷でのお仕事に、ご興味はありますか?」




