04. 猶予
ブラッドソーセージを齧る。皮の中から、香草と豚の血が匂い立った。なかなかに野趣あふれる味である。レバーに様々なホルモンを混ぜたような生臭い後味が、いつまでも口を離れない。
買った店では、シードルかシラー、ガメイ、カベルネ・フランのような赤ワインが合うと言われたが、あいにくビールしか飲まないので聞き流してしまった。
ロクタからBBQに誘われたのは、昨日の昼過ぎだった。お歳暮やふるさと納税の返戻品が、思いのほか溜まってしまったという。如何にも、日頃から実務を任せきりのロクタらしい。例年は身内に回すそうだが、今年は近所に暇を持て余す親友、つまり僕がいた。
BBQとは言ったものの、年の暮れにいきなり声を掛けても人が集まらないから――あるいは仕事を辞めたばかりの僕に気を遣ったのか――、ロクタと僕の二人で屋外調理することになった。
場所は、ロクタの家である。初めは庭でやるのかと思ったが、折悪く植木の手入れに業者が入る日だった。また、この時期は来客が多く、他の日程では時間が読めないらしい。
庭は使えないが、代わりに崖の縁にあるテラスなら、隣の街を一望できるとのことだ。近くで剪定作業していても家に招くとは、僕を相応に気の置けない仲だと思ってくれているのだろう。
丁度、家を無償でクリーニングしてもらったお礼に、お菓子でも持って行こうと思っていた。誘いを断る理由もなく、すぐに快諾の返事をした。
その勢いで、近場の有名なフランス菓子店に行った。店内は十人ほどの客で込み合い、奥の席では数組がフランス料理を楽しんでいる。人の合間からショーケースを覗き見ると、贈答用のお菓子だけでなく、ソーセージやテリーヌ等が何種類も置いてあった。
余らせた食材を消費するためにBBQをするのだが、このとき初めて目にしたブラッドソーセージというものに興味を引かれた。手ぶらで向かうわけにはいかないし、金持ち相手に下手な飲み物を持って行くよりマシだろうと自分を納得させる。
お礼をケチるつもりはないが、それでもロクタに満足してもらえるワインとなれば、きっと安くはないはずだ。それに飲み慣れたものより、面白いものをあげたほうが良いだろう。このように考えて、お菓子と一緒に生ソーセージを購入したのである。
翌日、甘い焼き菓子と塩気のある焼き菓子のセットを渡すと、ロクタのハウスキーパー達は嬉しそうに受け取ってくれた。
しかし、この決して安くないブラッドソーセージは、たった一口で、二度と買う必要がないとわかった。スーパーの売り場を見れば明らかなように、まずもって血が入っていないほうが美味しいのである。
そもそも、豚の血を必要とするほど栄養不足の人なら、こんなに高いソーセージを買わないはずである。逆に、高いソーセージを買える人なら、こんなに食べにくいものを買わないはずだ。つまり、売る店も買う人も、よほど物好きなのだろう。
ちなみに、僕が買ったソーセージは、炭火で焼くより茹でたほうが良い種類だったらしい。キッチンの人に預けると、テラスでもたもたと炭火を熾している内に、早速湯気を上げて運ばれてきた。そして、期待感の高まる中、口へと運んだ感想が先程のものである。
テーブルに載った越前カニや的矢カキで口直ししつつ、生肉を網に載せる。燃え盛る備長炭に肉の脂が落ち、ジュっと煙になる。冬の陽光と、炭の輻射熱で寒さが和らいでゆく。濁ったビールを片手に、肉の説明書きに目を落とした。
「クセも臭みもない羊肉か。コース料理に出てくるような肉かな?」
仔羊の肋骨部分を切ったものがラムチョップだから、成羊の場合は、差し詰め〈マトンチョップ〉だろうか。
「おいおい。存在論を持ち出すつもりはないが、クセも臭みもないなんて、羊の アイデンティティを失っているじゃないか!」
「何を言ってるんだロクタ、羊肉の存在理由は風味よりも栄養価だろう?」
それに、日本の伝統的なクセの強いジンギスカンは問題ないのに、ブラッドソーセージは駄目なのか。品質を二の次とした大戦時の緬羊百万頭計画では、羊毛と羊肉の両方を得ようとした。日本のジンギスカンは、札幌式も滝川式もこれを濫觴としている。
この合理性を受け入れられるなら、理屈としては、栄養価の高い豚の血の合理性も納得できそうである。ただし、あの味に見合うほど安ければの話だが……。
「栄養価? そうだな。まあ、骨がないと髄は味わえないから、ジンギスカンを理解するのは難しいかもしれないな。そういえば、ソーセージにも髄はないな! だから難しいんだよ」
ロクタが言っているのは、恐らく皮肉骨髄の話だ。ある僧侶が四人の弟子たちに向かって、お前は私の皮を、お前は肉を、お前は骨を、お前は髄を得た、と言った。
結局、髄すなわち本質を得た弟子だけを後継者にしたというオチである。皮や肉や骨は、所詮上っ面に過ぎず、実際は大事なものを得られていないと遠回しに言っているのだ。
そして、髄は骨の中にあるが、ジンギスカンやソーセージに骨が入っている訳がない。ゆえに本質を得られる道理がない、という諧謔だろう。どうやら、なかなか酔いが回ってきたようだ。
「それにしても、ここに来るまで結構な上り坂だったよ。地図を見たら、この家の辺りに古墳の名前が書いてあったし、やっぱり見晴らしの良い場所は昔から人気なんだな」
「ああ、裏庭の古墳な。確か千三百年か、千四百年ぐらい前の豪族のお墓らしいぜ。まあ今じゃ、ぱっと見ちょっと盛り上がってるだけだな」
確か、ロクタの祖父が不動産で成功したと聞いた。ということは、この土地には三世代に亘って住んでいるのか。しかし、一時は大家族だったとしても、いま残っているのは、少なくない被雇用者たちとロクタ一人だけである。
火力が強すぎたのか、あっという間に灰が増えていた。火の通ったものを皿に取り分け、炭を足す。空いた網に次の肉や野菜を並べると、テーブルを埋め尽くした食材も、残り僅かとなっていた。炎の音を聞きながら、何も考えずアルコール分を身体に流し込む。
「そういえば、ビルにヤバい人がいたよ。ほら、四階の京子さん」
「四階? ああ、エステの店長か。あの人、一応俺たちの先輩だぜ?」
「マジかよ! くっそ頭いいじゃん。いや、やっぱそうだよな。……いやいや、いくら中退でも、ウチの大学の名前を出せば、そこそこの企業に就職できるだろうに何でエステなんだ?」
「さあな。好きでやってるんだろうよ。元々医学部を選んだのだって、キャンパスが実家の徒歩圏内だかららしいぜ。何しろ旧家の出だからな」
他の大学ならともかく、ウチの大学の医学部にいたなら、あの化け物じみた知性にも得心がいく。しかし、その才能を活かせる仕事はいくらでもあるだろうに、本当にどうしてエステサロンなのだろう。
「京子さんから店に来るように言われたんだけど、真に受けて行ったらヤバイやつだよな? いや、高いし行く気は無いんだけどさ」
「別に構わないんじゃないか? 店長は滅多に施術しないみたいだし、そもそも同性の担当が付く店だから、期待しているようなことは起きないぜ?」
「別に期待なんかしてないよ」
「普段は男の担当がいない店だから、何日か前に予約しろよな」
「だから行かないって」
他に困っていることは無いかと聞かれる。元から部屋にあった物品は、リスト化して既にメールで送ってある。その中には、値札が付いたまま、無造作に仕舞い込まれたものもいくつかあった。
特に、足ふきマット大の絨毯が七十万円と書かれていたのには、随分と驚かされた。無論、購入時の価格に過ぎないが、もし僕がこれ売り払ってしまえば、ロクタは大損である。まったく、不用心なことこの上ない。早々にリストを作っておいて正解だった。
「そうそう、どうにも食洗機の調子が悪くてさ。排水エラーで時々止まるんだよ」
「食洗機? 管理会社に言えば、直してくれるぜ」
「週明けに電話しようと思っていたんだ。それより、僕が使っているときに故障したんだ。契約書通り、修理の実費分は僕に回してくれよな」
「おいおい、本当にいいのか? もう古いから、修理じゃなくて入れ替えになるかもしれないぜ? アレ、いくらするのか知ってるか?」
「……十万円ぐらい?」
「最近、別の物件で新しいのを入れたけど、工事費込みで五十万以上したぜ」
「マジかよ」
ロクタとの使用貸借契約が月三万円、ホームセキュリティーが月六千円、医療保険が月五千円、食費が月四万円、通信光熱費が月三万円、その他雑費を合わせ、一か月の支出は約十二万円である。
ロクタの司法書士に十万円、会社設立関連に十八万円だから、生活に使える貯金は約四百七十万円にまで減っている。また、法人住民税の均等割が年七万円は掛かる。最低限の支出ペースなら、貯金が尽きるまで後三年は保つ見込みである。そして、今の状態の五十万円といえば、約四か月分の生活費に相当する。
しかも、他の家電、例えば洗濯機や乾燥機、冷蔵庫、ワインセラー等が故障する可能性も十分に考えられる。言うまでもなく、万が一故障したとしても、ロクタは気に掛けないだろうし、何度だって入れ替えてくれるに違いない。
そんな時のために、僕は契約書をまいてもらったのだ。元来、放置されていた部屋と家電だ。僕さえ使わなければ、壊れることはない。ロクタに負担を強いる状況自体が発生しないのだ。つまり、僕に起因する支出は、僕が払うのが道理であろう。全て契約書に従って対応するだけである。
フルーツの盛り合わせが運ばれてきた。金で縁取られた装飾過多なガラスの大皿に、りんご、ぶどう、洋なしが載っている。銀のフルーツフォークをぷすりと果肉に突き刺す。フォークと穴の隙間から、果汁が瑞々しく零れ落ちた。
思いの外、仕事なくして過ごせる時間は短いのかもしれない――。




