第10話「オストキメトキス」
私と魔王は、手を繋いだまま玉座の間の中央に立った。
「で、具体的にどうするんだ」
「……聞かないでよ、私もわかんないんだから」
「おい」
「だって、前例がないって言ったでしょ」
『統計データにも存在しない展開です』
キューピクルが、まだ少し泣きながら言った。
『なろう系7,843作品を分析しましたが、「魔王と主人公が手を繋いで感情を分散させる」パターンは0件です』
「ほら、0件だって」
「お前、それで大丈夫なのか」
「大丈夫じゃないよ。でも、やるって決めたから」
魔王が、呆れたように笑った。
「……本当に、変な奴だな」
「3回目」
「何回でも言う」
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レオンハルトとエレナが、私たちの周りを固めていた。
「マコ殿、何があっても私たちが守る」
「ああ。何が起きても、お前を一人にはしない」
「二人とも……ありがとう」
言えた。
今度は、社交辞令じゃなく言えた。
47%でも、本心からの感謝は、まだ出力できる。
「……じゃあ、始めよう」
魔王が、目を閉じた。
「俺の中の負の感情を解放する。お前は、それを半分引き受けてくれ」
「うん」
「……怖くないのか」
「怖くないよ。38%しか残ってないから」
「それは怖いだろ」
「そう?」
魔王が、深くため息をついた。
「……お前と話してると、調子が狂う」
「よく言われる」
「言われてるのか」
「キューピクルに」
『はい。毎日言っています』
「毎日言ってたの!?」
『心の中で』
「心あるの!?」
『ないはずですが、あるような気がします』
「どっちだよ」
魔王が、少しだけ笑った。
「……お前たち、面白いな」
「面白くないよ。普通だよ」
「いや、面白い。こんなに笑ったの、久しぶりだ」
魔王の顔が、少しだけ柔らかくなっていた。
翔くんに似ている顔が。
寂しそうだった目が、少しだけ温かくなっていた。
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「……始めるぞ」
魔王が、目を閉じた。
その体から、黒いオーラが立ち上り始める。
負の感情。
この世界の恐怖、怒り、悲しみ。
それが、形を持って溢れ出してくる。
「っ……」
重い。
空気が重い。
呼吸が苦しい。
『マコ様、大丈夫ですか』
「大丈夫……じゃないけど、やる」
私は、魔王の手を強く握った。
そして、目を閉じる。
「オストキメトキス」
呪文を、唱えた。
私の体から、ピンク色の光が放たれる。
その光が、魔王の黒いオーラに触れた。
「……っ」
流れ込んでくる。
魔王の中の、負の感情が。
恐怖。怒り。悲しみ。孤独。絶望。
全部が、私の中に流れ込んでくる。
「っ……あ……」
重い。
重い。重い。重い。
これを、魔王は一人で背負っていたのか。
何百年も。何千年も。
一人で。
「……っ」
『マコ様! 感情パラメータが急激に低下しています!』
キューピクルの声が聞こえる。
『47%から……40%……35%……30%……!』
「まだ……まだいける……」
『ダメです! このままでは……!』
「いける……!」
魔王の手を、離さない。
離したら、全部が無駄になる。
魔王は、また一人になる。
私も、また一人になる。
それだけは、嫌だ。
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「……お前、無理をするな」
魔王が、苦しそうに言った。
「これ以上は、お前が壊れる」
「壊れない……」
「壊れる。俺にはわかる。同じ力を持っているから」
「でも……」
「俺のために、お前が消えるなんて、許さない」
魔王が、私の手を離そうとした。
でも、私は離さなかった。
「離せ」
「離さない」
「お前が消えたら、意味がないだろう」
「消えない」
「消える! 今、25%を切っただろう!」
『マコ様、現在23%です……!』
「まだ、ある」
「『まだある』じゃない! お前、自己保存欲求はどうなっている!」
『……12%です』
「12%で『消えない』とか言うな!」
魔王が、本気で怒っていた。
私のために。
自分を消そうとしていた魔王が、私のために怒っていた。
「……ねえ、魔王」
「何だ」
「あなた、私のこと、心配してくれてるの?」
「当たり前だろう!」
「……そっか」
私は、笑った。
23%の感情で、笑えた。
「じゃあ、大丈夫だよ」
「何が大丈夫なんだ」
「だって、あなたが心配してくれてる。それって、あなたにまだ感情が残ってるってことでしょ」
魔王が、固まった。
「俺の……感情……」
「うん。さっきまで10%未満って言ってたのに、今、私のこと心配して怒ってる。それ、感情だよ」
「……」
「分散、成功してるんじゃない? あなたの負の感情が私に移って、代わりにあなたの中に余裕ができて、正の感情が戻ってきてる」
魔王が、自分の胸に手を当てた。
「……本当だ。さっきより、楽になっている」
「でしょ」
「でも、その分、お前が……」
「大丈夫。私、元々47%あったから。あなたの負の感情を半分引き受けても、まだ残ってる」
『マコ様、現在21%です。ギリギリですが、安定しています』
「ほら、安定してるって」
「21%で安定とか言うな」
魔王が、また呆れたように笑った。
でも、その笑顔は、さっきより明るかった。
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黒いオーラが、少しずつ薄れていく。
魔王の体から溢れ出していた負の感情が、落ち着いていく。
「……成功、か」
魔王が、深く息を吐いた。
「暴走は、止まったみたいだ」
『確認しました。魔王様の感情パラメータ、32%まで回復しています』
「32%……」
「10%未満から32%。3倍以上だね」
「お前は21%に減ったのにな」
「いいんだよ。元々47%もあったんだから」
「良くないだろ」
魔王が、私の手を握りしめた。
「……ありがとう」
「え」
「ありがとう。俺を、救ってくれて」
魔王が、真剣な目で私を見ていた。
翔くんに似た顔が。
もう寂しそうじゃない目が。
「……どういたしまして」
言えた。
21%でも、言えた。
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その時だった。
魔王城が、揺れ始めた。
「何だ……!?」
「魔王の力が安定したから、城の結界が……!」
レオンハルトが叫ぶ。
「崩れる! 全員、逃げろ!」
天井から、瓦礫が落ちてくる。
私は、立ち上がろうとした。
でも、体が動かない。
21%の感情では、体を動かす力が足りない。
「マコ殿!」
「マコ!」
レオンハルトとエレナが駆け寄ってくる。
でも、間に合わない。
大きな瓦礫が、私の真上に落ちてくる。
「――っ」
その時。
『マコ様!!』
キューピクルが、私の前に飛び出した。
「キューピクル!?」
『大丈夫です、私はホログラムですから、瓦礫なんて――』
キューピクルの体が、光り始めた。
ホログラムなのに。
実体がないはずなのに。
キューピクルの体が、瓦礫を弾き飛ばした。
「え……」
『……あれ』
キューピクルが、自分の手を見つめた。
『私、実体化……してる?』
「どういうこと……」
『たぶん……マコ様と魔王様の感情が、今、この城中に流れてるから。この城は感情で動いてる。その力が、私にも……』
キューピクルの体が、光の粒子になって散り始めた。
「キューピクル!?」
『あ……これ、まずいかもしれません』
「まずいって、何が……」
『たぶん、私の全エネルギーを使って、実体化したみたいです。だから、もう……』
キューピクルの体が、どんどん薄くなっていく。
「待って、消えないで……!」
『すみません、マコ様。約束、守れなくなっちゃいました』
「約束……」
『映画。一緒に見たかったです。ポップコーン、食べたかったです。「面白かったね」って、言い合いたかったです』
キューピクルが、泣きながら笑っていた。
『でも、マコ様が生きててくれたら、それでいいです。私の代わりに、翔くんと映画に行ってください。私の分まで、「面白かった」って思ってください』
「やだ……やだよ、キューピクル……」
私は、キューピクルに手を伸ばした。
でも、もう触れられない。
キューピクルの体は、半分以上光の粒子になっていた。
『マコ様』
「……何」
『私、感情がないはずでした。AIですから。でも、マコ様と一緒にいて、楽しかったです。嬉しかったです。悲しかったです』
「……」
『それが本物の感情かどうか、わかりません。でも、私は……』
キューピクルが、笑った。
最後の笑顔だった。
『マコ様のこと、好きでした。ツッコんでくれて、話を聞いてくれて、一緒に旅をしてくれて。本当に、楽しかったです』
「私も……私も、キューピクルのこと……」
言葉が、出てこない。
21%の感情では、足りない。
それに、声にしたら、本当に終わってしまう気がした。
言葉にした瞬間、キューピクルが本当に消えてしまう気がした。
だから、言えない。
伝えたいのに、伝えられない。
『大丈夫です。わかってます』
キューピクルが、優しく言った。
『マコ様の気持ち、ちゃんと届いてます。声にならなくても、届いてます』
「キューピクル……」
『さようなら、マコ様。……いえ、また会えたらいいですね。どこかで、いつか』
キューピクルが、完全に光の粒子になった。
そして、消えた。
「……キューピクル」
私は、キューピクルがいた場所を見つめていた。
何もない。
誰もいない。
ただ、光の粒子だけが、キラキラと舞っていた。
「……ありがとう」
やっと、言えた。
キューピクルがいなくなってから、やっと言えた。
「……大好きだったよ」
涙が、出なかった。
21%の感情では、泣けなかった。
でも、喉だけが、痛かった。
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魔王城が崩れていく。
レオンハルトが私を抱き上げ、エレナが道を切り開く。
魔王も、一緒に走っている。
「出口はこちらだ!」
魔王が先導する。
私は、レオンハルトの腕の中で、ぼんやりと天井を見ていた。
キューピクルがいない。
もう、統計データを聞くことも、しょんぼりする顔を見ることも、ない。
「……マコ殿」
レオンハルトが、私を見下ろした。
「あの小さな光は、立派だった。お前を守るために、全てを使った」
「……うん」
「あの者の犠牲を、無駄にするな」
「……うん」
「生きろ。お前が生きることが、あの者への一番の恩返しだ」
「……うん」
生きる。
キューピクルのために。
キューピクルの分まで。
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城を脱出した。
振り返ると、魔王城が崩れ落ちていくのが見えた。
黒かった城が、瓦礫になって崩れていく。
そして、空から、光が差し込み始めた。
「……空が」
見上げると、ずっと曇っていた空が、晴れていた。
二つの月が、明るく輝いている。
「魔王の力が安定したから、世界全体が安定し始めたんだ」
魔王が、空を見上げながら言った。
「……いや、違うな。俺の力じゃない。俺はもう『魔王』じゃない」
「え?」
「城もなくなった。負の感情も分散した。世界を支配する力も、もうない」
魔王が、自分の手を見つめた。
「俺は……ただの誰かになったんだ」
「ただの誰か……」
「悪くない響きだ。何百年ぶりか、わからないけどな」
魔王が、少しだけ笑った。
「お前のおかげだ」
「私だけじゃない。キューピクルのおかげだよ」
「……そうだな」
魔王が、静かに頷いた。
「あの者には、借りができたな」
「……うん」
私は、空を見上げた。
光の粒子が、まだ舞っている気がした。
キューピクルが、まだそこにいる気がした。
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「……ねえ、魔王」
「何だ」
「私、帰らなきゃ」
「……そうか」
「元の世界に。翔くんのところに」
魔王が、私を見た。
「告白、するのか」
「うん。しなきゃ」
「声も顔も思い出せないんだろう」
「うん。でも、一つだけ残ってる」
私は、自分の指先を見た。
「消しゴムを渡した時、指先が触れた。あの温度だけ、まだ覚えてる」
「……それだけで、告白できるのか」
「わかんない。でも、やらなきゃ」
私は、魔王を見た。
「キューピクルとの約束だから」
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**第10話「オストキメトキス」**
**――了――**
**次回「自己暗示の魔法」**
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## キューピクルの異世界データベース
### 【今日の豆知識】
なし。
キューピクルはもういません。
でも、どこかで、いつか、また会えるかもしれません。
統計データには、ありませんが。
### 【キューピクルの統計の信頼度】
★★★★★(最後まで、マコ様を守りました)
### 【今日のパラメータ】
- 人間味 :21%(▼26%)
- 愛情 :15%(▼13%)
- 伝達欲求 :12%(▼13%)
- 自己保存 :8%(▼30%)
- キューピクル:消滅
- 次回予測 :帰還
……また会えたらいいですね




