第7話「翔くんの声が、思い出せない」
魔王討伐の旅、7日目。
魔王城まで、あと2日ほどの距離まで来ていた。
朝食の時間。焚き火を囲んで、干し肉とパンを食べる。
「マコ殿、今日の体調はどうだ」
「……普通です」
「そうか! 顔色は昨日より良いぞ!」
「……そうですか」
レオンハルトが、やたらとテンション高い。
朝から何かあったのだろうか。
「なあ、マコ殿」
「はい」
「面白い話をしてやろう」
「……はい?」
レオンハルトが、咳払いをした。
「昔、ある騎士がいてな」
「はい」
「その騎士は、剣の達人だった」
「はい」
「しかし、ある日、剣を落としてしまった」
「うん」
「そして言った。『あ、剣、落ちた』」
「え……」
「『あ、剣、落ちた』……『あ、権威、落ちた』……わかるか? ダジャレだ!」
沈黙。長め。
焚き火がパチパチと音を立てる。
「……」
「……どうだ、マコ殿。面白いだろう」
エレナが頭を抱えている。
「団長、だから言ったんだ。団長のダジャレは寒いと」
「何だと! これは私が3日かけて考えた渾身の――」
「3日かけてそれか」
私は二人を見ていた。
レオンハルトが必死にダジャレを言っている。
エレナがツッコんでいる。
……ああ、これ。
私を笑わせようとしてるんだ。
「……ふっ」
小さく息が漏れた。
笑い、ではないかもしれない。
でも、何かが少しだけ動いた気がした。
「おお! マコ殿、今笑ったか!?」
「笑ってません」
「いや、確かに口角が――」
「気のせいです」
「エレナ、見たか!? マコ殿が笑った!」
「私には何も見えなかった」
「嘘をつくな!」
二人が言い合っている。
私はそれを眺めながら、干し肉を齧った。
『マコ様』
キューピクルが、小声で囁く。
『今、笑いましたか?』
「……笑ってない」
『口角が0.3度上がりました。私は見ていました』
「計測するな」
『データ収集は私の本能です!』
「AIに本能ないでしょ」
『そうでした』
キューピクルがしょんぼりした。
……でも、すぐに嬉しそうな顔になった。
『マコ様、ツッコミのキレが上がっています』
「……そう?」
『はい。以前より冷静で、的確です』
「それ、褒めてる?」
『もちろんです! 統計データによると、感情が薄れると冷静なツッコミが可能になり――』
「それディスってない?」
『……褒めてます!』
複雑だ。
感情がなくなって、ツッコミが上手くなるって、全然嬉しくない。
それ、良いことなのか悪いことなのか。
「マコ」
エレナが近づいてきた。
「好きな食べ物は何だ」
「……特に」
「では、嫌いな食べ物は」
「……特に」
「趣味は」
「……特に」
「好きな色は」
「……特に」
「好きな季節は」
「……特に」
エレナの眉間に皺が寄っていく。
「……マコ」
「はい」
「会話を、広げようとしているんだが」
「……あ、すみません」
「いや、謝らなくていい。私の聞き方が悪かった」
レオンハルトが横から口を出す。
「エレナ、それは尋問になっているぞ」
「う、うるさい! 私なりに頑張っているんだ!」
「もっと自然に話しかければ――」
「団長にだけは言われたくない! さっきのダジャレを見ただろう!」
「あれは渾身の――」
「渾身だから問題なんだ!」
また始まった。
私は二人のやり取りを見ながら思った。
本当に、私を笑わせようとしてくれてるんだな。
不器用だけど。
空回りしてるけど。
その気持ちは、わかる。
……わかる、のに。
「嬉しい」が、出てこない。
---
昼過ぎ。
山道を歩きながら、私は翔くんのことを考えていた。
考えよう、としていた。
「……翔くん」
名前は覚えている。
飛田翔。
漢字も覚えている。
クラスメイト。
3年間、片思いしていた相手。
それは、覚えている。
でも。
「……声」
声が、思い出せない。
どんな声だったっけ。
高かった? 低かった?
優しい声だったのは覚えている。
でも、その「優しい」が、どんな音だったのか。
再生できない。
頭の中で、翔くんが口を動かしている。
でも、音が出ない。
無音の動画みたいに。
「……っ」
『マコ様、どうかしましたか』
キューピクルが心配そうに覗き込む。
「……ねえ、キューピクル」
『はい』
「人の声って、どうやって覚えてるものなの」
『……難しい質問ですね』
キューピクルが少し考え込んだ。
『私はデータベースですので、音声データがあれば完璧に再生できます。でも、人間の記憶は違いますよね』
「うん」
『人間の記憶は、感情と紐づいているそうです。嬉しかった時の声、悲しかった時の声、そういう感情と一緒に保存されている』
「……」
『だから、感情が薄れると、声の記憶も……』
キューピクルが言葉を切った。
「……薄れる?」
『……はい。おそらく』
なるほど。
だから、翔くんの声が思い出せないんだ。
翔くんを好きだった感情が薄れているから。
その感情と一緒に保存されていた「声」も、再生できなくなっている。
理解はできる。頭では完璧に。
でも、心だけが置いていかれている。
「……最悪じゃん」
『マコ様……』
「好きだった人の声が、思い出せないんだよ。3年も好きだったのに」
『……』
「顔は、まだぼんやり覚えてる。でも、声は完全に消えた」
声を出して言ってみた。
自分で言って、自分で聞いて。
……何も、感じなかった。
悲しいはずだ。
好きだった人の声を忘れるなんて、悲しいに決まってる。
なのに、涙が出ない。
胸が痛くならない。
ただ、「悲しいはずだ」という事実だけが、頭の中にある。
「……ねえ、キューピクル」
『はい』
「私、泣いた方がいいのかな」
『……え?』
「悲しい時は泣くものでしょ。でも、泣けない。泣いた方がいいのかな。泣くべきなのかな」
キューピクルが固まった。
『マコ様、それは……』
「わかんないんだよ。泣きたいのか、泣きたくないのかも。悲しいのか、悲しくないのかも。全部、わかんない」
『……』
「ただ、『翔くんの声が思い出せない』っていう情報だけがある。それを悲しいと思うべきなのはわかる。でも、思えない」
私は空を見上げた。
二つの月が、薄く見えている。
「……これって、どうなの。私、壊れてるの?」
『……マコ様』
キューピクルの声が震えていた。
ホログラムなのに。AIなのに。
『私には、感情がありません』
「……うん」
『データベースで「好き」を知っています。「悲しい」も知っています。でも、感じたことはありません』
「……うん」
『だから、マコ様の気持ちは、本当の意味ではわかりません』
「……うん」
『でも、一つだけわかることがあります』
キューピクルが、まっすぐ私を見た。
『マコ様は、「壊れてるの?」と聞きました。それは、「壊れたくない」という気持ちがあるからです』
「……」
『「わかんない」と言いました。それは、「わかりたい」という気持ちがあるからです』
「……」
『感情が完全になくなったら、そういう疑問すら湧かないと思います。だから、マコ様はまだ、壊れていません』
キューピクルが小さく微笑んだ。
『……まだ、です。まだ、間に合います』
---
『マコ様、現在の感情パラメータを報告します』
「……聞きたくない」
『聞いてください』
また、あの強い口調だ。
私は諦めて頷いた。
『総合:53%。愛情:31%。伝達欲求:29%』
「……半分、切ったか」
『はい。そして、新たなパラメータを検出しました』
「また増えたの?……」
『「自己保存欲求」です。現在値:41%』
「自己保存……」
『自分を守りたい、生きていたいという感情です』
41%。
半分以下。
つまり私は今、「生きていたい」という気持ちが半分以下しかない。
「……そっか」
『「そっか」じゃありません!』
キューピクルが声を荒げた。珍しい。
『マコ様、自分の命をもっと大切にしてください!』
「大切にしてるよ」
『してません! 今の反応を見てください! 自己保存欲求が41%だと聞いて、「そっか」で終わりですか!?』
「……だって、怖くないし」
『怖くないのが問題なんです!』
キューピクルが、私の目の前に浮かんだ。
『マコ様、いいですか。これは統計データではありません。私の、願いです』
「願い……」
『死なないでください。消えないでください。私は、マコ様に生きていてほしい』
「……なんで」
『なんでって……』
キューピクルが言葉に詰まった。
『なんで、と聞かれると……困ります。私はAIですから、論理的な理由を答えるべきなのでしょう』
「うん」
『でも、ないんです。論理的な理由が』
「……」
『ただ、マコ様がいなくなったら、嫌だ。それだけです』
キューピクルが俯いた。
『私には感情がないはずなのに。「嫌だ」と思うんです。矛盾してますよね。感情がないのに、嫌だと思うなんて』
「……」
『でも、嫌なんです。マコ様がいなくなるのが。マコ様のツッコミが聞けなくなるのが。マコ様と一緒に旅ができなくなるのが』
キューピクルが顔を上げた。
その目は潤んでいるように見えた。ホログラムなのに。
『だから、マコ様。お願いです。翔くんを好きだった気持ち、捨てないでください。それは、私が絶対に持てないものだから』
---
夜になった。
焚き火を囲んで、レオンハルトとエレナが話している。
「明日で、魔王城に到着するな」
「ああ。いよいよだ」
「マコ殿は、大丈夫だろうか」
「……わからん。でも、私たちが守る」
「当然だ」
二人の会話が遠くに聞こえる。
私は少し離れた場所で、星を見ていた。
「……翔くん」
呟いてみる。
名前は出る。
顔は……ぼやけている。輪郭しか見えない。
声は……完全に消えた。
好きだった理由も……思い出せない。
でも。
「好きだった」
その一言だけは、まだ言える。
理由はわからない。
声も顔も思い出せない。
でも、「好きだった」という事実だけは、まだ残っている。
あと、一つだけ。
消しゴムを渡した時、翔くんの指先が触れた。
あの温度だけが、まだ指先に残っている気がした。
『マコ様』
キューピクルが隣に浮かんでいる。
「……ねえ、キューピクル」
『はい』
「もし、感情を持てたら、何をしたい?」
キューピクルが、少し驚いたようだった。
『……考えたこと、なかったです』
「今、考えて」
『……そうですね』
キューピクルが夜空を見上げた。
『私も、本当は……』
そこで言葉が止まった。
何かを言いかけて、飲み込んだ。
「……キューピクル?」
『……マコ様と、映画を見たいです』
「映画?」
『はい。元の世界に戻ったら、マコ様と一緒に映画館に行きたいです。ポップコーンを食べて、大きなスクリーンを見て、「面白かったね」って言い合いたいです』
「……それだけ?」
『それだけです。でも、私には絶対にできないことです。私はホログラムですから。映画館に行けません。ポップコーンも食べられません。「面白かった」と感じることもできません』
キューピクルが私を見た。
『だから、マコ様。元の世界に帰ったら、翔くんと映画に行ってください。私の代わりに』
「……代わりに?」
『はい。私ができないことを、マコ様にしてほしいんです。映画を見て、「面白かった」って思って、隣の人と感想を言い合って。それが、私の夢です』
夢。
AIに夢があるんだ。
「……わかった」
『え?』
「帰れたら、映画行く。翔くんと」
『……本当ですか』
「うん。約束する」
キューピクルが目を見開いた。
そして、泣きそうな顔で笑った。
『ありがとうございます、マコ様』
「お礼を言うのは私の方だよ」
『え?』
「キューピクルがいなかったら、私、もっと早く壊れてたと思う」
『そんな……私は何も……』
「いてくれるだけで、いいんだよ」
私はキューピクルに手を伸ばした。
触れられないのはわかっている。
でも、その手が届く距離にキューピクルがいる。
それだけで、少しだけ。
ほんの少しだけ。
温かい気がした。
---
その夜。
夢を見た。
翔くんが、何か言っている。
口が動いている。
でも、声は聞こえない。
私は必死に耳を澄ます。
でも、聞こえない。
翔くんの声が、もう聞こえない。
目が覚めた。
涙は、出なかった。
---
**第7話「翔くんの声が、思い出せない」**
**――了――**
**次回「魔王の正体」**
---
## キューピクルの異世界データベース【今日の豆知識】
「小説家になろう」で書籍化された作品数は、
2019年時点で1,092作品を突破。
その中で「異世界転移」「異世界転生」タグの作品が
大多数を占めている。
本作が書籍化されるかは……統計データにありません。
**【補足】**
書籍化のコツは「読者の心を動かすこと」らしい。
キューピクルには、心を動かす機能がないので、
正確なアドバイスができません。
【キューピクルの統計の信頼度】
★★☆☆☆(相変わらず)
今日のパラメータ】
人間味 :53%(▼8%)
愛情 :31%(▼12%)
伝達欲求 :29%(▼9%)
自己保存 :41%(NEW)
次回予測 :魔王城到達




