夜のはじまり
再会のあと、夜ごとに続く連絡。
電話、メッセージ、短い会話。
どれも何気ないやりとりなのに、
それが日常になっていくほど、心の距離は少しずつ近づいていく。
触れられないのに、温度を感じる。
恋という名前をまだ与えられない関係の中で、
二人は確かに、また動き出していた。
再会の夜から、少しずつ、連絡が増えた。
「今日はどうだった?」
「会議が長かった」
「まだ起きてる?」
そんな他愛のないメッセージが、夜になると自然に交わされるようになった。
特別な言葉はない。
でも、その“何でもない”の中に、少しずつ心がほどけていった。
最初の電話は、確か金曜の夜だった。
残業を終えて、コンビニの袋を片手に帰る途中。
スマホが震え、名前を見た瞬間、胸の奥がじんわり熱くなった。
「寝てた?」
「ううん、まだ」
それだけで、少し笑った声が聞こえる。
その笑い声が、なぜか懐かしかった。
会話の内容は覚えていない。
たぶん仕事の愚痴とか、ニュースとか。
でも、電話を切ったあと、
耳の奥に残る彼の声が、
部屋の明かりよりも温かかった。
それから、ほとんど毎晩のように電話をするようになった。
お互いの一日を報告し合うだけ。
「おつかれ」って言葉が、
だんだん“また話したい”という意味に変わっていった。
彼の声は、低くて落ち着いている。
話を聞くときの“間”が心地いい。
相づちも、言葉も、
まるで手のひらで髪を撫でるみたいに優しかった。
──でも、時々、怖くなる。
電話を切ったあと、
無音の部屋にひとり残される瞬間、
さっきまで触れていた温度が嘘みたいに消える。
スマホの画面を見つめながら、
“本当に、また会えるのかな”って思う。
再会してからまだ二度目の週末。
彼から「少し会える?」とメッセージが届いた。
迷った。
迷って、鏡の前で自分の顔を見た。
少し疲れた目の下、薄く塗った口紅。
ため息をひとつ吐いて、“会いたい”と返した。
夜の公園。
ベンチの端に座って、温かい缶コーヒーを半分ずつ。
「寒いね」
「冬、また来るね」
そんな他愛のない会話が、
なぜか胸の奥に響いた。
彼はふいに、
「こうして話せるだけで、少し救われる」と言った。
私は笑って、「私も」と返したけど、
本当は少し泣きそうだった。
その声が、あの冬の夜と同じ温度をしていたから。
帰り際、駅の階段の前で、
彼は少しだけ立ち止まった。
「また電話していい?」
「うん」
たったそれだけで、心が動いた。
恋という言葉を、まだ口にするには早い。
でも、確かに“夜”が始まった。
夜ごとに続く電話の先で、
二人のあいだに言葉では説明できない“何か”が生まれはじめていた。
安心と不安、期待と迷い、
そのすべてが、静かな呼吸の間に溶けていく。
そしてある夜、
彼女はふと、問いを口にする。
「この関係って、なんなんだろうね」
その一言が、二人の夜を変える。
割り切るのか、恋人のようにするのか──
答えを出すには、あまりにも遅い時間だった。
第7話「二つの夜のあいだで」
――迷いが、初めて“選択”に変わる夜。