第13話:日常の崩壊と内通者の牙
――記憶消滅まで、あと144時間。
朝、目が覚めた小太郎を襲ったのは、言いようのない違和感だった。
リビングへ降りると、台所で朝食を作る母親の背中がある。いつも通りの光景。だが、その背中に向かって声をかけようとした瞬間、喉が凍りついた。
(……え? おふくろの、名前……なんだっけ……?)
昨日までは当たり前に呼んでいたはずの名前が、記憶の引き出しからこぼれ落ちている。焦れば焦るほど、脳内にデジタルなノイズが走り、思考をかき乱す。
小太郎は朝食も取らず、逃げるように家を飛び出した。
学園の校門。
そこには、駒とりんが待っていた。二人の顔も、どこか青白い。
「……小太郎くん、おはよう。……今日は、何の日か覚えてる?」
りんの問いかけに、小太郎は言葉に詰まる。
「あ、ああ。……火曜日、だろ?」
「……水曜日だよ」
駒が沈痛な面持ちで眼鏡を直す。
「深刻だな。……私たちの脳の『インデックス』が、想像以上の速さで剥がれ落ちている」
三人が重い足取りで校舎へ入ろうとしたその時。
「おやおや、皆さん揃って浮かない顔ですね」
背後から声をかけてきたのは、数学教師の阿久津だった。
いつも穏やかな笑みを浮かべ、生徒たちの相談にも乗る人気の教師。小太郎たちも、幾度となく彼に励まされてきたはずだった。
「阿久津先生……。おはようございます」
「黒田くん、君ほどの秀才が、そんなに震えた手で何を持っているんだい?」
阿久津が、駒が抱えていた解析用デバイスを覗き込む。
その瞬間、小太郎は見た。
阿久津の瞳の奥に、人の温もりとは対極にある、あの**「漆黒のチップ」**と同じ冷徹な光が宿ったのを。
「先生、……あんた、……」
「おっと、気づくのが早すぎましたか。せっかく、もっと皆さんの『思い出』が美味しそうに熟すのを待っていたのですが」
阿久津の眼鏡が、逆光で白く光る。
彼の手首には、小太郎たちのデバイスをより凶悪に、より完成させたような**「黒いブレス」**が装着されていた。
「ネクサスは、君たちの『絶望』もまた、良質なエネルギー源だと考えていましてね。……さあ、授業を始めましょうか。**『自分を失う恐怖』**についての、特別授業を」
阿久津がブレスを叩く。
瞬間、校舎の壁や床から無数の黒いノイズが噴き出し、登校中の生徒たちの悲鳴が上がった。
「阿久津……ッ! てめぇ、教師の面して、佐藤や美咲を……!!」
小太郎が吼える。だが、阿久津は嘲笑うように告げた。
「彼らのデータをネクサスに送ったのは、私ですよ。……特に佐藤くんの空手データは、今の私の『護衛』に役立っています」
阿久津の背後の空間が歪み、かつての親友・佐藤と同じ構えを取る**「漆黒の兵士」**が姿を現した。




