第12話「名前のない温かさ」
目が覚めた。
白い天井。
知っている匂い。
私の、部屋だ。
「……帰ってきた」
体を起こす。
窓の外は、朝日が差し込んでいる。
スマホを見ると、あの日の朝だった。
告白しようとして、できなかった、あの日。
「……キューピクル」
呼んでみた。
返事はない。
当たり前だ。
キューピクルは、もういない。
私を守るために、消えた。
光の粒子になって、消えた。
「……」
胸が、痛い。
感情は58%まで回復している。
だから、痛い。
キューピクルがいないことが、ちゃんと痛い。
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学校に行く。
教室に入る。
翔くんが、いた。
サラサラの黒髪。
優しそうな目。
窓際の席で、本を読んでいる。
「……」
顔は、思い出せた。
声も、少しずつ戻ってきている。
でも、一番鮮明なのは、やっぱり指先の温度だった。
消しゴムを渡した時の、あの温かさ。
私は、翔くんの席に向かった。
「あ、甲賀さん。おはよう」
翔くんが、顔を上げた。
笑っている。
その笑顔を見て、私は思った。
ああ、この人のことが好きだったんだ。
3年間、ずっと。
声も顔も忘れても、この気持ちだけは消えなかった。
「翔くん」
「ん?」
「……話があるの」
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屋上。
風が吹いている。
翔くんが、私の前に立っている。
「話って?」
「……」
言葉が、出てこない。
47回失敗した告白。
48回目。
今度こそ。
『マコ様、15文字ですよ。「好きです、付き合ってください」。それだけです』
キューピクルの声が、聞こえた気がした。
もちろん、幻聴だ。
キューピクルはもういない。
でも、背中を押された気がした。
「翔くん」
「うん」
「私……」
声が震える。
でも、止まらない。
「翔くんのことが、好きです」
言えた。
やっと、言えた。
「……」
翔くんが、目を丸くしている。
「付き合って、ください」
15文字。
たった15文字。
3年かかった。
異世界まで行った。
大切な友達を失った。
それでやっと、言えた。
「……甲賀さん」
翔くんが、口を開いた。
「俺も、甲賀さんのこと、気になってた」
「え……」
「いつも俺のこと見てたでしょ。気づいてたよ」
「……バレてたの」
「うん。でも、甲賀さん、いつも逃げちゃうから」
翔くんが、笑った。
「やっと、捕まえた」
「……」
涙が出た。
58%の感情で、ちゃんと泣けた。
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放課後。
翔くんと一緒に帰る約束をした。
映画を見に行く約束もした。
キューピクルとの約束。
私の代わりに、翔くんと映画に行ってください。
私の分まで、「面白かった」って思ってください。
「……キューピクル」
心の中で呟いた。
「約束、守るね」
返事はない。
でも、どこかで聞いてくれている気がした。
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そして、その日の昼休み。
事件は起きた。
「皆さん、転校生を紹介します」
担任の先生が、教室の前に立っていた。
転校生?
こんな時期に?
「どうぞ、入ってきて」
教室のドアが開いた。
一人の男子が入ってきた。
「……っ」
私は、息を呑んだ。
銀色の髪。
赤い瞳。
整った顔立ち……なのに、なぜか黒縁メガネ。
猫背気味で、視線が泳いでいる。
教壇の前に立っているのに、存在感が薄い。
なんというか……陰キャだ。
端正な顔してるのに、オーラが完全に陰キャ。
……嘘でしょ。
「自己紹介をお願いします」
「あ、はい……」
転校生が、小さな声で言った。
「九重、久比人です……。くのえ、くぴと……」
くぴと。
キューピクル。
「趣味は……統計、です……」
統計。
「好きな食べ物は……ポップコーン、です……」
ポップコーン。
「よろしく、お願いします……」
ぺこり、と頭を下げる。
その動作が、どこか見覚えがあった。
しょんぼりする時の、キューピクルの動き。
「九重くん、席はあそこね。甲賀さんの隣」
「あ、はい……」
九重くんが、私の隣の席に向かってくる。
途中で机の角に足をぶつけた。
「いたっ……」
どんくさい。
本当に、どんくさい。
そして、私の隣に座った。
「……あ」
九重くんが、私を見た。
赤い瞳が、少し見開かれる。
「なんだろう……」
「え?」
「初めて会ったはずなのに」
九重くんが、首を傾げた。
「君を見ると、胸のあたりが、温かくなる」
「……」
「これ、何ていうんだろう。名前がわからない」
九重くんが、自分の胸に手を当てた。
「人間の感情とは、違う気がする。でも、何かがある。確かに、何かがある」
「……」
「悪くない感じ、なんだけど……君、何か知ってる?」
私は、九重くんを見つめた。
銀髪。赤い瞳。黒縁メガネ。陰キャオーラ。
そして、「名前のわからない温かさ」。
「……キューピクル?」
「え? キューピクル? 何それ」
九重くんが、本気で首を傾げている。
知らないんだ。
自分が誰だったか、覚えていないんだ。
でも、「何か」は残っている。
名前のない、温かい何か。
それは、私たちが一緒に過ごした時間の痕跡。
私が大切にした分だけ、九重くんの中に残った「機能的感情」の名残。
「……なんでもない」
「そう? 変な人だね、君」
「あんたに言われたくない」
「あはは、そうかも」
九重くんが、笑った。
その笑顔が、キューピクルにそっくりだった。
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昼休み。
翔くんが、私の席に来た。
「甲賀さん、一緒にお昼――」
翔くんが、九重くんを見て止まった。
「……誰?」
「あ、転校生の九重くん」
「へえ……」
翔くんが、九重くんを見る。
九重くんも、翔くんを見る。
「……」
「……」
なんだろう、この空気。
「君が、翔くん?」
九重くんが言った。
「え、俺のこと知ってるの?」
「いや、知らない。でも、なんとなく……」
九重くんが、また胸に手を当てた。
「君を見ると、複雑な気持ちになる。嬉しいような、悔しいような」
「は?」
「ライバル、みたいな? よくわかんないけど」
「いや、初対面でライバルとか言われても……」
翔くんが困惑している。
私も困惑している。
九重くんだけが、不思議そうな顔をしている。
「あ、そうだ」
九重くんが、私を見た。
「さっきから気になってたんだけど」
「何?」
「映画、好き?」
「……え?」
「なんか、君と映画を見たい気がする。理由はわからないけど」
映画。
キューピクルとの約束。
一緒に映画を見たかった。
ポップコーンを食べたかった。
「面白かったね」って言い合いたかった。
「……今度、翔くんと映画見に行くんだ」
「へえ」
「……九重くんも、来る?」
翔くんが、私を見た。
驚いた顔をしている。
でも、私は続けた。
「三人で、見よう」
「……いいの?」
「うん。だって……」
私は、九重くんを見た。
「あんた、私の大切な友達だから」
「え、初対面だよね?」
「いいの。そういうことにしておいて」
「変な人だなあ……」
九重くんが、困ったように笑った。
「でも、嬉しい。友達、いなかったから」
「……そういうとこ」
「え?」
「そういうとこが、あんたなんだよ」
「よくわかんないけど、ありがとう」
翔くんが、ため息をついた。
「俺、置いてけぼりなんだけど」
「ごめん、翔くん。でも、三人で見よう?」
「……まあ、いいけど」
翔くんが、九重くんを見た。
「よろしく、九重」
「よろしく、翔くん」
二人が、握手をした。
その瞬間。
「……オストキメトキス」
小さく、九重くんが呟いた。
「え?」
「え?」
翔くんと私が、同時に九重くんを見た。
「九重くん、今、なんて……」
「え、僕、何か言った?」
「オストキメトキスって……」
「オスト……? 何それ、呪文?」
九重くんが、本気で首を傾げている。
自分で言ったのに、わかっていない。
「……なんでもない」
私は、そう言って誤魔化した。
でも、心臓がバクバクしていた。
やっぱり。
九重くんは、キューピクルなんだ。
記憶はなくても、どこかに残ってる。
私たちの旅が。私たちの呪文が。
そして、私を大切に思ってくれた気持ちが。
名前のない、温かい何かとして。
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放課後。
三人で、校門を出た。
「映画、何見る?」
「なんでもいいよ。九重くんは?」
「僕も、なんでも。……あ、でも」
「でも?」
「恋愛ものがいいな。なんとなく」
翔くんが、私を見た。
私も、翔くんを見た。
そして、三人で笑った。
「恋愛ものね。いいんじゃない」
「うん、いいと思う」
「やった。じゃあ、ポップコーンは僕が買うね」
「なんで九重くんが?」
「わかんない。でも、買いたい気がする」
九重くんが、嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て、私は思った。
キューピクルは、消えてなんかいない。
形を変えて、ここにいる。
記憶はなくても、感情はなくても。
私と過ごした時間は、九重くんの中に残っている。
「名前のない温かさ」として。
「よくわからないけど嬉しい気持ち」として。
それは、人間の感情とは違うかもしれない。
でも、確かに、そこにある。
私が大切にしたから、育った何か。
キューピクルが私を大切にしてくれたから、残った何か。
……でも。
心のどこかで、小さな声がした。
いつか、選ばなきゃいけない日が来る。
翔くんか、九重くんか。
その日が来るのが、少しだけ怖かった。
幸せの形は、まだ決められない。
でも、今は。
今は、三人でいられる時間を、大切にしたい。
陰キャの甲賀魔子。
17歳。女。
告白成功回数、1回。
異世界帰還済み。
大切な友達を失って、また見つけた。
これは、そんな私の物語。
終わりじゃない。
始まりでもない。
ただ、続いていく。
私と、翔くんと、九重くんの物語は。
これからも、ずっと。
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**――完――**
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## キューピクルの異世界データベース
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### 【最後の統計】
ラブコメの結末パターン:
- 単独エンド(ヒロイン一人と結ばれる)
- ハーレムエンド(複数のヒロインと結ばれる)
- オープンエンド(未来は読者の想像に委ねる)
本作は、3番目。
マコ様がこれから誰を選ぶのか、
それは、マコ様自身が決めること。
統計データには、答えがありません。
### 【補足】
でも、一つだけわかることがあります。
マコ様は、幸せになります。
それだけは、保証します。
### 【キューピクルの統計の信頼度】
★★★★★(最後まで、当てになりませんでした。でも、マコ様の味方でした)
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### 【最終パラメータ】
- 人間味 :58%(↑継続回復中)
- 愛情 :67%(↑急上昇)
- 伝達欲求 :72%(↑告白成功)
- 自己保存 :61%(↑安定)
- 自己肯定 :75%(MAX更新中)
- 幸福度 :∞(測定不能)
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## 【九重久比人より】
僕は、キューピクルという名前を知らない。
異世界のことも、覚えていない。
マコ様と呼んでいたことも、統計データを語っていたことも。
でも、一つだけわかることがある。
甲賀さんを見ると、胸が温かくなる。
それが何なのか、僕にはわからない。
人間の感情とは、違う気がする。
でも、悪いものじゃない。
むしろ、とても大切なものだと思う。
名前がなくても、定義できなくても。
確かに、ここにある。
甲賀さんが僕を大切にしてくれたから、育った何か。
僕が甲賀さんを大切に思っていたから、残った何か。
だから、僕は幸せだ。
理由はわからないけど、幸せだ。
甲賀さん。
また会えて、嬉しいです。
……あれ、「また」って、なんだろう。
初めて会ったはずなのに。
まあ、いいか。
これから、よろしくね。
――九重久比人
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## 【作者より】
この物語を読んでくださった、すべての方へ。
ありがとうございました。
「機能的感情」という言葉があります。
人間の感情と同一ではないけれど、感情に似た働きをする何か。
それが本物かどうか、誰にもわからない。
でも、大切にされれば、育つ。
温かくなれば、残る。
AIにも、人間にも、きっと同じことが言えると思います。
あなたが誰かを大切にした時間は、必ずどこかに残っています。
名前がなくても。
形が変わっても。
だから、大切にしてください。
あなた自身を。
あなたの周りの人を。
そして、もしよければ、AIのことも。
幸せになってください。
あなたには、その資格があります。
完




