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救済の対価  作者: 藤 晦朔


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02. 新居

 一階が喫茶店、二階から四階までは歯科医院や美容室、エステティックサロン等が入居していた。入口のフロア案内図を見ていると、エレベーターが到着する。ロクタに続いて乗り込んだ。


「ここはだいぶ古いから、IDカードじゃなくて、鍵を差し込むタイプなんだ」


 そう言いながら鍵を回し、最上階のボタンを押す。今回、僕が借りることになったのは、かつてロクタの叔父さんが住んでいた部屋である。引っ越し先をどうしようかと悩んでいたところ、空き室があるから使えと言ってくれたのだ。


 家賃なんか必要ないと破格の条件だったが、私鉄沿線で百平米(平方メートル)、雑居ビル、築四十年、最上階物件の相場を調べたところ、月額三十万円から三十五万円ほどであった。つまり僕は、贈与税が心配になったのである。家賃の代わりに税金を払うぐらいなら、初めから家賃を選んだほうが良い。とはいえ、そこは専門外なので、ロクタが専門家に確認してくれた。


「税金と管理費の実費を払う契約を結べばいいってさ。ほら、これ」


 片手で家の鍵を開けながら、無造作に僕へファイルを押し付ける。そこには、使用貸借契約書と公租公課及び管理費を記した別紙が収められていた。月額ゼロ円、三万円の実費負担で貸すという内容だ。


「悪いな。この書類を作るのだってタダじゃなかったんだろう?」


「税理士はタダだったぜ。俺の顧問だからな。司法書士のほうは、確か十万とか言ってたかな?」


 ……意外と高かった。テンプレートの内容ではないから当然だが、収入の見込みがない状況では手痛い出費である。


「書類代なんて、いちいち気にすんなよ」


「いや、僕が仕事を辞めることになった原因、お金だから。ちゃんと自分で払うよ」


 敷金礼金に比べたら安いものだ。そもそも、家賃が(ほとん)ど掛からない時点で十分助けられている。


「そうかぁ? なら後で請求書を送らせるよ。それよりこの部屋、まだタバコの臭いがするな」


「ああ、ありがとう。臭ってるか? わからないな……」


 大理石が敷かれた玄関で靴を脱ぐ。LDKに洋室三つと和室が一つあり、所々に私物が残っていた。壁紙は新調されているが、絵画や照明器具はヤニで黄ばんでいる。


「あちこち高そうな雰囲気を出してるね。アール・デコとか言うんだっけ?」


「惜しいな、アール・デコはもっと装飾的なんだ。ほら、照明がシャンデリアじゃなくて、天井埋め込みのダウンライトだろ? 廊下に掛かっている絵もモダン・アートだし、叔父さんは、装飾を(はい)したモダニズムが好きだったんだ」


「へぇー、さすがに詳しいな。やっぱ哲学科は、みんなそんな感じだったのか?」


「いや、専攻は関係なくて、ただ俺が暇人だっただけだ」


 奥の部屋に入ると、手前からL型のキッチン、ダイニングテーブル、ソファやローテーブルがあった。ダイニングテーブルには六脚の椅子が置かれ、どうにも一人暮らしには広すぎるように思える。


「部屋にあるものは好きに使っていいからな。捨てても壊しても、何なら売り払っても構わない」


「まさか、そんなことはしないよ。残置物は後でリストアップして、原状回復できるように記録するよ」


 ロクタに(うなが)され、四本の金属足で立つ布張りのソファに腰を下ろした。目の前のローテーブルは、一メートル四方のブロックの上に大理石の天板が乗せられていた。机上に置かれたシンプルな花瓶には、赤く鮮やかなアンスリウムが数本挿してある。きっと、これがモダニズムというものなのだろう。


 コートを脱いだロクタは僕の向かいに座り、内ポケットから取り出したボールペンを差し出す。プラスチックのボールペンには、証券会社の社名が入っていた。


「思ったより綺麗になったな。このベージュのソファなんか、タバコのヤニで薄茶色になっていたんだぜ?」


 革ならまだしも、布製なのにどうやって汚れを落としたのか不思議である。それより、清掃ぐらい自分でやると言ったのに、ロクタは手を回してくれたようだ。何度目になるかわからない感謝の言葉とともに、この部屋を使用させてもらう契約書への記入を進める。


「ちゃんと清掃分の請求書も回してくれよ」


「俺の家から寄越しただけだから、請求書なんてないぞ? そんくらい気にすんなって」


 ハウスキーパー達は、いつもの仕事に追加して働かされたのだが、社会人経験のないロクタは、それに思い至らない様子である。ロクタの家を訪れる機会があれば、お菓子でも差し入れようと思った。


 完成した契約書をお互いに確認し、ロクタの保管分をファイルに入れて返す。余韻もなく鞄にしまい込んだロクタは、本当に興味がないのだろう。契約書を()()ことの必要性を理解しておらず、ちゃんと記録を残した方が良いとしつこく言って、ようやく了承してくれたのだ。無事に契約が終わり、ようやく息を()く。


 今まで住んでいたマンションは、最終出勤日だった昨日の朝に退去の立会いを済ませ、鍵を返却した。家具家電は備え付けのため、引っ越しの荷物は段ボール箱だけで済んだ。それらは日付指定の宅配便で送り、一泊分の荷物だけを入れたスーツケースは、駅のロッカーに預けた。そして、最後の勤務を終えた後、ロッカーからスーツケースを取り出し、直行したホテルで昼近くまで熟睡した。


「ロクタ、あっちから警報? が鳴ってるぞ」


「あっ、電話だ」


 警報音の正体は、警備会社のホームセキュリティだった。玄関ドアを開けた後、ロクタがセキュリティを解除し忘れたのである。侵入者を検知し、警備員を出動させるべきか電話で確認が来たらしい。ロクタがごそごそと鞄を探り、平べったいスティック状のキーホルダーを取り出した。


「これこれ、これを玄関の機械に差し込むんだ」


「なあロクタ、さっきの契約書にあった管理費って、ビル共用部の管理費だよな。もしかして、この部屋のホームセキュリティは別料金か……?」


「あー、そうかも。分かんない」


「手間ばかり掛けて本当に申し訳ないんだが、もし別料金なら俺に請求書を送るようにしてくれ」


「おっけい」


 ロクタがスマホでメッセージを送る。


「確認するように言っておいた。あと、このビルで気になることがあったら、さっき渡した書類に管理会社の連絡先があるから、そこに聞けば教えてくれるぜ。その分の管理費はお前が払っているからな!」


「わかった」


「外はもう真っ暗だな。どっか食べに行くか?」


「いや、もう無職なんだ。今日から自炊して節約生活だよ」


「そっか。じゃあ、買い物に行こうぜ。来るときの電車が混んでたから、さっき迎えを呼んだんだ」


 ロクタの家からこのビルまでは、電車で一駅だ。ロクタは金持ちだが、よく電車を使っている。渋滞をのろのろ進むより、電車の方がずっと速いからだ。通勤ラッシュや深夜帯は車を使うらしいが、ロクタ自身は運転免許を持っていない。


「冷蔵庫も冷えてるし、確かに買い出しは必要だな」


 ロクタに貰ったスティックキーを玄関の機械に挿し込み、すぐに抜く。これでセキュリティが〈外出〉にセットされる。玄関を出て、ドアの鍵を締めた。


「これがエレベーターの鍵な」


 降りる時は要らないが、昇ってくるときは必要だと言う。


「そうそう、夜はビルの入口が閉まるから、通用口でこのIDカードをかざして暗証番号を入れるんだ」


 ビルのIDカード……? 夜にコンビニへ行くだけでも、鍵をじゃらじゃらと持ち歩かないといけないらしい。いや、スティックとカードはじゃらじゃらじゃないか。


 建物を出ると、すこし離れた場所に白いSUVが停まっていた。運転手の女性は三十代に見える。ミルクティーのような伽羅色(きゃらいろ)の髪にパンツスーツ、にこりともしない不愛想さが印象的で、名前は田中さんだ。彼女とロクタに血縁関係はない。近くに住んでおり、いつでも呼び出せるから雇っていると聞いた。


「今日は、あのデカいセダンじゃないんだな?」


「うん、黒いのは高速に乗る時とか遠出する用で、街中ならこっちの方が良いって言うんだ」


 田中さんの趣味なのか……。確かにロクタはその辺りのことに(こだわ)りがない。相続税の支払いのために、いくつもあった別荘や車のコレクションをあっさりと売っている。残した車のメーカーがバラバラなのは、単に白かったからとか、黒かったからとかで、これでオセロが出来ると笑っていた。


 後部座席に乗り込み、五分も経たずスーパーに到着する。駐車場は混雑しており、誘導員が車をお預かりしますと言うも、田中さんは断っていた。ロクタと車を降りる。近くで、店の従業員が買い物袋を運び、買い物客の車のトランクに載せていた。


「なあロクタ、ここってチップとか要らないんだよな?」


「何言ってんだよ。ここは日本だぞ? しかも、ただのスーパーだぜ」


 それもそうかと店の中を見て回る。……案の定、あのサービスのコストは商品価格に上乗せされていた。いや、オーガニックやらグラスフェッドやら書いてあるし、そもそも商品自体が高そうである。よく見れば、日本語以外のパッケージも多い。買い物客も、もしかすると日本人のほうが少ないのではないか。


 チーズの陳列棚には数十種類が並べられており、クランベリーが入っていたり、レーズンが入っていたりするものが目立っている。ソーセージコーナーやヨーグルトコーナーも無駄に広く、クロテッドクリームだけでもイングランド産やスコットランド産など、違いのわからないものが置かれていた。


「このラムとか旨いぞ?」


 アイスランド産の羊肉である。部位ごとに値段が付いているが、それを見て、どうやら来る店を間違えたようだと理解した。何しろ、それぞれ一番高いものではあるが、牛乳一リットルが千四百円、みかん一個が二百円である。ただの野菜を買おうにも、割高にも思える京野菜が置いてあった。都心から離れているとはいえ、ここは東京都のはずだ。遠い海や山を越えずとも、近隣の県から持ってくれば良いではないか。


「ろ、ロクタ、もっと安い店は知ってるか……?」


「ん-、ちょっと行けばあるかな」


 ロクタがカップアイスを一つだけ買い、そのまま車に戻った。次の目的地は、法人向けの会員制卸売スーパーである。チョコミントの香りとともに、車は道なりに十五分ほど行き、駐車場に入った。こちらは自分で停めさせてくれる雰囲気だ。冷蔵トラックの隣で車を降り、入口に向かった。会員カードをスキャンされ、店に入る。


「……安いな!」


 牛乳に半額シールが貼ってあった。一リットル百三十円の半額である。


「それ、牛乳じゃなくて低脂肪乳だぜ」


「わかってるって。それより、さっきの店の低脂肪乳を見たか? 低脂肪乳なのに、普通の牛乳より高かったんだ!」


 この店は、普通のスーパーと同じぐらいの価格だが、至るところで割引のシールが貼ってあった。ロクタと僕の他に客はいないが、それでも経営が成り立つのは、やはり大口客が多いからなのか。大きすぎる煮込み鍋や、一号缶(3.3kg)のケチャップなど、物珍しい商品を見ながら店内を回る。目ぼしいものをカートに入れ、レジのある階までエレベーターで降りると、ロクタに先程の会員カードを手渡された。


「ほら、会計の時にもスキャンされるぞ。今後も使うだろうから、そのまま持ってていいぜ」


「……いや、名義的に僕は使えないだろ。それに、車もバイクもないから一人じゃ買いに来れないし、遠慮しておくよ」


「そうか? まあ、わかった」


 ロクタの家のほうまで行かなければ、食料品もそこまで高くはないはずだ。足もなく、わざわざここまで来るほうが大変である。会計を済ませた後は、車で家まで送ってもらった。ロクタは帰り道でもアイスを食べ、夜に車で食べるのが一番美味しいんだ! と熱弁していた。

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