戻ったはずの場所で
長い沈黙ののち、彼女はようやく決断した。
「今から彼に電話する」――そのメッセージから、すべてが動き出す。
信じて待つしかない彼は、タバコの本数を増やしながら胸の奥の不安を押し殺す。
そして届いた一行のメッセージ。「終わったよ」。
安堵と同時に、なぜか胸の奥に生まれる空白感。
二人は再び出会い、互いの存在を確かめ合うが、そこにはもうあの頃と同じ空気はない。
「取り戻す」ことはできた。けれど、本当にそれが幸せなのか——二人はまだ答えを持っていなかった。
「いまから彼に電話する」
スマホの画面にその一行が浮かんだ瞬間、世界の音がひとつ遠のいた。
胸の奥で、見えない糸が引き絞られるみたいに張りつめる。
(信じるしかない。もう、何もできない)
冬の夜。
窓の外のビルの角を、冷たい風が何度も回り込む。
時計の針は淡々と進んでいくけれど、自分の時間だけが止まっているような気がした。
(ちゃんとできるのか……?)
(いや、信じるって決めたじゃないか)
タバコの火が短くなるたび、胸の奥がざわつく。
灰皿の中に並ぶ吸い殻は、白い墓標の列みたいに見える。
願うのはただひとつ——
彼女が、ちゃんと終わらせてくれること。
……
数十分後、スマホが震えた。
画面には、たった一行。
──「話してきた。終わったよ」
その瞬間、胸の奥の硬いものがほどける。
(やっと……終わったんだ)
指先がわずかに震えた。
いくつもの言葉が浮かんでは消えていく。
結局、送ったのはこれだけだった。
──「分かった。信じてた」
送信ボタンを押したあと、深く息を吐いた。
窓の外の街灯が、ゆらゆら揺れて見える。
もう、自分には祈ることしかできない。
(どうか、ちゃんと終われますように)
胸の奥でつぶやいた祈りは、静かに部屋に溶けていった。
***
駅前の改札に立つ彼女の姿が見えたとき、
疲れた笑顔の奥に、決意が宿っているのが分かった。
薄いマフラー、赤い目尻、少し疲れた笑顔。
その顔を見た瞬間、すべてを悟った。
「……終わった」
「おかえり」
それだけの会話。
でも、その言葉がどんな長い時間よりも重かった。
「ありがとう。信じてた」
彼はただ、そう言って微笑んだ。
何も言わずに、そっとその手を取る。
街灯の下、吐く息が白く混ざりあって、やがて消える。
二人は歩き出した。
吐く息のリズムが、いつの間にか重なる。
信号が赤から青に変わる。
その光に照らされながら、二人の影が長く伸びる。
その夜、二人は長い時間をかけて話した。
過去のこと、未来のこと、どこからやり直せるのか。
笑顔と沈黙が交互に訪れる。
カフェの窓に映る自分たちの姿が、妙に遠く見えた。
そしてその夜、二人はようやく互いの存在を確かめ合った。
取り戻せた安堵と、目標を達成してしまった空白。
胸の奥に同時に生まれたその感情を、彼はまだ言葉にできなかった。
(あんなに願っていたのに、どうして心が軽くならないんだろう)
指先が無意識にテーブルを叩く。
タバコの箱を開けては閉じる。
胸の奥で小さな溜息がくすぶる。
彼女は笑っている。
そして彼も笑い返す。
けれど、二人の間に流れる時間は、あの頃とはもう同じではない。
(これから、どうやってこの関係を育てればいいんだろう)
その問いを胸の奥にしまい込みながら、彼は目の前の彼女の髪をそっと撫でた。
吐く息が白く消える道を、二人は肩を並べて歩き出す。
信号が青に変わる。
その光に照らされながら、二人の影が長く伸びる。
──このまま一緒に歩き続けるのか、また別々の道を選ぶのか。
それはまだ、誰にも分からない。
年末の冷たい駅前、吐く息の白さとアーケードの古びたネオン。
悪友に誘われて入った小さなダーツバーで、ふたりは初めて出会う。
シャンパン、テキーラ、ダーツの矢、笑い声と悔しがる仕草──
まだ恋心ではなく、ただ「この人、面白いな」という直感だけが残る夜。
何も始まっていないのに、なぜか次に続きそうな予感が胸の奥に残った。
第2話「ブルに刺さらない矢の先で」──すべての始まりの夜が、静かに幕を開ける。