第19話:忘却の雨
――記憶消滅まで、あと120時間。
燃える学園の残骸から離れ、雨の降りしきる公園の東屋に、4人は逃げ延びていた。
重傷を負った神野を駒とりんが介抱し、周囲は死のような静寂に包まれている。
小太郎は一人、雨の中に立ち尽くしていた。
その手には、先ほどまで握りしめていた「麻衣のヘアピン」がある。
「……ねえ、駒先輩。りん」
小太郎が、不意に振り返った。
その顔には、先ほどまでの激しい怒りも、絶望も、慟哭の影もなかった。ただ、洗いたてのガラスのような、透き通った無垢な表情で微笑んでいる。
「俺、なんで泣いてるんだっけ。……それに、このヘアピン。誰のだったかな。すごく、大事なものだった気がするんだけど」
「小太郎、くん……?」
りんの喉が鳴る。その瞳に、恐怖の色が走った。
「思い出せないんだ。……さっきまで、誰かとすごく悲しいお別れをしたような気がするのに、その人の顔も、名前も、霧がかかったみたいに消えていくんだよ」
小太郎は、自分の頬を伝う涙を指で拭い、不思議そうにそれを見つめた。
「変だよね。心はこんなに痛くて、涙が止まらないのに。……中身が、空っぽなんだ」
「……っ!!」
駒が、唇を噛み切りそうなほど強く食いしばった。
計算していた「一週間」は、精神的なショックによって加速したのだ。小太郎の脳は、麻衣と校長を失った耐え難い苦痛を消し去るために、自らその記憶を「熱量」として燃やし尽くしてしまった。
「……赤間、小太郎」
壁に背を預けていた神野が、血を吐きながら声を出す。
「……お前は、今……本当の『英雄』になったんだ。……大切なものを全て失い、守るべき理由さえ忘れて……ただ、敵を討つだけの、空っぽの鋼に」
神野の言葉は、呪いのようだった。
小太郎は、手の中のヘアピンをそっとポケットにしまった。
「……そうか。俺、戦わなきゃいけないんだよね。誰と、何のためにかは……もうすぐ思い出せなくなるかもしれないけど」
小太郎は、雨空を見上げた。
雨粒が瞳に落ちる。
「……行こう。俺の中に、まだ少しだけ『熱いもの』が残っているうちに」
その瞳から、最後のハイライトが消えていく。
駒とりんは、自分たちの名前さえ忘れ去られる日が明日かもしれないという恐怖に震えながら、空っぽになった「レッド」の背中を追うしかなかった。
――記憶消滅まで、あと110時間。




