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自由という名の抑圧

 「鹿島健、語る」というYou Tubeを聞いているが、面白い。ロシア文学、ドストエフスキーについて非常に勉強になった。(鹿島建氏は過去に言及した The Red Diptych というブログの主)

 

 鹿島健氏の話で特に勉強になったのは、ドストエフスキーならびにロシア近代文学が置かれた事情である。

 

 ロシア近代文学というのはプーシキンに始まり、チェーホフに終わる一連の系列である。プーシキンやゴーゴリが初期の文学者であり、そのあとにドストエフスキーが来る。また、弱年で亡くなったレールモントフも非常に重要な人物だ。

 

 どこから説明すればいいかわからないので、レールモントフの「現代の英雄」という小説に焦点を当てよう。

 

 「現代の英雄」という小説は、タイトルの通り、「現代(その当時のロシア)の英雄」を描いた作品だが、実際小説を読むと悪漢が主人公になっている。

 

 これは「現代における英雄とはこのように悪漢になる他ない」という意味が込められて描かれている。

 

 当時のロシアはツァーリ(皇帝)のもと、極めて抑圧的な政治体制が敷かれていたので、思想の自由はなかった。直接的な政治批判などは禁じられており、思想的な発言の自由もなかったので、当時のロシアのインテリは「文学」という形で、それぞれの思想を作品内部に込めるしかなかった。これが後からみると、広大な世界観を持ったロシア近代文学を形作る事となった。

 

 政治的な抑圧の結果、言ってみればエネルギーが収縮して巨大な爆発が起きるように、ロシア文学は巨大な高峰として成立する事になった。

 

 レールモントフは「現代の英雄」という作品をそのように皮肉を込めて描いたのだが、これは現代の我々からはとても理解できないものだろうと私は思う。

 

 ロシア近代文学の創始者であるプーシキンは決闘で亡くなっているし、レールモントフも弱年で決闘で死んでいる。

 

 レールモントフが弱年において亡くなっている事は、彼が描いた「現代の英雄」の通りであると言っていいだろう。つまり、彼のようなインテリは社会において「余計者」であり、その居場所はなかったのだ。

 

 彼らを抑圧していた政治体制は旧式な皇帝制度と、旧式なギリシャ正教とがべったりくっついたものだった。それらが思想の抑圧を迫っていた。

 

 一方でそこにヨーロッパからの近代思想が入ってきて、いわば眠れるロシアは急速に目覚めつつあった。歴史を見ると、そうした岐路においてロシア近代文学が成立したのがわかる。

 

 ※

 レールモントフ、プーシキン、ゴーゴリの死、その問題は後に引き継がれていった。その過程でドストエフスキーという大作家が生まれてくる。

 

 鹿島健氏の解説を聞いていると、大作家というのは決して一人の才能や能力だけで生まれるわけではないのがよくわかる。

 

 ドストエフスキーという大作家は、歴史的は、縦軸にロシアの伝統・歴史、横軸にはヨーロッパ近代思想、その二つが交差して生まれた。小林秀雄流に言うならその十字路そのものとなったのがドストエフスキーだった。

 

 ただドストエフスキー自身の思想というのは非常にわかりにくいものとなっている。ドストエフスキー自身もおそらく明瞭に形にできていなかっただろう。

 

 まずドストエフスキーは、西欧から入ってきた社会主義、これに対して否定的だった。そのあたりは「悪霊」で描かれている。

 

 現代の我々からすると「社会主義VS資本主義」のような考え方をすぐにしてしまうが、ドストエフスキーの中ではおそらく、西欧から入ってきた社会主義思想と、西欧が宗教から離脱して、功利的な物質主義に流れていく事が一緒に批判されていた。

 

 ドストエフスキーの中では「西欧=物質主義・社会主義」VS「ロシア=伝統的なキリスト教」のような構図ができあがっていたが、とはいえ、西欧からの思想全てに否定的であったわけではない。

 

 そもそもドストエフスキーという人物自体が、この二つの矛盾を孕んだ人物だった。ドストエフスキーといえば、ギャンブル好きで女好きで、要するに俗物的な欲望をたっぷり持っていた人物だったが、それと同時に自己を犠牲にして聖なるものに身を捧げたいという、脱俗的な欲望も持っていた。

 

 ドストエフスキーは死刑になって、眉間に銃に向けられるところまで行ったわけだが、その間、彼は磔になるキリストをイメージしただろう。しかしドストエフスキーが死刑宣告(あとで芝居だと判明)になった理由は、ドストエフスキーらがある会合で、ベリンスキーという有名評論家の手紙を朗読したためだった。

 

 ベリンスキーの手紙はゴーゴリに当てられたもので、この中には社会批判的な内容が含まれていた。それ故に政治的抑圧の強いロシアでは禁忌とされていた。ベリンスキーは、無神論者で、西欧派である。要するに反権力・西欧派の急先鋒だった。

 

 ドストエフスキー自身の経歴をみると、西欧的なものとロシア的なもの(とドストエフスキーが考えるもの)が入り混じっている。ベリンスキーの手紙を朗読する事は、どちらかと言えば西欧派によった思想だが、ドストエフスキーが磔になった際にイメージしたキリストは、ドストエフスキーの中では、ロシアの大衆が子供の頃から親しんだイメージと関連して捉えられていた。

 

 というのは、ドストエフスキー作品において、西欧派は無神論と結び付けられており、その反対に、キリストはロシア的なものと結び付けられて考えられているからだ。原始的な「良き」キリスト教は西欧においては物質主義に駆逐されたが、後進国のロシアにはまだその宗教の良い部分は残っていた。そうドストエフスキーは考えていたのではないか。

 

 ※

 話を戻すと、そもそも当時のロシア社会においては、言論は抑圧されていた。それ故に文学作品に仮託して、それぞれの思想を語らざるを得なかった。その為にあのように豊潤な文学作品が生まれてきた。

 

 これに関しては、イギリスのマリのドストエフスキー論が参考になった。マリの意見を念頭に置きながらイギリスとの違いを考えてみよう。

 

 例えば、イギリス人は、ある犯罪が起こったとしても、それを直ちに思想と関連付けて考えはしない。まず犯罪は「法律違反」で裁かれ、適正な判決を受ける。犯罪者がある思想を持っていたとしても、それを犯罪と結びつけて直ちには考えない。仮にその犯罪者の思想が有意なものだとしたら、まず彼を犯罪者として裁き、適正な罰を加えた上で、その思想はまた別の観点から評価する事なるだろう。

 

 それと比べると、ロシアは事情が違う。「罪と罰」にしろ「悪霊」にしろ、そこでは犯罪行為がそのまま、世界全体を揺るがせる大事件となってしまう。犯罪行為が思想と結び付けられて、世界そのものの秩序を揺るがせる。

 

 これはイギリスのような成熟した社会と、ロシアのような沸き立つ後進国との大きな違いだろう。ロシアの方が社会としては明らかに未熟である。だが、むしろそれ故に、ひとつの犯罪はそのまま世界秩序への問いへと至ってしまう。


 というのは突き詰めると、当時のロシア社会において、裁くものの方が裁かれるものよりもより正しいかという事に、根底的な疑問が生じていたからだろう(後、実際にロシア革命が起こり、秩序はひっくり返った)。

 

 通常、犯罪行為は単なる秩序への反逆とみなされる。今の我々はそのように考える。犯罪行為や犯罪者にロマン的な魅力を感じたとしても、その正当性を本気で支持する事は難しいだろう。

 

 そのように我々が考えるのは、まず何よりも社会が取り決めた秩序は正しいものだ、という先天的な思考がある。我々はそのように考えるーーというより、それに関しては全く考えずに受け入れるからこそ我々は「常識人」でいられるのだ。

 

 例えば日本という国では大麻は違法だが、合法な国もある。仮に大麻の合法化を他国と比較しつつ唱える人間がいたとしても、我々はそういう人間を怪しげな、社会秩序を乱す人物として捉える。そのように考える事によって社会の秩序を受け入れる。こうした思考の自動化を行う事によって我々は「正常」というバッヂを手に入れる。

 

 今の作家のほとんども同じように考えるだろう。しかしロシア近代においては、秩序を守る側と秩序を破る側が互いに相対的な水準に達していた。それはロシアのインテリの顔ぶれを見ればわかる。

 

 歴史に残るロシアのインテリゲンチャの多くが夭折、亡命、刑務所送りといった運命を辿っている。つまり世界は定まっていなかった。またそれ故にトルストイとかドストエフスキーとかいった大作家は、その思想によって世界そのものの秩序の転変について思考しなければならなかった。

 

 これは、例えば「犯罪者についての大小説を書けばドストエフスキーのような作家になれる」といった考えとは全く違う話だ。世界の秩序そのものが思考の土台に載るという歴史的危機において、豊かな思想が文学という形で花開いた。

 

 逆に言うと社会が安定しており、また社会が定義する思想と自己をたやすく一致する人々にはそもそも思想は必要ない。全体を思考する必要がそもそもないのである。

 

 それ故に、例えば現代日本のような社会では、日常のトリビアルな細部をひたすらに描いてみたり、全体的な教養はないが言葉に対するフェティシズムに走ったり、また、社会が「推奨」する思想もどきを作品に取り入れてみたりする「文学者」が跋扈する。彼らにおいてはそもそも思想が必要ないのだ。

 

 ※

 私が鹿島健氏の話を聞いてすぐに思い浮かべたのは、日本近代の文学者だった。ここでも、近代ロシア文学と近い問題が起こっていたのではないかと思う。

 

 漱石に「それから」という作品があるが、この作品は主人公の代助が親友の妻を奪う話である。今なら不倫の話と分類されるだろう。

 

 しかし我々がよく知っている不倫小説と漱石の小説が違うのはそこで問われているものが全然違っているからだ。

 

 「それから」では、代助が親友の妻を奪うが、それは彼の中の「自然」を肯定するものだと漱石に描かれていた。が、その自然(広義の欲望と考えてもよいだろう)を肯定する事は、社会秩序に反するものである。裕福な家でぶらぶらと暮らしていた代助は、自己の自然を肯定する事によって、家から追い出される。家から追い出される事は社会から追い出される事をも意味する。

 

 ここではおそらく、漱石自身、あるいは漱石の周囲の文学者らが置かれている状況が、文学などというものをやっても食っていけないし、社会秩序に全く反するものであるという事が念頭にあって、それでも自分(達)は文学をやるのだという、そうした文士の気概が、社会から追い出されても自己の「自然」を肯定する代助に託されていた。私はそう考えている。

 

 漱石の小説は近代性というものの本質を確かに掴まえている。主体の情念が、単なる欲望ではなく、信念とか哲学とかに昇華され、それが行為として結実する事ーーこの事が近代以前の、個人の欲望を制限する社会システムと鋭く矛盾していた。

 

 漱石にしろドストエフスキーにしろ、そこには世界と個との激烈な矛盾が存在し、それが小説の「ドラマ」として見事に統合されていたのである。ここで私が主張したいのは、そうした世界においては世界の秩序は相対化されていた、という事である。


 世界の秩序そのものについては疑う事をせず、単に、世界に対してミクロな「個人」を微細に描いていけばそのまま文学になるという考えは、極めてナイーブな考えではないかと思う。

 

 ※

 明治時代の日本も、ドストエフスキーがいた頃のロシアも、言論の自由は存在しなかった。抑圧的な政治体制ははっきりとしていた。しかしながら、それに抗する個人の自由という概念も西欧から伝播してきた為に、それぞれの世界において近代文学が成立したのだろう。

 

 そうした状況と比べて、現代はどうだろうか。最後に現代について考えてみよう。

 

 現代社会においては言論の自由は一応担保されている。私が今、日本国の首相の悪口を言っても捕まる事はない。

 

 それでは、今の社会は過去よりも良くなかったのだろうか? 社会は果たして進歩したのだろうか?

 

 例えば現代の「選挙」という制度は非常によくできているとも言える。血を流す事なく権力者を交代させられる事、また、専制政治に陥りがちな権力者が、大衆の指示によって決められる事、これは権力者が大衆の利権を考えざるを得ないという利点を持っている。

 

 かつての抑圧的な政治体制の下、人々が渋々権力に従っていたのとは違い、今や人々が「主権者」となって、共同体の代表を選ぶという制度が基本となっている。これは過去に無数の血が流れた結果、やっと獲得されたバランスの取れた制度と見る事もできる。

 

 私は次のように考えている。まず、近代における個人の自由、主体、権利といったものは、近代という過渡期においては少数の貴族やインテリが主張するものだった。それ故、そうした自由への渇望と旧式な社会体制に激烈な矛盾が起こり、それがドラマとなって展開された。このドラマは現実においても展開されたし、それが小説形態として普遍化されもした。

 

 こうした少数の個人の自由への渇望は現代においては一般化している。これらは通俗化、大衆化した。それによって、社会システムと、主体の欲望の解放とが一致する事が可能になった。


 この結果として現れるのがタレントとか有名人とかいった人々だ。彼らはメディアを通じて、大衆の欲望と、タレントらの個の欲求とがうまく合成された仮象という形で現れてくる。

 

 現代は大衆社会である。ある個人が自己の欲望を解放する事、主体を解放する事は、それが、多数者が漠然と肯定する価値観と一致する限りにはおいては大いに素晴らしいものとされる。

 

 例えば、「自分の好きな事をしている人気ユーチューバー」について考えてみよう。こうした存在はこの社会にとっての理想の形態である。ユーチューバーという一個人の欲望、希望といったものが、多数者の欲望と一致する。ユーチューバー自体は自分の「好きな事」をしていて、それがたまたま大衆の「欲求」と合致する。ここでは主体の情念と社会システム(大衆ーメディア)が好ましい形で融合している。

 

 これは過去の専制政治とは全く違うものである。過去には少数の権力者が多数者を力で押さえつける構造が存在したが、そのような古い形式は今や廃棄された。今は少数の権力者を、多数者の方が一致して選出する。

 

 現代の方が以前よりも圧倒的に自由が増している。それは事実だろう。

 

 例えば私が権力者の悪口を、あるいは現代を支配する大衆に対する批判をいくら書いたとしても、秘密警察に捕まるわけではない。私は自分の内面を自由に解放できる。言い換えればここには言論の自由がある。

 

 しかし、この自由はまた違う形での抑圧へと繋がっている。現代においては力で個人を押さえつけるような事はない。ただ、個人の自由、主体の解放というものがどのような形で行われようと、それが大衆の価値観に沿っていない限りは「無視」される。

 

 かつては、現存する政治体制への反逆は力で潰されたのだが、今はそのような事はない。現代において、人々が支配する世界への反逆は単純に「無視」されるのである。これが現代の新たな権力体制なのだろう。

 

 ※

 現代は過去の諸制度に比べれば比較的自由が担保されている世界である。しかしこの自由が、かつてとは違った形での社会的抑圧を生んでいる。

 

 この抑圧システムの差は、2つの優れたディストピア小説を比べればすぐにわかる。ひとつはオーウェルの「1984年」。こちらでは、抑圧は権力者と官僚、その手先によって徹底的に行われる。それは力による抑圧だ。

 

 もうひとつの小説はハクスリーの「すばらしい新世界」だ。こちらでは、社会に反する意見を言ったり、行動する人間は単に奇人扱いされる。「すばらしい新世界」は「1984年」よりも圧倒的に優しく、快適な世界だ。それは優しさと快適さによって人を一定の方向へと誘う。

 

 現代における抑圧は「すばらしい新世界」に近い。世界は常に個人を誘惑している。主体というもの、個というものを捨てて、世界の価値観に身を委ね、それと一体化する事。それをするのであれば、様々な利得が得られる。そして何より自己が世界と繋がり、主体の消滅ーー"死"を一時的に忘れる事ができる。

 

 村上春樹がその小説において、過去の偉大な作家を真似て、悩み苦しむ(ようにみえる)主人公を救済に導こうとする。しかし村上春樹は本質的に世界全体を相対化できる視点を持っていない。それ故に、その主人公は現存する世界の価値観を自動的に受け入れるしかない。

 

 これは資本主義的な価値観の肯定であり、物質的な豊穣さをよしとする世界の肯定であり、その世界と一致する事なのだ。村上春樹のような作家は過去の小説の「形式」しか見ていない。彼には作品の奥にある思想は理解できない。その為に、彼の中の不在の思想領域に、現存の世界の価値観が侵入する事となる。

 

 思想を持たない人間に対しては、現に在る思想が自動的に入り込んでくる。思想とは世界に対する一種の抵抗であり、個とは絶えず世界から自己を切り離す行為だ。これをしない人間はその内面を世界に侵される。そしてその方が生きるのは遥かに楽であるに違いない。

 

 ※

 もちろん、次のような可能性は考えられる。現存の世界の価値観は「正しく」、それに対して個人が抗う事には全然意味がないのだ、という風に。

 

 ただこの場合は個人を描く事が使命である優れた文学作品の出現は期待できない。社会学や経済学といった全体を考量するものがあれば十分だろう。

 

 ドストエフスキーの問題意識に立ち返って考えてみよう。ドストエフスキーはどこまでも文学者であったから、彼の根底的解決、根底的救済は「魂」のそれでなくてはならなかった。

 

 ドストエフスキーがキリスト教に回帰したのは、個人の魂が救済される為には宗教という、いわば、魂の集合体のようなものが想起されなければならなかったからだろう。

 

 だが宗教は常に理性によって否定されるものであり、ドストエフスキーは理性の強い、西欧の論理も学んだ人間だったからここに矛盾が生じざるを得なかった。

 

 ドストエフスキーは文学者であるから、あくまでも解決されものは「霊的」なものでなければならなかった。ここに宗教への繋がりが微かに見える。

 

 一方で、例えば村上春樹のような作家ならば、そうした霊的解決というものを要求するほどに、思想が煮詰められていないので、漠然と現代の資本主義の物質主義と一致する事が文学的解決だと想起されている。

 

 ドストエフスキーの場合は、その霊的な解決が西欧から来た社会主義と矛盾するものとして捉えられている。これを現代社会との関連で考えると、ドストエフスキーの視点からはおそらく、社会主義と資本主義は共に神を欠いた、すなわち霊的な救済を除いた物質主義への堕落と見えるだろう。

 

 そしてそれは十九世紀の西欧ですでにスタートしていたものであり、そのかわり、後進国のロシアにおいてはむしろ素朴にキリスト教を信じ、神による霊的な救済を信じるロシアの民衆がいたので、後進国ロシアの民衆がかえって、先進国の堕落に対抗し得る存在であるとドストエフスキーは考えていたのだろう。

 

 まとめると、そもそも、現代における文学の不作というのは文学者の才能の不足に帰せられるだけのものではない。根底にはそもそも、文学とはなにかという問題がある。

 

 現代において文学が不能に陥っているのは、そもそも文学作品が成立する際のバックグラウンドである「思想」が不可能になっているからだ。

 

 というのは、現代では、大衆が王であり、物質的に富む事が良いという価値観が絶対化しており、その前提を疑うという発想そのものが欠けている。宗教は理性によって否定された。

 

 だが、理性を徹底的に働かせる事は、おそらくはパスカルのように、かえって理性そのものが自己の世界からの孤立を知り、理性の外側に超越的なものを求めるという方向へと変化していく。

 

 過去の優れた哲学者や文学者、あるいは科学者でもそういう人がいるが、彼らが優れた理性を持ち、世界のあり方を論理で極めつくした後、かえって自ら理性を投げ捨て、宗教(的なもの)へ帰依するという思想の進行段階というのは確かに存在する。

 

 それは論理によって現実を解析し、その最後には純然たる解析装置と化した理性それ自体が、自己のうちに孤立し、そこからどこにも行けない事を悟り、それ故に理性が理性を廃棄し、一種の自死活動を行うという、そうした思想運動であろう。

 

 こうした思想の方向性は知識人の一部に確かに存する。

 

 現代においてはこうした理性の徹底使用もある意味で禁じられている。それをやりすぎる人は「すばらしい新世界」にあるように「変な人」だと見られるのである。

 

 理性はあくまでも利益獲得のための手段としてそこそこのものとして使われるのが好ましい。こうした半端な賢さに留まる事は、大衆の知性と一致した社会的要求である。これもまた現代の思想の一つだ。

 

 すなわち、現代においては言論は自由であり、権力批判、社会批判はいかようにも許されている。だがそれらすべてはメディアの上に載って、大衆による多数決の洗礼を受け、多数者からの賛同を得られないものは淘汰される。それらは暴力的に排除されるのではなく、単に無視される。

 

 また、この大衆の思想においては理性の徹底的な使用は禁じられている。それは現代の功利主義や物質主義を後押しするものでなければならない。要するに現代は思想は一種類しかない。それ以外のものはすべて見えない形にされる。


 メディアと大衆が要求するものだけが、人々の視線を受けて存在する。どれほど偉大な思想も、大衆とカメラの視線を浴びていなければ存在しないものとされる。

 

 ※

 近代のロシアにおいては、抑圧された政治システムの中で、西欧からやってきた主体の自由に関する論理や、社会革命思想が、インテリに大きな力を吹き込んだ。これらの矛盾が、文学という世に出せる唯一の形式を通じて、大きく花開いたのだった。

 

 明治の日本においてもそれと近い状態があったのではないかと思う。明治の知識人の本を読むと、彼らは明治維新を経験して知っているから、明治政府が絶対的な権力だと信じているわけではないというのがわかる。だが、昭和の戦争期においてはすでに「国体」というような形で、国家権力の存在は絶対視されていた。

 

 私が思うのは、昔の文学者と今の作家らの気概の違いである。例えば「文学は男子一生の事業とするに足らざるか」といった問いを今に当てはめると、馬鹿馬鹿しい印象しか受けない。

 

 現代の日本において「文学をする」とは「芥川賞を目指す」以外の意味がない。芥川賞を取れなければそもそも文学者ではない。逆に芥川賞を取り、あるいは取れなくても新進作家として、世界に自分の作品を売りつける事ができるようになれば、それが最も良い事だとごく自然に考えられている。これに対して何の矛盾もおかしさも感じない。

 

 という事はそもそも文学が資本主義の論理に組み込まれているのであって、現代の作家が総じて思想を持っていないのもこれで説明がつく。思想の部分は世界の資本主義の在り方、大衆の欲望、あるいは賞レースにおける勝利の仕方、選考委員の好み、そうしたものによってすでに決定されているのだ。

 

 それ故に作家に残されたのは単なる技巧的部分という事になり、文学志望者は、根底的な問題を詮議する前に「文才」だの「語彙力」だのといったものを磨こうと努力するに至る。

 

 「文学」が単なる小手先の技術の争いになるという事は、それを決定する大きな枠組みについては考えられない、という事だ。大きな枠組みというのは時代の変化によって消えたのではない。ただ、それを問う視座が時代の中で消える事はある。


 みなが同じ方向を向いているからこそ、わずかな差異を「多様性」という言葉で際立たせて、差異と戯れてみせる。これによって、誰しも考える事すらできない良識の正当性はかえって強化される。

 

 現代社会における抑圧というのは、近代ロシアの抑圧とは随分趣が異なっている。近代ロシアの抑圧が「1984年」式だとすれば、現代のそれは「すばらしい新世界」式だ。

 

 現代においてはいかなる反権力も、主体の解放、個人の意見といったものも、メディアに取り込まれ、それが多数者に称賛されるかどうかという事でその価値が決まる。ここで思想の右と左、保守と革新が争っているようにみえるが、実際にはどちらも同じシステムの一部に組み込まれているに過ぎない。

 

 このような世界において文学をするとは果たして、どのような事か。それは、私にはわからない。

 

 ただ、私が思うのは、現代のメディアー大衆の価値観に反する生き方というのは、自らの沈黙の生、その実存を肯定する、それしかないと思う。

 

 世界から見捨てられた自己を生きるーーこの実存を肯定するいかなる視座もこの世界には残されていない。誰も彼も似たような事ばかり言う。勝ち組ー負け組、イケメンーブサイク、といった人々が要求する二項対立の外側を誰も想像できないように。

 

 カメラの光が当たっていない場所にも生はあり、視線を受けていない自己もまたひとつの人生を生きている、そう確信するような価値観というのは、マルティン・ブーバーにならっていえば「我ー汝」のような垂直的な価値観だろう。それはどちらかというと宗教に近接していくだろう。

 

 トーマス・マンの「ヨーロッパに告ぐ」では、マンが、悲劇的な最後の近代知識人として以下のような言葉を残していた。

 

 【そして、我々としては、今日よりも直ちに、時間と空間の外に避難所をもとめるより外に道がないということになるであろう。】

 (「5つの証言」 トーマス・マン、渡辺一夫 中公文庫)

 

 時間と空間の外にはいかなる避難所も存在しない。現代の合理主義者はみな、マンの妄言を「論破」するかもしれないが、実際にはマンの言説に価値があるのは時間と空間の外になにものがあると信じているからこそ、なのだ。

 

 同様に、今を生きる我々も、存在する現実が決定した価値観の「外」にある生を肯定する事が求められるだろう。この生は、どのようなメディアにも発露されない沈黙のそれであって、生きる事そのものが世界から不可視になるような生き方だ。

 

 この生には何の意味もない、と世界は決定づけるだろうが、思想はこの生の意味を時間と空間の外に求めようとするだろう。そこにはじめてこの時代の「個」の意味が現れる。世界から自らを切り離す定義づけが行われる。

 

 このような操作によって生まれた「自己」が、この世界を十全に、そして足をひきずりながら生きていく事。そこに無意味としての意味が生じる。もし文学を始めるとしたら、この生を直視する事から始めざるを得ないだろう。


 それは、人々の要求に応じて、流行の政治思想を取り入れて、文学を殺しながら文学者面をする事とは違う。あらゆる差別、格差、病、苦痛といったものもひとたびメディアに取り込まれてカメラの光を受ければ、みな同じものになってしまう。


 こうした世界に唯一対抗できるのは、沈黙としての生を生きる事。そしてその意味を自ら信じる事しかないのではないか。


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