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『     』──タイトルは私たちの名前でヨロシク  作者: ネコミケ


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5月8日 午前

 勇者に憧れた。


 自在に剣を振るい、優雅に魔法を操る。恐怖をものともせず、果敢に巨大な悪意に立ち向かう、そんな姿に。


 『黎世記』が好きだ。魔王の恐怖に染まった世界に光をもたらした名もなき勇者の、魔王討伐までの物語。ほんの十数ページの絵本も、迫力のあるイラストで描かれる漫画も、文字の小さい文庫本も、小さな功績をまとめた短編集も、全部読んだ。


 夢を見るのが好きだ。まるで、自分自身が勇者として──あるいは勇者の横に立っているかのような臨場感、万能感。かつて勇者が繰り広げた壮大な冒険に、最も近づける瞬間だから。


(かっこいい……)


 わたしもこうやって、たくさんの人を助けられるようになりたいと、ずっとずっと、憧れていた。


 こうしてページをめくるたびに、自分の中の世界が広がっていって……


「なーに読んでんだよっ!」


 バタバタと無遠慮な足音とともに男の子が近づいてきたかと思うと、本が手元から奪われる。


「おいおい、チビでツノなしのくせに、また勇者の本なんか読んでるのかよ!」


 見せびらかすように本を掲げながら、無駄に大きな声を教室中に響かせる。小馬鹿にするようなニヤニヤとした視線と、呆れたような軽蔑の視線が、少女の皮膚に刺さる。


 ……そんなこと、自分が一番わかっている。自分は勇者じゃない。自分は、物語の主人公なんかじゃない。

 わたしに出来ることは全部、周りのみんなは誰でもできる。わたしにしか出来ないようなことは、一つもない。わたしは特別じゃないんだって、厭と言うほど思い知っている。


 夢に出てくる登場人物は誰一人、わたしの顔をしていない。


 『これは夢だ』と気づくこの瞬間が、わたしはたまらなく嫌い──





 ジリリリリリリリリリリリ





 ——ベルの音が鳴り響く。


 ほんの一瞬いっしゅんで夢の中の光景は霧散むさんし、意識いしきの中から逃げていく。ただ、自分の記憶に無い光景で、おぼえのある感情だったことだけは、っすらとおぼえている。


「んんー、うるさい……」


 依然いぜん、ベルがひびいている。


 少女は天井てんじょうに向けて手を振るように頭の上あたりを探すも、それらしき手応てごたえはなかなか見当たらない。体感三分ほど虚空こくうたわむれたのち、さすがにうんざりしてのそのそと体を起こし、眠い目をこする。


 図体ずうたいわりに大きな音を鳴らす目覚まし時計に狙いをつけて、パシ、と最弱にして最大限の平手打ひらてうちをびせると、ようやくやかましい音が止む。


「……んんー」


 視界の端に、カレンダーが映る。五月八日、土曜日。


 カーテンと窓を開け放つ。朝の柔らかい日の光と、吹き込んだ風になびいたかみが顔をなでる。


 少女の緑色のひとみに、草木の緑がうつる。この街へ来たばかりの頃、限られた予算の中、一つの物件が目にまった。それが、街の西側のはずれ、草原を見渡みわたせる場所に位置するアパートの二階の、この一室だった。


 実際は見渡すというより垣間見かいまみる程度のものだったが、これで充分。これをながめながら胸いっぱいに息を吸うのが、寝起きのルーティンになっていた。


「ふうーっ」


 息を吐ききり、窓を閉じ、次のルーティンへと移行する。


 冷水をぴしゃりと顔に浴び、まとわりつく眠気をぬぐう。そでがわずかに水でれる。食パンを一切れオーブンで焼く。はしが少しげる。フライパンに油をき、ベーコンと目玉焼き。黄身が割れる。お気に入りのマグカップに牛乳を注ぐ。勢い余って、寝間着ねまきに白いシミがぽつり。


「……はぁ」


 ……今日は、土曜びみょうな日。



 ◇



 少女は昨日の学校帰りに買った新聞を読みながら、片手間で朝ご飯を食べる。灰色のざらざらした紙に書かれた見出しが、覚めたばかりの目に飛び込んでくる。


 “皇国のデモ活動激化”

 “夏野菜豊作、家計にゆとり”

 “魔獣被害拡大、保安協会人手不足”


 “ゼニス国保安協会 依頼一覧”


 今日は何か、依頼でも受けに出かけるとしよう。


(……暇だし)


 別に、お金に困っているわけではない。むしろ、依頼を受けるくらいしか暇つぶしがないものだから、使い道のないお金がどんどんたまっていた。


 学校を出てからも、適当に依頼をこなして生きていくのだろう。そう考えれば、こんな生活も無駄ではないはずだ。


「……ごちそうさま」


 “魔獣討伐 火之鳥ヒノトリ 二級相当”


(これでいいや)


 一応、武器の手入れをしてから行くとしよう。

 服は……制服でいいか。



 ◇



 大抵、討伐依頼の現場への移動は協会持ちの馬車を利用する。魔獣の被害は郊外へ行くにつれて増え、そう言った土地は道路が満足に整備されていないことは珍しくない。そういった荒れた土地の走行には、生来の加護で快適な走行の補助が可能な馬に頼った馬車での移動が、機械の自動車よりも適している。

 家から中継地点の街まではバスで、街から現場までは自動車で向かう。


 少女は、今しがた受注の手続きを終え、馬車に乗って現場へ向かっている。

 適度に揺れて、風を切る音を追い越しながら走る馬車の中で黙々と本を読むこの時間は、悪くない。


「お嬢さん、初めまして。“クロス”です」


 同行する男性、クロスが話しかけてくる。今しがた読んでいたページに指を挟む。


「“リューズ”です、よろしくお願いします……」


「まだお若いのに人助けだなんて、ご立派ですね」

「そんな立派なものじゃないですよ……ただの暇つぶしです」


「そういえば、その服は、ゼニス国立学園の制服ですか。そういえば、そろそろ学園祭の季節ですかね。リューズさんは、生徒対抗戦には出場されるのですか?」

「いえ……。わたしより強い人なんてたくさんいますし、それに、一緒に出場する友達もいないですから……」


 せっかく話しかけてくれても、すぐに気まずい雰囲気が流れてしまう。これだから学校でもダメなのだと、少女リューズは沈む気持ちから目を逸らすようにまた本に目線を落とし、風の音に耳を傾ける。


 そうして二、三十分もすれば、目的地の近辺に到着する。


 依頼の内容は、廃集落に巣食った、火を操る鳥の魔獣の討伐。再開発のために、周囲の安全を確保したい、と。


「着いたぞ、お二人さん」


 馬車が止まり、御者が報告する。馬車を降りると、そこは草原に溶け込んだ農場跡らしい土地だった。かなり離れてはいるが、いつも家の窓からのぞいていた景色の延長だと思うと、三次元的な広さが意識される。


「あれが、討伐対象ヒノトリですね」


 クロスが指さす方を向くと、猛禽類の鋭い瞳が遠巻きにこちらを見据えているのを感じる。見た目からして、鷹の変異種だろう。焦げ付いたレンガ造りの廃墟の上に居座り、その巨躯は威圧そのもの。立ち入り次第容赦はしないと、目線で忠告している。


 少女リューズは相手を見据え、深呼吸する。


「クロスさん、馬車の護衛をお願いします」


 クロスは驚いた。この、少し内気そうな少女リューズが、一人であれを討伐すると言ったのだ。


 しかし、ある程度の説得力はある。馬車で少女リューズの隣に控えていたのは、大人の男であるクロスも持ち上げられる自信のないほどに重厚な戦斧だった。そもそも、この討伐依頼を受注できている時点で、保安協会基準で二級以上の実力は保証されている。


 それでも、不安は拭いきれないが……。万が一危ない状況になったら、後方から魔法で支援しよう。クロスは、そう心の内で身構える。


「わかりました。くれぐれもお気をつけて」


 再び火之鳥に向き直った少女リューズは、自身の背丈とそう変わりない巨大な斧をたずさえ、火之鳥目掛けて突進する。重厚な武器をものともせず、疾風のごとく草原を駆ける。やはり、空へ飛ばれては厄介だ。最短距離で距離を詰め、跳躍が届く範囲でケリをつけるしかない。


 火之鳥は侵入者の少女リューズに対し、甲高い鳴き声を上げながら複数の火球を召喚、足止めを試みる。しかし、少女リューズは斧を振り回してそれを散らしてゆく。その間も、走る速度は緩まない。どころか、舞うように斧を振る遠心力を利用して、加速しているようにさえ見える。


 そこでようやく、火之鳥は次の一手を繰り出そうと羽ばたき、空へと飛び立とうと──が、もう遅い。

 斧を後ろへ大きく振りかぶると同時、両足で地面を強く踏み込む。少女リューズは竜巻となって、火之鳥を跳び越える。


「うりゃ!」


 斧が火之鳥の背を掠める。攻撃が失敗に終わったか……と思ったのも束の間、裂かれた皮膚の隙間から侵入した魔力が連鎖し、具現化した魔法のつららが火之鳥の心臓を貫く。


「鮮やかだな」

「ええ、本当に。大人顔負けですね」


 御者とクロスが感嘆交わし合いながら、少女の元へ歩み寄る。


「えっと、終わりました……。魔力核の回収と死骸の処理、お願いします」




 ◇




「お疲れさまでした。また、ご縁があれば」


 協会は、一日に何十、下手したら何百という数の依頼を捌いている。一見するとかなり件数は多いが、三日もすれば依頼はすべて新しいものに変わっている。別に自分がやらずとも、他の誰かがやってくれる。

 でも、人助けをしているのだから、誰かの役に立てているのだから、依頼を受けることはいことだ。それを仕事にして生きていけるなら、それでいい。……自分の存在意義の軽薄さを感じて苛まれるときは、心の中でそう唱える。


 少女リューズは御者や仕事仲間クロスと別れ、報酬を受け取って、街の雑踏の一粒となる。そして、気付けば退屈な生活に戻っている。日常は通り過ぎていく。


 風通しも悪く、ガスを吐く車の行き交う都会の空気は、やはり少しざらついている。ここを歩いていると、土曜日の憂鬱ゆううつさに拍車はくしゃがかかるようだ。


 依頼を受けると保安協会支部に出向く必要があるために、必然的に大きな街に立ち寄ることになる。その後は、ついでに買い物をしていくのが習慣になっていた。今日も、その慣習に身をゆだねる。

 歩きやすい石畳いしだたみで整備された広めの道の両側には、三、四階建ての建物が所狭ところせましと立ち並んでいる。


(パンとジャムと卵と、野菜はどうしようかな……)


「しんぶーん! 新聞あーりまーすよー!」

「我が党に清き一票を!」

「お野菜安くなってるよー」


(そうだ、夏野菜、安くなったんだっけ。あとでナスとトマト買いに行こ)


 道端みちばたに落ちていても気にしない程度のぜにを、わざわざ音を立てて数える店員を眺めながら、次は露天街ろてんがいに行こうと考える。


「──はいお釣り。まいどありー」


 思い切って故郷を飛び出して、都会の学校に通い始めたはいいものの。新天地での生活は、思ったようにはなやかでも、かがやかしくもない、退屈なものだった。退屈なだけならまだしも、勉強もろくに身に付かず、趣味や将来の展望てんぼうがあるわけでもない。退廃的たいはいてきとさえ言える。ただ、食だけが唯一ゆいいつの楽しみだからか、毎週土曜日のこの買い出しは欠かさない。


(今日はちょっと暑いかも。一応、荷物は魔法で冷やしておこう……)


 友達なんて、いつの間にか勝手に出来るものだと思っていた。だが、現実はこうだ。休日に一緒に遊ぶような友達が一人もできないのは、変な時期に編入へんにゅうしたからだ……というのも、一年も経った今では、むなしいわけにしかならない。


 ……ふと楽しくないことばかり考えてしまう。そしてどうせ、明日も同じようなもの。少女リューズは、土曜日がきらいだ。







 肉や魚、野菜といった生鮮食品の並ぶ露天街ろてんがいへと足を運ぶ。大きな街だけあって、人の往来おうらいは多い。ぶつからないように、バッグも抱えて持った方がいい。


(手で持っていた方が、冷やしやすいし)


 肉は、ハムとかベーコンとかソーセージとか、加工されたものを選ぶ。魚は下処理したしょりの楽なやつか、なんなら買わなくたっていい。野菜は、適当にサラダや炒め物として食べられて、なおかつ安ければなんでもいい。


 ……先程、食が唯一ゆいいつの楽しみだとか考えていたが、あれは嘘だ。食事なんて、腹にまるならなんでもいい。簡単で安上やすあがりなものを選ぶだけ。毎日即席食品ばかりだと体調に響く気がするので、気休め程度に野菜は食べるようにはしているが。


「あ、あと……いや、やっぱり、これだけでいいです」


 さて……。買うものを買い終わってしまえば、ここに用はない。別に家に帰ればいいのだが、帰ったところですることもない。大抵たいていいつも、買いもしないくせにぶらぶらと、雑貨屋を物色ぶっしょくしていた。今日も例にれず、孤独に街を徘徊する。


(あ、すごい美人さん……)


 黒を基調きちょうとしたドレス……いや、給仕の制服(メイド服)だろうか。なんであろうと、今時イマドキらしくはないし、かなり人を選ぶ服装だ。それを、長い黒髪に赤いひとみの、背の高い美しい女性が、見事に着こなしている。薄いベールのような黒いベールも被っているが、そんな程度ではその美貌びぼうを隠し切れてはいない。


 そういう人間は不思議と、視界に入ってくる。都会には人が多い分、容姿のよい人の数は自ずと増える。そう珍しいものでもない。ただ、そういった者たちは特有の雰囲気ふんいきまとっており、人混みの中でも一際ひときわ目立つ。星の輝きはは街灯に紛れない。むしろ、人々は一歩道を開けるように歩く。


 しかし、目の前の彼女は不思議な女性ひとだ。充分目立つ見た目をしているのにもかかわらず、周囲の人間は微塵みじんも目もくれず……というより、彼女の存在を無視しているかのように振る舞っている。星というよりも、黒い夜の闇に近い雰囲気の女性だからだろうか。彼女を見ていると、暗がりが街灯がいとうの光に追いやられていくような、そんな感覚を覚えた。


 彼女は先を急いでいるようだが、一歩歩けば人に当たると言った具合である。綱渡りでもしているかのように不安定な様子は、とても見ていられない。


 雑踏ざっとうの中、彼女は肩身かたみ狭そうに、じわじわと歩みを進める。人の波をなんとかかき分けていくために、進行方向はぐに安定しない。彼女が両手で抱える荷物の端からは、リンゴが今にもこぼれ落ちそうになっており……


「だ、大丈夫ですか?」

「えっ、あ、えっと……ありがとうございます」


 咄嗟とっさに手が伸びた。自分が一番驚いた……みたいな表現はよくあるが、そう言うには、目の前の黒い美人もあまりに驚きすぎていた。


「あの……。良ければ、お手伝いしましょうか? わたしこの後暇ですから」


 ここまで来てしまっては後に引けない。困っている人を見放すのも夢見が悪い。それに、どうせこの後……いや、今も暇だ。


「そんな、ご迷惑をおかけするわけには……」

「でも、大変そうにしているお姉さんのこと、見過ごせないです」


 黒髪の女性は葛藤した様子を見せ、もう一度断ろうと口を開きかけたところで少女リューズの目を見て……。諦めたように微笑んだ。


「私のことは、どうぞ “ノア” とお呼びください」

「わたしは……“リューズ”です」




 ◇ ◇ ◇




「おいひー」


 長ーいテーブルの上に、豪勢ごうせいな料理が所狭ところせましと並んでいる。絵本の中から飛び出してきたかのように、それはそれは種類豊富な逸品いっぴんが……


 ……???


 まず荷物持ちを引き受け、その後、二店舗ほど追加で寄って行った。そして、繁華街はんかがいに用もなくなり、混雑した道を抜けたころ。黒髪メイドのノアが、「お屋敷でお食事なさって行ってください。ささやかですが、お礼です」——と。


 今思えば、道中の会話でつい「一人暮らしだから、ご飯を作るのが大変で……」などとらしたのが始まりだった。さすがにいきなりお邪魔するのも申し訳ないとは思いつつ、抱えている大量の荷物を押し付けてはいさよならというのも本末転倒ほんまつてんとう。結局のところ、言われるがままに着いていくしかなかった。これが、一つ目の誤算。


 そして二つ目の誤算は、黒髪メイドのノアが本当にメイドであったうえ、それはそれは大きな屋敷に仕えていたということだ。街の東側は富裕層ふゆうそうの住まいが集まっていると聞いてはいたが、ここまでの規模だとは思っていなかった。

 少女リューズは、この屋敷の住人ないし使用人たちと思しき面々に混ざって食事をしている。心休まるものでは無い。ただ、かろうじて味は感じることができている。


 庭は故郷で一番大きかった噴水公園に負けないくらい広く、屋敷の外装は小国の城を彷彿ほうふつとさせる。もともとモヤモヤした気分だった田舎者がこんなところへ来てしまっては、いよいよ正気を保ってはいられない。


「こんなにたくさんおいしい料理を食べれるなんて、幸せですぅー」


 きっとアホ面を晒してしまっていることだろうが、そんなことを気に留めている余裕はない。しかし、緊張で料理が喉を通らないということもない。美味しすぎる。夢かうつつかも判然はんぜんとしない意識の中、もうパクパク止まらないのだ……。


「ふふ。みんなで集まってお食事なんて、いつ以来かしら」


 銀髪の女性が微笑ほほえんでいる。この屋敷の主人だ。突然の訪問にも関わらず、優しく受け入れてくれた。しかし、親切な人だったから良かったとはいえ、一緒に食べるなら先に教えてほしかった……。


 それはそうと、この人もとんでもない美人である。なんだか、絵画の中の世界にでも迷い込んでしまった気分だ。田舎者の自分の場違い感が否めない。


「いい食いっぷりだな、お嬢ちゃん。好きなだけ食っていってくれよ」


 料理人のおじさんもそう言っていることだし、まあ細かいことはいいか。

 そこから小一時間ほど、ひっきりなしに食べまくった。



 ◇



「ごちそうさまでした……」


 満足も満足、大満足。こんなにたくさんの料理を食べたのは、生まれて初めてだ。……しかし、さすがにがっつきすぎだっただろうか。


 屋敷の主の女性もこころよく受け入れてはくれたものの、やっぱり少なからず迷惑に思っていたのではなかろうか。同じ席にはほかにもほかにも四人ほど一緒に食事をしていたのだが、わずらわしくはなかっただろうか。……せっかくいい気分になっていたのに、土曜日がぶり返してきた。


 そんな余韻よいんとモヤモヤの入り混じるところに、黒髪を結ってまとめたノアが入室してくる。


「すみません、もう少しだけお待ちいただけますか? 今、ケーキを焼いているんです。いまはお腹いっぱいでしょうから、持ち帰って食べてください」


 至れり尽くせりとはこのことか。ちょっとした荷物持ちをしただけでここまでおもてなしを受けることができるなんて、都会ってすごい……と、ちょっとズレてそうな感想を抱く。


 それにしても、ノアは一足先に離席りせきしていたのでどうしたのだろうと思っていたのだが、ケーキを作っていたとは。買い物の際に抱えていた大量の荷物といい、今日は何らかの記念日だったのだろうか。……いや、これが普通なのだと言われてもさほど驚きはないか。


 さて、そろそろ帰宅かと意識し始める。名残惜しさもありつつ、屋敷の緊張感から解放されるという安心感も一入。自宅とは反対方面に来てしまったので、帰りはいつもより長い道のりになる。一応、用は済ませておきたいが……。


「お客様。何かございましたら、この“エレン”にお申し付けください」


 もじもじするリューズの様子を感じ取ったのか、部屋で一緒に食事をしていた青髪メイドのエレンが気を利かせる。


「えっと、おト……お手洗いをお借りしたくて」

「お手洗いでしたら、そちらの扉から出て左へ進んだところにございます」 


「す、すみません……。ありがとうございます」


 流石の空気読み能力と言ったところなのだが、とはいえちょっと恥ずかしい。


(出て左……)


 この屋敷は、廊下ひとつ取っても規模が半端ない。列車でも通す予定だったのだろうか?

 両側に同じような大きな扉がいくつもあって、ただ真っ直ぐ行けばいいだけであるにもかかわらず、道を間違えた気分にさせられる。前後左右の感覚がにぶってしまっているようだ。



 ◇



「ふぅ」


(それにしても、本当に広いなぁ……)


 トイレのすぐ横には、階段があった。上階への階段に挟まれるようにして、下への階段も伸びている。


(ただでさえ大きいのに、地下まであるんだ)


 地上階の白色の照明とは対照的に、地下への階段には暗い紫色の灯りが用いられている。屋敷の中にぽっかりと空いた奈落ならくのように見え、はっきり言って薄気味悪い。


 近寄る理由もない。さっさと部屋に戻ることにしよう……


(……ん? なんだろう)


 ——音が聞こえる。暗い階段の下から、微かに、聞こえてくる。リズミカルで、水面で跳ねる雨粒のように軽やかな、ピアノの音色。


 地下からだ。てっきり、さっき食事の際に集まった者たちで全員かと思っていたのだが、ここには他にも誰かいるのだろうか。屋敷の主のパートナー? それとも、音楽家にでも部屋を貸しているのだろうか? はたまた、誰かが閉じ込められて……まさか、凶悪なナニかを封印しているとか……?


 怪しい雰囲気の階段を眺めていると、どんどん不安な方向に思考が飛躍していく。でも、心の中で膨れ上がる気持ちは、恐怖ではなかった。


(……)


 ピアノの演奏が聞こえる。それは、広い世界を旅する未来を夢見るような、希望に満ちた旋律。


 でも、ほんの少しだけ……退屈さと、寂しさの混じった音色に聴こえた気がした。



 自分の足音がする。階段の一段目を踏み出すと、思ったよりも大きな音がして驚く。二歩目三歩目は、演奏の音色を邪魔しないよう、慎重に踏み出す。無意識のうちに、歩くリズムと演奏のリズムが揃う。


 薄暗い廊下に、大きな扉が現れる。間違いない。演奏は、ここから聞こえてくる。扉に手を当てて聴き入っていると、色々な感情が渦巻いているのが、なんだか遠くに感じて——



 ——素人である少女リューズの耳にも明らかなほどに、演奏が顕著に乱れる。いら立ちに身を任せた、音を放り捨てるような打鍵とともに、大きなため息が壁を貫通してくる。


『はぁー……飽きた!』


 ダーン!


「うわぁっ!」


 十の音が乱雑に重なったノイズが、薄暗く重苦しい空気を震わす。

 水たまりの水が撥ねないよう慎重に歩くような心境にあった少女リューズは、不意の爆音に驚いて自分が声を出してしまったことと、勢いよく尻餅をついてしまったことの二つを自覚するのに、そこそこの時間を要した。


『……えっ?』

「あっ……」


 部屋の中にいるのは多分、女の子だ。声から受ける印象からして、少女リューズは自分と同じか少し下くらいの年齢と推測する。

 一方、地下室の女の子のほうは部屋のすぐ目の前までやってきた侵入者が何者かを探るべく、震えつつも言葉を発する。


『ね、ねえ、誰かいるの……?』

「ええっ、えっと…………勝手に入ってきちゃってごめんなさい……。帰ります……」


 立ち上がって来た道を帰ろうと床に手をつく。……が、後ろ髪を引くように、地下室から声がする。


『ちょちょちょい、ちょっと待って! あのさ、お話ししようよ!』

「え?」


 どうやら、地下室の女の子もこちらが自分と近しい年齢の女子だと気づいた様子。警戒心が薄れたのか、先ほどよりも毅然きぜんとした口調で話しかけてくる。


『だって、ヒマなんだもん。こんなところ誰も来ないから、ロクに話し相手もいないの。ね、ちょっとでいいから付き合ってよ』

「え、ああ……」


 変な子だ。さっきまでおどおどしていたかと思えば、いきなり大きな態度で接してくる。

 ちょっと無遠慮で、ちょっと自己中で、ちょっと傲慢な……そんな印象を受ける。正直言って、初対面が学校だったら慣れ合うのを避けるタイプの子だと思う。


『ねえ、あんたは黎世記れいせいき、好き?』

「まあ、うん……」


 でも、不思議と悪い気分じゃない。

 それはきっと、こんなに馬鹿馬鹿しくて、突拍子もなくて……


「……ちょっとだけね」

『よしっ! それじゃあ、最初の話題は……“伝説の勇者が本名不明なんておかしいでしょ問題”について、とか!?』




 第一話 こんなにワクワクする出会いは、きっとわたしだけのものだから。


















 

 ◇ ◇ ◇



 ——ポケットの中から取り出した資料を見て、当時のことを思い起こす。



 ◇



 依頼完了後、あるいは出発前の請負人フリーランスたちで賑わう食堂。その隅の席で、青髪の女性が一人で資料を整理している。


「今回もご苦労だったね」


 両手に一つずつコーヒーを持った男が、その女性の元へ歩み寄る。


「……どうも」


 男は女性へカップを手渡すと、懐からいくつかの封筒を取り出す。


「見るかい?」

「いいえ、いつも同じですから」


 住民を見殺しにして、一人でノコノコ帰ってきやがって。

 どうせ囮にでも使ったのだろう、この悪魔が。

 二度とお前には頼まない。


「クレームに付き合っている暇はありませんから」


 意に介さないと言った様子で、彼女はコーヒーを口に含む。


「君だってたまには休んだら……。まあいい。今回、君に名指しで依頼が来ているんだ」


 そう言って、男は小奇麗な封筒を差し出す。

 護衛任務。ゼニス国の屋敷にて。勤続期間は状況に応じて。


「こういう仕事は……と思ったかい。でも、依頼主があまりに必死でね。内容も、一筋縄でいくようなものじゃない。是非君に──“冷徹のエレン”に頼みたいと」



 ◇



 今までの依頼は、どんな手を使ってでも達成してきた。利用できるものはなんでも利用する。今回も同じこと。


「リューズ、ね……」

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