第20話:空白の契約(第1章、完)
――記憶消滅まで、あと96時間。
雨に打たれ、虚ろな目で歩く小太郎の前に、一足の磨き上げられた革靴が止まった。
「おや、赤間くん。ひどい顔をしていますね」
傘を差し出したのは、阿久津だった。
彼がネクサスの内通者であり、先ほどまで自分たちを殺そうとしていたことさえ、今の小太郎の脳からは抜け落ちている。
「……あ、阿久津先生……。俺、……なんだか、全部わからなくなっちゃって……」
「ええ、知っていますよ。君は自由になったんです。重苦しい過去からも、救えなかった人々の遺志からも。……おいでなさい。君のその『欠落』を、世界を正すための力に変えてあげましょう」
阿久津が優しく差し出した手。
小太郎は、迷うようにその手を見つめた。
「赤間! 触れるなッ! そいつが、そいつが麻衣さんたちを!!」
後ろから駒が叫び、変身しようとする。しかし、神野を抱え、自身のスーツもボロボロの駒には、もはや戦う力は残っていなかった。
小太郎は、駒の叫びを聞き、首を傾げた。
「……あの、メガネの人……誰? 俺のこと、知ってるの?」
その言葉は、駒とりんの心に、どんな怪人の刃よりも深く突き刺さった。
完全に、忘れられた。
自分たちが共に過ごし、命を懸けて守り合ってきた絆が、小太郎の中では「ノイズ」にさえ残っていない。
「さあ、行きましょう、赤間くん。新しい『名前』を授けましょう」
阿久津の甘い誘いに導かれるように、小太郎はふらふらと歩き出す。
駒とりんが必死に伸ばした手は、阿久津が放った黒いノイズの壁に阻まれ、届かなかった。
「小太郎くーーーん!!」
りんの悲痛な叫びが雨の中に消えていく。
小太郎は一度も振り返ることなく、内通者と共に闇の中へと消えていった。
残されたのは、雨に濡れる学園の瓦礫と、ボロボロになった3人の戦士。
そして、小太郎が落としていった、焼け焦げた麻衣のヘアピンだけだった。
――第1章 完
第2章へ続く




