第18話:父と娘(こ)の終止符
――記憶消滅まで、あと137時間。
麻衣の漆黒の刃が、倒れた神野の喉元へ振り下ろされようとしたその時。
背後から、血塗れの、しかし鋼のような力強さを持った腕が、麻衣の胴体を強く抱きしめた。
「……そこまでだ、麻衣。……もう、いいんだ」
城ヶ崎校長だった。
瀕死のはずの彼が、折れた足で立ち上がり、かつて愛した娘の背中を、まるで幼い頃の彼女をあやすように優しく包み込んでいる。
「お、お父さん……? ……離して……対象を、排除……」
麻衣の合成音声に、一瞬だけノイズが混じる。
「小太郎、神野くんを連れて逃げろ。……駒くん、りんくん。……あとは、頼んだぞ」
校長が懐から取り出したのは、赤く点滅する起爆装置――ラボの全エネルギーを次元崩壊させる、文字通りの「自爆スイッチ」だった。
「校長、何言ってんだよ! 一緒に逃げるんだろ!? 麻衣だって、俺たちが絶対に元に戻すから!」
小太郎が叫びながら駆け寄ろうとする。だが、校長はそれを鋭い眼光で制した。
「……今の麻衣の魂は、既にネクサスの深淵に繋がっている。私が連れて行く。……これが、15年前から止まっていた、私の『英雄』としての最後の仕事だ」
「やめてよ! おじさん!!」
りんの叫びも虚しく、校長の身体から眩い光が溢れ出す。
「……麻衣。……お母さんのところへ、行こう」
校長の穏やかな声。
その瞬間、麻衣のバイザーの奥で、一筋の涙が流れたのを小太郎は見逃さなかった。
「……おと……うさ……ん……」
「走れぇぇぇ!!」
神野を肩に担いだ駒が、呆然とする小太郎の襟首を掴んで、非常脱出口へと飛び込む。
ドォォォォォォォォォォン!!
背後で、かつてない規模の爆発が起きた。
小太郎、駒、りん、そして神野。
4人を乗せた脱出ポッドが爆風に押し出されるように地上へ射出される中、小太郎の視界の端で、地下基地が「思い出」とともに崩落していくのが見えた。
地上に転がり出た小太郎たちは、煙を上げる学園の焼け跡を見つめていた。
校長も、麻衣も、もういない。
小太郎の手の中には、いつの間にか、焼け焦げた麻衣のヘアピンが握られていた。
「……あ、ああ……あああああああ!!」
降りしきる雨の中、小太郎の慟哭が響き渡る。
だが、その叫びの最中でさえ、彼の脳裏から、麻衣と校長と過ごした「放課後の風景」が、冷酷なノイズとともに一欠片ずつ消え始めていた。
――記憶消滅まで、あと136時間。




