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救済の対価  作者: 藤 晦朔


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01. 退職

「それで、毎日DMを送っていたら、弁護士から内容証明が来たんだ」


「もう諦めろよ。証拠が一つも無いんじゃ、どうせ一円も返って来ないぜ」


「いや、貸した金はもういいんだ。いくら(なじ)っても足りないぐらい悔しいが、さすがに(あきら)めをつけた。それより、社内に(うわさ)が広がっていることが問題なんだ。いかに身の潔白を主張したところで、一度貼りついたレッテルは()がしようがないからな」


 大金を失い、ストーカー扱いされた僕は、仕事を失いかけていた。どうしてこうなったのだろうか。虚偽の訴えに対し、弁護士を通して和解できたとしても、口外禁止条項があれば無実を公表することは叶わない。そして、たとえ裁判で白黒つけたとしても、同僚と裁判沙汰を起こした者など、左遷(させん)候補の筆頭となるだろう。まったく、万事休すである。


 中高大と一緒に過ごしてきた間柄であり、憎からず思っていた相手だった。そんな彼女から周囲にバレたくないと頼まれ、借用書も残さず、現金で三百万円を渡したのだ。……今になってみれば、我ながらどうかしていた。とはいえ、返済を渋られる程度なら予想していたし、最悪の場合は返ってこないことも覚悟していた。しかし、まさか僕がストーカー扱いされるとは思いも寄らなかった。不義理にも程があるだろう。


 まず、弁護士を雇う金があるなら、借金を返して欲しい。もっとも、内容証明で主張するだけなら五万円ほどで済むらしい。一方、その内容が事実無根であると主張するために僕が費やした費用は、五十万円である。幸いにも、相手方がそれ以上動かなかったため、こちらは着手金だけで済んだ。しかし、彼女に返済を迫るのではなく、自分の身を守るためだけにこれだけ費やしたと思うと、なかなか腹の虫が治まらない。


「僕が何をしたって言うんだよ。親切にも大金を貸してやっただけじゃないか! それなのになんで、あいつは金を返さずにのうのうと仕事を続けられるんだよ。どうして僕が弁護士に依頼料を払って、仕事も辞めなきゃならないんだ!」


「おうおう、もっと飲めよ。考えたっていいことないぜ。お前がプライドを捨てられない理由なんて、どうせ下らないからなっ」


 今夜、居酒屋に付き合ってくれたロクタは、大学以来の親友だ。こいつは、在学中に親を亡くして、今は二十七歳にして無職である。ただし、相続したいくつかのビルのお蔭で、金には困っていない。


「明日は金曜日だろう? 明日の昼に、退職願を出すんだ」


「何も辞めなくたって良いじゃないか。濡れ衣ですって言って、堂々としていろよ」


「法務部時代にお世話になった先輩に挨拶して、リテール事業部のみんなに挨拶して、取引先と出資先に後任を連れて行って……」


「おいおい、あんなに苦労して入ったんじゃないか。誰もが知る総合商社だぜ? もったいないなぁー」


 引き継ぎの資料はあらかた作ってある。法務部の先輩に叩き込まれた習慣で、日頃から記録を残すようにしているからだ。それを後任に渡せば、業務の引き継ぎとしては十分だ。


「辞めた後の当てはあるのか? 職歴にブランクがあると就職活動に響くぞ?」


「あぁぁ、うぅー。どうでもいい」


「まず、今の職場には何て言って辞めるんだ?」


「友人のスタートアップに共同創業者として参画するって言うよ」


 もちろん、嘘である。まず、ロクタ以外に信を置く友人がいない。そのロクタが起業しないのだから、本当であるはずがない。身に覚えのない噂が広がっていることを考えれば、周囲からは、僕が逃げ出したように見えるだろう。事実、その通りだ。せめて自分自身には、出世の芽を摘まれたから勇退したのだと言い聞かせたいが、今はとにもかくにも休みたい。戦う気力など湧いてこないし、もはや全てのことが億劫である。


「おい、起業するなら雇用保険の失業手当が貰えないぞ?」


「ああ、計算したら求職活動を九十日間やって、最大七十四万円の支給だったよ。でも、仕事を辞めたら、しばらくは何もしたくないんだ。離職から一年間は受給資格があるし、今はまあいいかなって」


「そんなことを言って、来年度の支払いはどうするんだよ。住民税に健康保険に国民年金に……、収入がなくても(むし)り取られるぞ?」


「わかってるって。払うものは払って、少なくとも一年はゆっくりするんだ」


 今月末に辞めれば、ボーナスは入る。当月払いだから、年が明けてからの収入はゼロだ。一方、来年は、住民税が四十五万円、任意継続する健康保険料が四十八万円、国民年金保険料が二十一万円、占めて百十四万円の支払いがある。


 最後の給料が三十八万円、ボーナスが七十五万円、退職金が六十万円だから、現在の貯金と合わせて、五百万円ほどが手元に残る見込みだ。


「マンションもさっさと引き払わねぇと、家賃の支払いは結構痛いぞ?」


「家賃か……。会社の家賃補助が無いと十五万円ぐらいするんだよな、今のところ。って、年間百八十万円は確かにキツイな」


 追加のビールがピッチャーで置かれる。僕にもっと酔えと言った割に、ロクタが注文したのは、ただの白ビールだった。両手でピッチャーを掴み、重力に乗せて胃に流し込む。甘い香りと(かす)かなオレンジの風味が、腹に()えた鬱憤(うっぷん)(すす)いでゆく。


「あぁぁ、マンション買わなくて良かった! ローンを組んでいたら、あと何十年も仕事に縛り付けられていたからな!! でも持ち家がないから行くとこもない!」


「仕事なんかさっさと辞めちまえ! これでお前も自由の身だ!」


 そのまま散々飲んで、次の日には退職の意向を伝えた。会社では誰も彼もが引き留めてくれて、今までの実績がこんなに評価されていたのかと内心かなり嬉しかった。……集まったメッセージが定型化されていると気付いたが、たまたまだと思うことにした。そして、十二月の中頃を最終出勤日として、僕は予定通り退職した。

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