第6話「声が、出ない」
第6話「声が、出ない」
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魔王討伐の旅、五日目。
北の山脈に向かう道は、日に日に険しくなっていた。
馬車を降りてからは徒歩移動が続き、雪の残る岩肌が靴の裏をじわじわ削ってくる。
「マコ殿、大丈夫か」
先頭を歩くレオンハルトが振り返った。
「……はい」
「顔色が悪いぞ。休憩するか」
「……大丈夫です」
「マコ」
今度は隣からエレナが歩調を合わせてくる。
「無理をするな。私の肩を使え」
「いや、私の肩を使ってくれ、マコ殿」
「団長、私が先に声をかけた」
「私の方が先に気づいていた」
二人が私を挟んで睨み合う。
……重い。
朝からずっとこうだ。
「マコ殿、喉は渇いていないか。水を飲むか」
「私の水筒の方が冷えている。マコ、こちらを」
「いや、私の水筒には薬草を入れてある。体に良いぞ」
「薬草より、純粋な水の方が――」
「二人とも、大丈夫ですから……」
声を出すのも、だんだん億劫になってきた。
『マコ様、現在の感情パラメータは64%です』
キューピクルが淡々と報告する。
「……また減った」
『はい。1日あたり約3〜5%の自然減少が続いています』
「呪文、使ってないのに」
『残留効果による消耗が続いているようです』
残留効果。
私が存在するだけで、周りの人を惹きつけてしまう。
その代償として、私の感情が削られていく。
「……歩くだけで減るとか、課金ゲーのスタミナかよ」
『的確な比喩です』
「褒めてない」
『そうですか』
キューピクルがしょんぼりした。
もう何回目だろう。
数えるのをやめてから、さらに何回目だろう。
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山道を登っていく。
レオンハルトが先頭、エレナが後方、私は真ん中。
いつもの隊列だ。
「この先に、魔王軍の前線基地があるらしい」
レオンハルトが振り返る。
「偵察を行い、可能であれば排除する。マコ殿は後方に下がっていてくれ」
「……はい」
「危険があれば、呪文を使ってくれ。お前の力が、我々には必要だ」
**お前の力が、必要だ。**
その言葉が、胸に刺さった――はずだった。
「……はい」
『マコ様、「呪文を使いたくない」と伝えた方が――』
キューピクルが小声で囁く。
私は首を横に振った。
『なぜですか。このまま使い続ければ、マコ様の感情は――』
「わかってる」
小声で返す。
「でも、言えない」
『言えない?』
「私、この人たちに『お前の力が必要だ』って言われて、ここにいるんだよ」
キューピクルが黙った。
「呪文が使えなくなったら、私、何の役にも立たない。剣も使えない、魔法も使えない、ただの女子高生だよ」
『でも、マコ様の体が――』
「わかってるって」
わかってる。
このまま使い続けたら、私は壊れる。
でも。
「『使いたくない』って言ったら、見捨てられるかもしれないじゃん」
『レオンハルト様もエレナ様も、そんなことは――』
「わかんないでしょ、そんなの」
声が少し大きくなった。
レオンハルトが振り返る。
「マコ殿? どうかしたか」
「……いえ、何でも」
何でもない。
何でもないふりをするしかない。
だって私は――
十五文字の告白すらできなかった人間だ。
「映画行かない?」が言えなかった人間だ。
そんな私が、「呪文使いたくない」なんて言えるわけない。
「嫌です」の三文字すら、きっと言えない。
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前線基地が見えてきた。
岩山の中腹に、粗末な砦が建っている。
旗がはためき、魔物の兵士らしき影が動いている。
「数は……二十体程度か」
エレナが目を細める。
「私と団長で対処できる範囲だな」
「ああ。マコ殿、ここで待っていてくれ」
「……はい」
二人が砦に向かって駆け出す。
私は岩陰に隠れて見守ることしかできない。
『マコ様、何かあれば呪文を使う準備を』
「……うん」
呪文を使えば、敵を味方にできる。
でも、そのたびに感情が削られる。
今の私に、どれだけの余裕があるんだろう。
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戦闘が始まった。
レオンハルトの剣が閃く。
エレナの剣が舞う。
二人の連携は見事だった。
魔物が次々と倒されていく。
「さすがだな……」
私は、ただ見ているだけ。
何の役にも立たない。
でも、「役に立ちたい」という焦りすら薄い。
『マコ様、敵増援です』
キューピクルの声が響いた。
見ると、砦の奥から新たな魔物が現れている。
さっきまでの雑魚とは違う。巨大な体躯。禍々しいオーラ。
「中ボスか……!」
レオンハルトが剣を構え直す。
エレナも身構える。
だが、その時。
「団長、後ろ!」
エレナが叫んだ。
レオンハルトの背後に、別の魔物が忍び寄っていた。
「くっ……!」
レオンハルトが振り返る。だが、間に合わない。
エレナが飛び出した。
レオンハルトを庇い、魔物の攻撃を受け止める。
「エレナ!」
「問題ない……! 団長は前に集中しろ……!」
エレナが魔物と斬り結ぶ。
だが、中ボスがエレナに向かって突進してきた。
背後からの攻撃。
エレナは気づいていない。
「――っ」
私は叫ぼうとした。
「逃げて」と。
「後ろ」と。
口を開く。
喉に力を込める。
でも――
「――」
声が、出なかった。
声の手前で、音だけが崩れた。
空気だけが口から漏れた。
「――っ」
必死に口を動かす。
エレナ。
逃げて。
後ろ。
どれでもいい。何でもいい。
声を出せ。出すんだ。
「――」
出ない。
何も、出ない。
『マコ様、発声機能に異常が――』
キューピクルの声が遠く聞こえる。
エレナの背後に、中ボスが迫る。
私は声も出せずに見ているしかない。
体が動かない。
足が縫い付けられたように動かない。
ただ、口だけがパクパク動いている。
音のない叫び。
届かない警告。
「――っ」
その時。
エレナが振り返った。
私の口の動きを読んだみたいに。
剣を翻し、中ボスの攻撃を受け止める。
「舐めるな……!」
エレナが反撃する。
剣が閃き、中ボスの胴を切り裂く。
魔物が消滅した。
「……ふう」
エレナが息をつく。
レオンハルトも残りの魔物を片付けていた。
「終わったな」
「ああ。思ったより手強かった」
二人が無事だった。
エレナが、私の口の動きを読んで、対処した。
……届いた、のか?
声は出なかったのに。
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「マコ殿!」
レオンハルトが駆け寄ってくる。
「大丈夫か! 怪我はないか!」
私の顔を両手で挟んで覗き込んでくる。近い。
「マコ!」
エレナも走ってきた。
「顔が真っ青だ。どこか痛むのか」
レオンハルトの手を払いのけて、私の額に手を当てる。
「熱はない……が、震えている」
「マコ殿、私の外套を羽織るといい」
レオンハルトが外套を脱ぎ始める。
「団長、私の外套の方が軽くて温かい」
エレナも外套を脱ぎ始める。
「いや、私の方が――」
「私の方が――」
二人がまた睨み合う。
また、だ。
「……」
返事をしようとする。
でも、声が出ない。
「マコ殿?」
レオンハルトが怪訝な顔をする。
私は首を横に振った。
大丈夫。怪我はない。
声が出ないだけ。
「……マコ」
エレナの目が真剣になった。
「さっき、何か言おうとしていたか」
私は頷いた。
「私に、警告を?」
また頷く。
声が出ない。悔しい。
悔しいはずなのに、その感情も薄い。
「……届いていた」
エレナが静かに言った。
「声は聞こえなかった。でも、お前の口が動いているのが見えた。必死に何かを伝えようとしているのが」
「……」
「だから振り返った。お前が教えてくれたんだ」
エレナが私の手を握った。
「ありがとう、マコ」
……届いて、いたんだ。
声は出なかったのに。
言葉にならなかったのに。
それでも。
「団長、マコの様子がおかしい。声が出ていない」
「何だと」
レオンハルトが私の顔を覗き込む。
「マコ殿、私の声は聞こえるか」
頷く。
「喋れないのか」
頷く。
「いつからだ」
首を傾げる。わからない。
「エレナ、休息を取ろう。マコ殿の体調が心配だ」
「ああ。私もそう思っていた」
二人が私を両側から支える。
「私がマコ殿を運ぶ」
「いや、私が運ぶ」
「私の方が力がある」
「私の方がマコに負担をかけない運び方ができる」
また、睨み合っている。
……いい加減にしてほしい。
でも、「いい加減にして」という声も出ない。
私は二人に挟まれたまま、ただ黙っているしかなかった。
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岩陰で休憩する。
レオンハルトとエレナが、私の両隣に座っている。
離れない。全然離れない。
「マコ殿、水を」
「マコ、私の干し肉を食べるか」
「マコ殿、寒くないか。もっと寄るか」
「団長、近すぎる。マコが困っている」
「お前こそ近い」
……重い。
ありがたいはずなのに、重い。
『マコ様、少し離れてもらった方がいいのでは』
キューピクルが小声で言う。
私は首を横に振った。
『なぜですか』
声が出ないから、口の動きだけで伝える。
――言えない。
『また、ですか』
頷く。
この二人に「近いから離れて」なんて言えない。
「呪文使いたくない」も言えない。
「嫌です」も言えない。
私は、何も言えない人間だ。
昔から、ずっと。
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少し時間が経って、レオンハルトが立ち上がった。
「私は周囲の警戒をしてくる。エレナ、マコ殿を頼む」
「ああ」
レオンハルトが離れていく。
エレナと二人きりになった。
「……マコ」
「……」
声が、まだ出ない。
「声が出ないのは、あの呪文の副作用か」
頷く。
「使うたびに、お前の何かが削られているのだな」
また頷く。
エレナは鋭い。
呪文で落としたはずなのに、ちゃんと私のことを見ている。
「……マコ」
エレナが私の手を握った。
「使いたくないなら、使わなくていい」
「……っ」
思わず、エレナを見る。
「私と団長がいる。お前が呪文を使わなくても、魔王は倒せる」
言いたいことが、たくさんある。
でも、声が出ない。
「お前は、自分を犠牲にしすぎだ」
エレナが私の目をまっすぐ見た。
「私たちは、お前の力が欲しくてここにいるんじゃない。お前と一緒にいたいからここにいるんだ」
嘘だ。
最初は「お前の力が必要だ」って言ったじゃないか。
でも、その言葉は声にならない。
「……信じられないか」
私は頷いた。
「そうか」
エレナは悲しそうに笑った。
「なら、信じられるまで、何度でも言う。私はお前が好きだ。お前の力じゃなく、お前自身が」
その言葉に、何か言わなきゃいけない気がした。
「ありがとう」とか、「嬉しい」とか。
でも、声が出ない。
だから私は、ただ、エレナの手を握り返した。
それが、今の私にできる精一杯だった。
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しばらくして、声が戻ってきた。
『マコ様、発声機能、回復しています。話せますか』
「……あ」
声が、出た。
掠れているけど、出た。
「……話せる」
「マコ! 声が……」
エレナが安堵の表情を見せた。
「よかった……本当に、よかった……」
エレナが私を抱きしめた。
強く。でも、優しく。
「……エレナさん」
「さん付けはいい。エレナでいい」
「……エレナ」
「ああ」
「……ありがとう」
言えた。
社交辞令じゃなく、言えた。
掠れた声で、やっとだけど。
レオンハルトが戻ってきた。
「おお、マコ殿! 声が戻ったのか!」
駆け寄ってきたレオンハルトは、エレナが私を抱きしめているのを見て固まった。
「……エレナ」
「なんだ」
「抜け駆けは許さんぞ」
「抜け駆けではない。看病だ」
「看病に抱擁は必要ない」
「必要だ」
「必要ない!」
また始まった。
でも、なぜか――
それが、少しだけ嬉しかった。
嬉しい、と思えた。
ほんの少しだけ。
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その夜。
野営地で、私は一人で星を見ていた。
空には、相変わらず月が二つ浮かんでいる。
『マコ様』
キューピクルが隣に浮かんでいる。
『現在の感情パラメータを報告します』
「……聞きたくない」
『聞いてください』
また、あの強い口調だ。
『総合:61%。愛情:43%。そして――』
キューピクルが一度言葉を切った。
『「伝達欲求」という新しいパラメータを検出しました。現在値:38%』
「伝達欲求……」
『誰かに何かを伝えたいという感情です。これが一定値を下回ると、発声が困難になるようです』
言葉を探すほど、世界が遠のいていく感じがした。
「……38%か」
『はい』
「あと、どれくらい持つの」
『このペースだと、3日程度で20%を切ります。そうなると、日常会話も困難になる可能性があります』
三日。
たった三日で、私は喋れなくなるかもしれない。
「……そっか」
それだけしか、言えなかった。
怖いはずだ。
喋れなくなるなんて、怖いはずだ。
でも、恐怖のパラメータもきっと下がっているんだろう。
だから「怖い」と感じられない。
「……ねえ、キューピクル」
『はい』
「さっき、エレナが言ってたこと」
『「使いたくないなら、使わなくていい」ですか』
「うん。……信じていいのかな」
『……私には、わかりません』
キューピクルが正直に答えた。
『でも、エレナ様の目は本気でした。呪文の効果だとしても、あの言葉は本心だったと思います』
「呪文の効果で本心……変な話だね」
『はい。でも、人間の感情は複雑です。きっかけが呪文でも、その後に育った感情は本物かもしれません』
「……そっか」
そうなのかもしれない。
最初は呪文で落とした。
でも今は――
……わからない。
信じたい気持ちと、信じられない気持ちが混ざっている。
でもその「信じたい」という気持ちすら、だんだん薄れていく。
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「……ねえ、キューピクル」
『はい』
「異世界ものの元祖って、なに」
なぜか、そんなことを聞いていた。
キューピクルが少し驚いたようだった。
『……それは、諸説ありますが』
「教えて」
『一般的には、1865年の『不思議の国のアリス』が異世界ものの元祖とされています』
アリス。
穴に落ちて、不思議の国に行く話。
「アリスか……」
『はい。普通の少女が、異世界に迷い込む。最も古典的なパターンです』
「アリスは、帰れたんだっけ」
『はい。夢から覚めて、元の世界に戻りました』
「……夢、か」
これも、夢なのかな。
目が覚めたら、元の世界に戻れるのかな。
翔くんの顔を、ちゃんと思い出せるようになるのかな。
「……私は、帰れるのかな」
『……わかりません』
キューピクルが正直に答えた。
『でも、私は信じています。マコ様は帰れると』
「根拠は」
『ありません。ただの、願望です』
願望。
AIに願望があるんだ。
「……ありがと」
『いえ』
キューピクルが少しだけ笑った。
私も、笑おうとした。
口角はかろうじて上がった。
それが笑顔に見えたかどうかは、わからなかった。
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目を閉じる。
明日も旅は続く。
魔王城に向かって。
私の感情が削られていく旅が。
声が出なくなるまで、あと何日だろう。
翔くんのことを完全に忘れるまで、あと何日だろう。
でも、今日。
エレナの言葉が、少しだけ嬉しかった。
**「お前の力じゃなく、お前自身が好きだ」**
その言葉を、信じてみようと思った。
信じる感情が、まだ残っているうちに。
考えているうちに、意識が遠のいていく。
――夢の中で、誰かが呼んでいた。
でも、その声は聞こえなかった。
聞こえないのか、聞こえる機能が壊れたのか。
もう、わからなかった。
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**第6話「声が、出ない」 了**
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## 次回予告
**次回「翔くんの声が、思い出せない」**
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## キューピクルの異世界データベース【今日の豆知識】
異世界ものの元祖は、
1865年の **『不思議の国のアリス』** とされている。
普通の少女が異世界に迷い込み、
不思議な体験をして、元の世界に戻る。
この構造は、150年以上経った今でも
異世界ファンタジーの基本形として生き続けている。
**【補足】**
アリスは「夢オチ」で帰還した。
マコの帰還方法は……まだ不明。
**【キューピクルの統計の信頼度】**
★★★★☆(これは文学史的にガチ)
【今日のパラメータ】
人間味 :61%(▼10%)
愛情 :43%(▼9%)
伝達欲求:38%(NEW)
次回予測:さらに低下の見込み




