崩壊世界のマキナ
嗅ぎ慣れた鉄臭さ、触れ慣れた温度。
見慣れた少女の死に顔。
ナイフをゆっくりと、少女だったモノの頭皮へ刺し込む。
今となっては手慣れた作業だ。頭皮から約八ミリ。ナイフで頭蓋を割り、慎重に円を描くように頭を開く。
脳は傷付けないよう慎重に、ゆっくりと。
「…………よし」
頭を開き終え、軍用リュックからホルマリンで満たされた容器を取り出し、抗菌手袋をはめる。
ぬめりとしたピンク色を放つ腸の塊のような脳みそをそっと両手で掴み上げ、慎重に容器へと移す。
気持ち悪い、と半年前の自分なら感じていただろう。
しかし、もう慣れた。これはただの器官の一つだ。
俺は肉の解体をしているに過ぎない、そう言い聞かせれば済む話だ。
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「お、帰ったか。お疲れさん。Iは?」
「有るよ」
「そうか。今日も大変だったな」
「いいや……もう慣れた」
同僚が気さくに挨拶してくるのも、このやりとりも、慣れた。
基地の中を進み目的の部屋である記憶保管庫へと入り、識別証を機械へとかざす。
『認証中――――承認。お帰りなさいませ、糸杉少尉。マキナブレーンをお預かりします』
聞き慣れた機械音声の言う通りにリュックから容器を取り出し、指定の位置へとはめ込む。
『電気信号を解析――マキナ識別番号九番Iと確認。これより記憶の移行及び肉体の切り替えに移ります。所要時間は八時間です。お疲れ様でした』
これで今日の任務は終了だ。
指揮官の一人として配属され、マキナを連れて任務に赴き早一年。
任務地に出る。マキナに指示を出す。マキナが死ねば脳を回収する。生きて帰る。
これが、指揮官として与えられた俺の仕事だ。
――――
2050年、人類は既に99.9%が死滅。
残った人類は外敵から身を守る為に巨大なドームを設立し、その中で暮らしている。
遡ること十年前、2040年に世界人口は90億人を突破。
同時に世界はエネルギー不足に悩まされていた。
様々な試行錯誤とアイディアが捻出され、そのうちの一つとして地球の核から発生する地熱エネルギーの利用が挙げられた。
最初の接触は同年、アメリカのテキサス州。
技術の発達により最高深度を遥かに上回った地下30km地点、300〜400℃に達する高温かつマントルに届くかという所に、奴らはいた。
従来の生物学はおろか、そもそもそんな可能性は微塵も考えられていなかった。
そんな場所に生物がいることなど。
最初にその影を捕らえたカメラは同時にロスト。
掘削機も数秒後には稼働を停止し、通信途絶。
送られた最後の映像は何かの間違いだと、機器は何らかの故障を起こしたに違いないと片付けられた。
しかし、翌日には悪魔が地上に這い出て来た。
全長およそ二メートル、黒光りする甲殻に覆われ、アメンボの様な胴から伸びる六本足。
目は存在せず、顔にあたる部分には大きな口とげっ歯類の様な歯がずらりと並んでいた。
それらは地表に進出した後、付近の作業員に始まり、ありとあらゆる生物を殺害し捕食した。
次々と湧き出るそれらに対し米軍はすぐさま対応するものの、無尽に湧き出るその勢いを止めることは叶わなかった。
アメリカは直ちに世界中に対しこの情報を発表し、それらを『デモン』と名付けた。
地表という新天地と食料を見つけたデモンは、徐々に世界各地の大陸へと出現。
アメリカ大陸に留まらず、ユーラシア大陸、アフリカ大陸、オーストラリア大陸へと。
各国は連携して軍を派遣しこれにあたるも、硬い外殻にその数と勢いを止めることは出来ず。
遂に世界は、核の使用へと踏み切った。
徐々に、徐々に、人類は自らの首を絞めながらデモンを駆除し、終いには放射能汚染により自らの住処さえ失ってしまった。
それでもなお、地下から湧き出るデモンは留まる事を知らなかった。
――――
起き抜けのブラックコーヒー、砂糖は一つ。
鼻腔を突く豆の香り、口に広がる心地よい苦味とほのかに感じる甘み。
モーニングルーティンに浸っていると、コンコンコンと、規則正しくドアがノックされる。
「入れ」
入室の許可を求められるまでも無く、扉の前の人物には見当がつく。
「失礼します。I、ただいま復帰致しました。昨日はブレーンの回収、ありがとうございます」
「いい、仕事だ。調子は?」
「問題ありません。身体機能は十全に発揮出来ます」
入って来たのは見慣れた少女。
黒いショートヘア、赤目、整った顔立ち、動きやすいパンツタイプの軍装を着用し、年齢はおよそ15歳程。
マキナ識別番号九番、通称I。俺が昨日脳みそを回収した少女だ。
Iは無機質な機械の様に業務的にこちらの質問に答える。
マキナは機械ではなくクローン。つまりは人間と変わりない。
故に感情も有るし自我も有る。
だがIだけは他のマキナと違い、出会った一年前から機械のように無機質なままだ。
しかし、今となってはそれで良かったと思える。
機械のようにいてくれなければ、俺がしている悪魔の所業を、俺は許す事が出来ない。
――――
世界が危機に陥る中、非核宣言を行い他国の核使用時に対応手段を要していた日本だけが、土地の安全を確保していた。
また、デモンは海水を苦手としていた為、島国であったことと地下からの進出に当たらなかったことが幸いした。
同時に、日本は秘密裏にとある技術の開発を成功させていた。
それが、クローン生成である。
年々加速する少子高齢化への答えとして出したのが、優秀なクローンを生み出し人口を回復させるというものであった。
当然これは国際法に違反するものである。
なので日本政府は秘密裏に、徐々に人口にクローンを紛れ込ませる予定であった。
だが、そんな日本にも遂にデモンの魔の手は届いた。
既にドームを各地に備えていた日本は他国ほどの被害は出さなかったものの、時間の経過とともに着実に滅亡への一途をたどっていた。
資源は有限、それは人も然り。
しかし、日本にはクローンがあった。
それは神の啓示か、はたまた悪魔の囁きか。『クローンを戦わせればいい』と、誰かが言った。
無論、ただのクローンではない。
皮肉なことに、争いは科学技術の発展に最も貢献する。
細胞に回収したデモンの組織を移植し、人為的に強化を施した強化クローン。
それが、『マキナ』である。
マキナは人間の五〜十倍の身体能力を持ち、専用に製造された大火力の銃器を用い戦場へと赴く。
クローンであるため肉体は何度も複製が可能であり、短期間で製造することも可能となっていた。
さらに脳の電気信号を機械で読み取り記憶をデータとして抽出し保存することにより、死亡しても次の肉体に記憶を引き継いで、戦闘記録と技術を継承して次の戦いへと繰り出せる。
生還すれば専用の機械を頭に繋ぎ、その日の記憶を保管庫に上書きする。
そうしてマキナ達は、都度記憶を上書きし続けて戦場に向かい続けるのだ。
『非人道的だ』『倫理に反する』と声が挙がったが、滅亡が目の前へと迫る中、確かな戦果を挙げるマキナを目にして次第にその声は無くなった。
人類は少しでも長く生きるため、倫理と道徳を捨て去った。
――――
鼓膜を叩く凄まじい連射音が響く。
薬莢が落ち、硝煙の臭いが漂う。
げっ歯類の様な歯を噛み鳴らし、キチキチと虫の様な断末魔を挙げながらデモンが地に伏す。
「状況クリア。周囲にデモンはいません」
「よくやった。反応があったのは後は南西市街地だ。いけるか?」
「問題ありません」
眉一つ動かさず、Iは手に持つライフルのマガジンを入れ替える。
デモンの外殻は非常に硬く、その硬度はモース硬度九に相当する。
これは鋼玉に相当し、十がダイヤモンドであることからその硬さは推して知るべしといったところか。
当然、これを砕く為銃器も専用に火力を上げた特注物になる。
458口径(11.63mm)大型獣狩猟用マグナム弾。 アフリカゾウを一発で即死させるほどの破壊力を持つこれを、アサルトライフルに落とし込んだ、いわば『マキナ』専用兵装である。
常人ではこの超威力の弾丸をフルオートで発射する銃器を扱うことは不可能である。
『マキナ』の増強された身体能力を持ってして初めて、実戦投入が可能となった。
「指揮官。ルート上にデモン三体を視認。交戦しますか?」
「当然だ、殲滅しろ」
「了解」
命令を受け取るとIは速度を上げて俺から離れ、走りながらライフルを構える。
50メートルは離れているが、足音に気づいたデモン達が六本足を忙しなく動かしてこちらへ殺到してくる。
奴らは視覚が退化している代わりに、聴覚と嗅覚が発達している。特に、血の匂いにはひどく敏感だ。
向かってくる姿は悪魔の様であり、虫の様でもある。
いつしか教官が言っていた、『奴らは目のないゴキブリだ』という言葉が思い出される。
「交戦開始」
Iの発砲を皮切りに足を止める。
これ以上近づいては巻き込まれかねない。
俺達指揮官が携行する武器ではデモンに傷一つ付けられない。これはあくまで自決用である。
発射された弾丸は正確にデモンの足を撃ち抜き外殻を貫く。
先頭の一体を転倒させ後続を詰まらせる。
目の見えない奴らへの対策としてはこれが定石だ。
そうして動きが止まった後続の個体から、頭部へと鉛のプレゼントを届けていく。
初めて戦場に出た時、自分の半分程の外見年齢をした『マキナ』がデモンを倒す姿にはひどく罪悪感を持ったものだ。
本来ならアレは俺達の役目のはずだと、そう思った。
だが、世界が滅亡に向かう中で俺達人間はあまりに無力であり、そんな綺麗事は何の価値も持たなかった。
「! I、十時方向ッ!!」
「!?」
視界の隅の建物から猛スピードでデモンが飛び出しIへと飛びかかる。
建物に侵入し、そこを根城としていた個体だ。
反応に遅れたIの左腕へとデモンが齧りつき、頭を振って捕らえた得物を振り回す。
骨が砕ける音と肉が千切れる音が交互に聞こえ、Iの体が落ちる。
左腕は肘より先が消失し、多量の血を垂れ流していた。
「Iッ!」
「問題有りません。戦闘を続行します」
『マキナ』には痛覚が無い。人為的に遮断されているからだ。
故に、『マキナ』は損傷の度合いに関わらず戦闘行動を続行する。
その生命が尽きるまで。
振り回されてなお離さなかったライフルを右手で構え、肘までしかない左手を添える。
デモンといえど、一対一で距離が空いては成す術も無い。
咀嚼したIの左手が、奴の最後の晩餐だ。
「――クリア。周囲の安全を確認しました」
「よし。どうだ、いけるか?」
「……いえ、これ以上の続行は指揮官の安全保持に支障をきたす恐れがあります。ここまでかと具申致します」
「……分かった。使え」
「ありがとうございます。それでは、後をお願いします。では、また明日」
Iは俺から受け取った拳銃を自身の胸に当て、躊躇無く引き金を引く。
一発で心臓を破壊し、今回のIは活動を停止した。
目を見開いて絶命したIの横に膝を突き作業の準備を進める。
後はいつも通り、手慣れた作業をするだけだ。
「――――ふぅ……」
脳を取り出し終え容器に詰め込む。
外した後の頭部からは血と脳漿が滴り落ち続け、残った体を汚し続けている。
15歳程の少女が壊され汚れていく様すら、平気になっていく、平気にならざるを得ない世界と自身の心に多少の嫌悪感を感じつつその場を後にする。
作戦開始地点に停めてあるバイクに乗ってしまえばこっちのものだ。
いくらデモンといえ、バイクには追いつけない。
それにバイクは太陽光発電と充電式の内蔵バッテリーで走るため、従来までのガソリン式のものと違い消音性に優れる。
それもまた指揮官の生存に一役買っている。
「ッ!」
前方の角からデモンがぬらりと、黒い甲殻を鈍く反射させて現れる。
すぐさま息を殺した為こちらには気付いていないが、臭いで察知されるのも時間の問題だ。
腰の手榴弾に手をかけて取り出し、ゆっくりとピンを抜いて今来た方向へ放り投げる。
炸裂音を放ち赤黒い硝煙を挙げると、前方のデモンは狂ったようにそちらへ向かう。
対デモン用誘導招臭擲弾。長いので『寄せ玉』と略されているこれは、炸裂後にデモンの好む臭いを放ち周囲のデモンを集める効果が有る。
こいつを使うことによって指揮官は生存、及び作戦行動を優位に進めることが重要となる。
デモンのいる市街地を抜け、バイクに戻ってエンジンを点ける。
バイクにはサイドカーが付いており、本来であればここにはマキナが搭乗する。
ドームまでは20分とかからない。
その間の景色は見慣れた荒廃世界一色だ。
ボロボロに崩れた建物、弾痕や砲弾で抉れた土地、転がるデモンの死骸に人骨。
人類は既にこの世界を取り戻す事を諦めている。
俺達軍の役目はあくまでドームの維持と防衛。
こうして外に出るのも有効資源の確認とデモンの動向監視だ。
時たま何のためにこんな事をしているのかと自問自答するが答えは決まっている。生きるためだ。
ドームに戻って軍用門をくぐり、基地へ直通の道を走る。
駐車場にバイクを停め、目指すは記憶保管庫だ。
「あ、糸杉先輩! お疲れ様です!」
「西木か。先輩はやめろ」
「すみません、癖が抜けなくって……ほら、Fも挨拶して」
「おじさんこんにちはー!」
基地に入ってすぐに後輩である西木と、彼女の連れているマキナのFと出会う。
西木は訓練生時代からの後輩で、茶髪をポニーテールで纏めた活発な女だ。軍人に向いているとは思えない良心の持ち主であり、彼女が指揮官になったと聞いた時には耳を疑った。
Fは七、八歳程の少年の姿をしたマキナであり、Iよりも早く作られた個体である。
西洋人のような金髪と碧眼が特徴的で、無邪気な様相とは裏腹に高い戦闘能力を持ち合わせ、死亡回数ならIよりも少ない程だ。
「こらF!」
「おじっ……んん、ご苦労さまF。今日は帰れて良かったな」
「うん! この後アニメ見るんだ〜!」
「す、すみません先輩! 後でちゃんと言っておきますので! あ、ところでIちゃんは……」
「ちゃんと有るさ」
「そうでしたか……残念、でしたね……」
「残念も何もあるか。これが俺達の仕事だ。それよりもお前、顔色が酷いぞ? 休めて無いなら上に相談しろ。体調管理も兵士の務めだぞ」
事実、西木の顔は以前見た時よりも痩せこけ血の気も薄い。
髪も少し傷んでいる様だ。
「あ、あはは……この頃ちょっと調子が悪くて……」
「ねえねえ指揮官! 早く行こーよー!」
「ご、ごめんねF! それじゃすみません先輩! 失礼します!」
「……ったく、少尉と呼べ……」
まあいい、他人に構ってられるほど暇でもなければお人好しでもない。
体調管理は兵士の仕事、本人で何とかするべき問題だ。
すべき事を終えて自室へ戻り、今日の作戦レポートを纏める。
『四月八日 基地南部及び南西市街地のデモン掃討作戦において、目標数の掃討を完了するもIの左腕を喪失。作戦続行は不可能と判断。また翌日以降の作戦の為にも肉体の交換を優先し現行の肉体は破棄。ブレーンを回収後帰還し記憶保管庫にて移行手続きを完了。今回の作戦によりIの通算大破数は14回となる。
以上 糸杉当悟』
「ハァ……」
窓から見える空は暗く、少し下をのぞき込めばドーム内の住居から漏れる光で明るく照らされている人々の姿が見える。
俺達が戦い、守っているのはこの光景を維持する為。
その為ならば、俺達指揮官は、軍は悪魔にでもならなくてはいけない。
『四月二十日 ドーム北西市街地にてデモンを掃討後、シェルターを発見。中には未開封の缶詰等があり、後に回収部隊の派遣を進言する。今回の作戦におけるIの損耗は皆無。
以上、糸杉当悟』
『五月二日 ドーム東部市街地にて観測されたデモンの群れとの戦闘行動においてIが大破。デモンの足により頭部を貫かれた上での大破のため、ブレーンの回収は困難であると判断し、現行のブレーンは破棄。今回の作戦により通算大破数は17回となる。
以上、糸杉当悟』
『五月九日 ドーム周辺まで接近したデモン掃討のため出撃。作戦行動中に両足を喪失し、作戦続行は不可能と判断。他部隊に引き継ぎ、その後ブレーンを回収。今回の作戦により通算大破数は20回となる。
以上、糸杉当悟』
「あ、先輩……お疲れ様です……Iちゃんもお疲れ様」
「――西木か……相変わらず酷い面だ」
「西木伍長、お疲れ様です」
「……Fはどうした?」
「今日はダメでした。でも、ちゃんとブレーンは連れ帰ってあげれたんです! それじゃあ、私行かないとなので……失礼します」
そう言って西木が向かった先は、通路の横に備え付けられているトイレであった。
男女別に壁で仕切られた女性用へと、おぼつかない足取りのまま吸い込まれて行く。
その様子が気がかりで、不躾とは理解していながらも入り口の壁にすがって聞き耳を立てる。
「うっ……うおえぇェェッ!! おえぇ! がはっ、がはっ! あ、あぁ……ごめんね……ごめんね……! 私がもっとちゃんとしてれば……死なせちゃって……ごめんね……」
「…………」
悲痛なまでの自責と懺悔。
前々から思ってはいたが、彼女に指揮官という仕事はやはり向いていなかった。
限界だ。俺から上に進言すべきか?
いや……やはり俺が口出しすることでは無いだろう。
限界だろうと、もう無理であろうと、西木自身が選ぶのならば。
「指揮官。何故西木伍長は謝罪をされているのでしょうか?」
「……お前が知るべきことではない。今日はもう戻れ。また明日、ブリーフィングで会おう」
「承知しました。お疲れ様です」
あぁ、本当にIが機械的でいてくれて良かった。
俺ももしかしたら西木の様になっていたかもしれない。
それを、Iの無機質さが防いでくれている。
翌日、出撃前の廊下で西木とFの二人と出くわした。
やつれて生気の薄い西木とは対照的に、Fは無邪気に幼い体と不釣り合いな銃を抱えてはしゃいでいる。
「おい、行けるのか?」
「あはは、いやですよ先輩……私、大丈夫ですから……」
「ねぇ指揮官行こーよー」
「うん……それじゃあ行ってきます。先輩も、お気をつけて……」
「……あぁ」
その背中は暗く、足取りは重く、彼女は今日も基地を後にした。
他人の心配をしている暇は無い。
今日も、明日も、まずは我が身だ。
「行くぞ」
「はい、指揮官」
今日の任務は滞り無く進み、危なげもなく目標数のデモンを掃討し終えて帰路につけた。
バイクのサイドカーにはIが乗り込み、万が一に備えて周囲を警戒しながら銃を携えている。
「指揮官、発言してもよろしいでしょうか?」
「……何だ急に」
「私は、つまらないでしょうか?」
驚きのあまりブレーキをかけそうになった。
Iがこの様な質問をしてくるのも初めてであり、そんな突拍子もない事を口走ると思っていなかったからだ。
「Fもそうですが、他のマキナと指揮官達は一緒にいて笑顔を見せています。また、私は他のマキナに『機械的すぎる』『つまらない』と言われます。事実、糸杉指揮官は私といて笑顔になったことがありません。私は、つまらないのでしょうか」
「…………面白いかどうかと言えば、面白くない奴だ。だが、それは=つまらないとは限らない。俺が笑顔にならないのはそういう人間だからだ。だから、お前は気にするな」
「……承知しました」
精一杯のフォロー、もとい取り繕いだったろう。
正真正銘、Iは面白くないしつまらない。
一緒にいて笑顔になれる要素など皆無だ。
だが、俺は取り繕ってしまった。
何故だ? 相手が機械であると仮定すれば、真実を口にして話を終わらせる事に何の支障も無いはずだ。
何故俺は、『人間を相手にするように』コミュニケーションを図った?
その答えを明確にしようとすればする程、俺自身の矛盾に目を向けなければならない事実に気付き、嫌気がさす。
基地に戻って廊下を歩いていると、数人の兵士が誰かを囲っているのが目に入った。
Fだ。Fは土汚れが付いた服のまま一人で、何故か指揮官用の軍用リュックを背負っていた。
西木はどこだ? どうしてリュックをFが背負っている?
「おい、西木はどうした?」
「あ、おじちゃん!」
「あぁ、糸杉少尉。実は、西木伍長が殉職なされたとのことでして……」
「なんだと? なら何故Fが一人でいる?」
「それが、その――」
「そうだ! おじちゃんも見てよ!」
西木が殉職した。
不思議と驚きは少ない。近頃の様子を見ていればいつ死んでもおかしくはなかった。
だが、その指揮官を差し置いてFが一人で帰還したこと。そして神妙な面持ちの兵士達の動揺はなんだ?
そして、無邪気にFがリュックから取り出したものは――
「ほらこれ! 指揮官の持って帰ったんだよ! でもマキナと違って記憶は残らないんだよね? でもいちおー持って帰ったんだ! だから、はい!」
「あ、……は? 待て、『指揮官の』だと? ならこれは――」
取り出されたものは、マキナの脳を詰めるホルマリンに満たされた容器であった。
その中にはズタズタに切り解かれた、血と脳漿に塗れたピンク色の物体が浮かんでいた。
「うん! 指揮官だよ! 指揮官ね、僕が危ない時に飛び出してきてデモンに殺されちゃったんだ。へんだよね、僕らは生き返るのに。どうしたらいいか分かんなかったから、脳は持ち帰ったんだ。じゃあソレあげるね! バイバーイ!」
「あ――おい! ッ、クソ! どうしろってんだよ……! どうして……西木……!」
マキナを庇って死ぬだと? あり得ない。あり得てはならない。
俺達はマキナの脳を持ち帰ることが仕事だ。
その対象の為に自ら身を呈して命を差し出すなど馬鹿げている。その結果がコレだ。
マキナ用の容器に脳を詰められ、おまけに勝手を知らない為に脳はズタズタに傷つけられている。
そして当のFは、西木の行動を理解出来ないまま無邪気に振る舞って悲しむ素振りすら見せていない。
マキナは感情も自我も有る。そのマキナに精神を擦り切らせる程寄り添い、献身した結果がコレなのだ。
やはりマキナに心を寄せるべきではない。
そんなことは……
「指揮官。そちらの西木伍長は丁重に供養なされるのが最善かと」
「そんなこと、分かっている……」
分かっているんだ。そんなことは。
翌日、軍上層部はFの解体破棄を決定した。
曲がりなりにも指揮官を傷つける行為に走ったのだ。
その後の運用に伴う危険性を考慮すれば致し方無いだろう。
自室で通達の報に目を落とし、コーヒーを口に運ぶ。
部屋には既にIも来ていた。
今日は休みであるが、明日の作戦行動のすり合わせの為に軽いブリーフィングを行う予定だ。
「指揮官」
「何だ」
「指揮官には、家族はいますか?」
最近のIは様子が変だ。
今まではこの様に個人を詮索する様な質問はしてこなかった。
何がきっかけなのかは分からないが、確実にIの中で変化が起こっている。
「いたよ。もういないけどな」
「そうでしたか。……Fは私よりも早く製造された個体ですが、マキナの中では幼い肉体を持つため皆からは弟の様に扱われていました」
「お前もそうだったと?」
「いえ。私にはその感覚が分かりません。弟も、姉も、そもそも家族というものがわかりません。辞書で調べたことがあります。家族とは血縁関係やそれに準ずる関係にある人々や集まりだと。ならば我々マキナは家族では無いはずです。クローンとして製造された我々に血縁関係は有りません。ですが、皆は家族の様にFに接し、接されていました。何故でしょうか?」
「……マキナには感情も自我も有ると聞いている。ならば自立して思考し、自らの体験や知識により物事を捉えるだろう。同じ境遇を持ち、同じ志しを持って事に当たるマキナ同士を『家族』として括ることは……不自然では無いんじゃないか?」
おい、やめろ。俺は何を言っている?
それはダメだ。それを認めては、ダメだ。
「同じ境遇を持ち……同じ志しを持つ……でしたら、私と指揮官は『家族』でしょうか?」
何を言っている? 馬鹿なのか? 違う、馬鹿は俺だ。何故俺はマキナを人間の様に捉えた?
マキナが『家族』だと? 冗談ではない。『家族』とは生物のみが持つコミュニティだ。
マキナは兵器、クローンとはいえあくまで機械として扱うモノだ。
その為に、俺達人類は『機械』を意味する言葉である『マキナ』を用いたのだろう。
それは最大の皮肉であり、最大の言い訳だ。
答えろ、答えろ、答えろ!
否定しろ! 違うと言え! 俺達は決して『家族』などでは無いと、ハッキリと言うんだ!
「……いえ、失礼しました。忘れてください。今のは知的好奇心から来る疑問ですので――」
「家族では、ない」
「――……そう、なのでしょうね」
「だが、家族になることは誰にだって出来る」
「それ、は……どういうことでしょうか?」
あぁその通りだ、いったいどういうことだ?
何故俺はこんな事を口走っている?
飲んでいたコーヒーに何か入っていたか? 未知の感染症にでもかかったか?
分からない、分からないのに、俺の口は止まらない。
「結婚やそういったことではなく、気の持ちようで家族になれるという話だ。心を通わせ、共に時間を過ごせば、その者同士はいずれ家族になることも出来る。心の繋がりが、人を繋ぐ。それが最も強い関係が、『家族』だと俺は思う」
「心の、繋がり……家族……それは、私達にも適用されることでしょうか?」
「さあな……お前には西木とFの関係はどう見えた?」
「分かりません。指揮官のお考えを参考にするならば家族の様でもありましたし、結果を捉えれば違うとも言えます」
「あぁ、そうだ。結局のところ、心の繋がりは当人達にしか分からないということだ。俺達がこれからどうなるかなんて、これから先の俺達にしか分からない」
最悪だ。何をカッコつけているんだ俺は。
俺は今、たった今この瞬間に。『マキナ』を、Iを人間として捉えてしまった。
心が無いと、自我はないと定義して扱ってきたからこそ今の俺がいる。
『マキナ』を人間として扱ってこなかったから、Iを兵器として扱って来れたのだ。
「指揮官。今日は少し、部屋に残っても構いませんか?」
「ハァ……好きにしろ」
あぁ、本当に。最悪だ。
そこからは何を話すでも無く、お互いに電子タブレットを操作したり本を読んで時間を潰した。
ブリーフィングを行う筈だったが今はその気力も失せていた。
「指揮官。私の名前は、『愛』と書くようです」
「……そうか」
Lならば『愛』でいいだろう。
Iなのでどちらかというと『己』と書くほうが近いのではないだろうか。
「調べました。愛とは強く惹きつけられる気持ち。想い慕う心。指揮官は『愛』を知っていますか?」
「知っていたよ。デモンが出てくる前まではな」
「今は知らないのですか?」
「忘れた。の方が近いだろうな」
「でしたら、これから思い出していけるのでしょうか? 私も、知っていけるのでしょうか?」
「……さあな」
会話を断ち切る様に立ち上がってキッチンへ向かう。
空になったカップへ新しいパックを付け、ゆっくりとお湯を注ぎ込む。
「コーヒーですか?」
「そうだよ」
「指揮官はコーヒーがお好きなのですね」
「そうだよ」
「――明日から、私に淹れさせて頂けないでしょうか?」
「熱ッ!?」
クソッ、何を言い出すんだこいつは!
ついお湯を零してしまった。いったい今日のIはどうしたんだ。
いっそのこと上に掛け合って破棄も検討してみるべきか?
いや、Fのことがあった今、冗談でもそんなことは考えるべきでは無かったな。
「大丈夫ですか? すぐに患部を冷やす事を推奨します」
「問題無い、座っていろ」
「承知しました」
「それとだ……好きにしろ」
「何をでしょうか?」
何をじゃないだろう。今お前が自分で提案したのではないか。
「コーヒーを淹れたいんだろう? なら、好きにしろ」
「――! 承知しました」
一瞬目が輝いた様に見えたが、返ってきたのは普段通り無機質な返事だった。
だがどこか、その表情はいつもより和らいで見えたのは気のせいだろうか。
きっと気のせいなのだろうと言い聞かせ、注ぎ終わったコーヒーに砂糖を一つ混ぜ込んだ。
次の日の朝、出撃前のモーニングルーティンの時間にいつも通りIはやって来た。
黒いショートヘア、赤目、整った顔立ち、動きやすいパンツタイプの軍装。
いつも通りだ。昨日のIはやはり何かの不具合が起きていたのだろう。
「おはようございます。早速ですが、コーヒーをお入れします」
忘れていた。確かにそんなことを言っていた。
「出来るのか?」
「学習済です。お任せを」
そう言ってキッチンへ向かい、カップを取り出してお湯を沸かしだす。
慣れた手つきとは言えないが、ぎこちないながらも迷いは無いように見える。
そうして待つこと数分して、コーヒーが差し出される。
「どうぞ」
「ありがとう、頂くよ」
うん、美味い。ドリップパックだから余程の事が無い限りは不味くなる筈も無いが。
ただ、そうだな。
「次からは砂糖を一つ入れてくれるか? それが俺の飲み方なんだ」
「はい、承知しました」
「それと、ついでにお前の分も淹れるといい。俺だけ飲むのはバツが悪い」
「――はい。承知しました」
やはりそうだ。今、Iは確かに微笑んだ。
ずっと無機質で、無表情だった彼女は、人間らしく笑顔を見せた。
それを見た時、俺の中で守っていた矜持が崩れる音がした。
俺はもう、Iをマキナとして見れなくなっていた。
----
「指揮官! こちらへ!」
作戦はなんてことは無い内容の筈だった。
ドームから西に位置する市街地にて、反応が増えているデモンの掃討作戦。
数は三十程だが、適確に処理していけば問題無い数であった。
しかし、いつなんどきもイレギュラーは起こり得るものだ。
掃討まで後数匹というところで、俺の背後に穴が空いた。
デモンは地中深くから地上を目指して掘削し、穴を開ける。
それは、地獄の蓋が開くことを意味している。
穴よりデモンが溢れ出て、その勢いは留まることを知らなかった。
十、二十、三十、すぐさま走り出して背後を確認したが、数えるのも馬鹿らしい程だ。
幸いなことに、地上に初めて進出したデモンは環境の変化に戸惑い動きが鈍い。
悪魔の様な連中も生き物だということだ。
この隙を見逃す訳にはいかない。
退路が断たれた以上、反対方向に俺達は走るしかなかった。
何匹かは追従してきたためIがライフルで迎撃するが、勢いは止まらない。
むしろ音につられて新たな個体が押し寄せる事態を招くこととなる。
「ッ、仕方無い!」
寄せ玉のピンを抜いて後方に投げつける。
数秒の後に炸裂し、デモンが好む臭いを周囲に撒き散らす。
餌に集まるゴキブリのようにデモンが一箇所に吸い寄せられていく。
「今のうちだ! 行くぞ!」
「了解!」
随分と作戦区域から遠ざかってしまった。
バイクに戻るには一時間はかかるだろうか。
既に日は落ちかけ、これ以上の屋外行動は自殺行為だ。
仕方なく近くの住居に侵入し、無線で基地とのコンタクトを図る。
「こちら糸杉。司令部、応答せよ」
『こちら司令部。状況を報告せよ』
「現在、突如現れたデモンの群れにより退路を断たれた。日があるうちにバイクへ戻ることは困難と判断し、今夜は民家にて夜を過ごすことにする」
『了解。明日の帰還を祈る。武運を』
司令部からの返答は短く、簡潔なものであった。
『武運を』だと? 馬鹿馬鹿しい、どうせ俺が生きて帰るなんて思ってもいないだろう。
「指揮官、ご安心を。貴方は必ず私が守ります」
「ハァ、いいからお前も休め。ここならそう気を張らなくても、そうそう見つかりはしないさ」
リュックを下ろし、床に尻もちをついて背を壁に預ける。
崩壊前なら特に珍しくもないコンクリート住宅。
その頑丈さ故か、建物自体へのダメージは少なく内部も大きくは荒らされていない。
ベッドがあるのは有り難い。これなら体を休めることも出来るだろう。
「でしたら指揮官、どうぞあちらのベッドへ。お体を休めて下さい」
もちろんそうさせてもらう。そのつもりだ。なの、だが。
「……あれはお前が使え」
「何を言うのですか。指揮官のお体が最優先です」
「良いから使え」
「従えません。私は警戒に徹しますので」
「何度も言わせるな。これは命令だ」
「ですが――」
「女の子を床で寝かせる訳にはいかないだろう。……言わせるな」
「は、い……?」
やめろ。驚くな。そのキョトンした表情をすぐに戻せ。人間の様に振る舞うな。違う、間違っているのは俺だ。人間の様に扱うな。
Iは、彼女は――
先に一人ベッドへと入り、Iに対して背を向ける。
少しして、背中越しにIがベッドへと入ってくる。
ガチャガチャと音がすることから、どうやら銃は持ち込んできているようだ。
しばしの無言の後に、俺は重たい口を開く。
「少し、おかしな話をさせてくれ」
「どうぞ」
「最近になって、俺は自分の事がよく分からなくなってきていた。俺は、今までお前たちマキナの事を機械のように扱ってきた。機械のように扱うことで、俺は自分の行いを正当化していたんだ」
「それは間違っていません。事実、我々に付けられた『マキナ』とはそういった意味を持ちます」
「あぁ、そうだ。そうだったんだ。だが、今は違う。俺はもう、お前を機械として、兵器として見れなくなっている。一人の人間に見えて仕方ないんだ」
「…………」
「だからI。死なないでくれ。俺にもう、お前の脳を取り出させないでくれ。生きて、一緒に帰ってくれ」
「それが、命令であるのでしたら……はい」
Iは人間的になってきたとは言え、心のどこかでコレは俺の単なる独りよがりで、Iはそんな俺の気持ちを受け入れてくれないのではないかと思っていた。
そのせいだろうか、返事を聞くと安心からか、意識はゆっくりと闇の中へと落ちていった。
朝になり、窓から日が差し込んだことで目が覚めた。
住居の中とはいえ、熟睡してしまったとは……我ながら気が緩んでいる。
今は生きて帰れるかも分からない状況だと言うのに。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう。……寝てないのか?」
俺が起きたのを確認してIはすぐに声をかけてきたが、そんな彼女はどこか呆けて見える。
「いえ、少しは眠れました。保管庫に記憶を繋げずに眠ったのは初めてでしたので、新鮮な気持ちです。それと……昨夜の指揮官の言葉を、私も考えていました」
「……忘れてくれ。あれは気の迷いみたいなもので――」
「いえ、忘れません。私は、指揮官がああ言って下さった事を、嬉しいと感じたのです。同時に、私も指揮官を死なせまいと再認識しました。これは『マキナ』の使命ではなく、私個人の、『I』としての考えです」
「――――そうか」
「はい。ところで指揮官。この気持ちは、『愛』でしょうか? 大事なものとして慕う心。指揮官に対するこの気持ちは、辞書で見た意味と合致するように思えます。これは、どうなのでしょうか……?」
世が世ならば、ここまで情熱的な言葉も中々耳には出来ないだろう。
当然Iのいう言葉を好意として素直に受け止めきることは出来ない。
彼女はまだ人としての道を歩み始めたばかりに過ぎない。
これはその、ほんの一歩。些細な勘違いだ。
「ふっ……それは、どうだろうな。違うかもしれないし、そうかもしれない。それはこれから、確かめていけば良いんじゃないか?」
「えぇ、そう致します」
そう言ってIは優しく微笑んだ。
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「十二時方向クリア。前方にデモンは見られません」
「よし、進もう」
目標である作戦開始地点、バイクまでは残り十分とかからないところまで来ることが出来た。
ここまで戦闘は無く、昨日出現したデモン達も上手く回避できている。
どうやらこっちには流れてきてはいないようだ。
後少し、ここまで来てしまえば――
「指揮官! 九時方向に多数のデモンを確認! こちらへ向かってきます!」
「クソッ! 走れ!!」
ここまで来て、多数のデモンに嗅ぎつけられてしまった。
足を止めて戦闘をする訳にはいかない。
弾薬は限られているし、最早Iひとりで捌き切れる数ではない。
後方のデモンは黒い波のように群れをなして道路を埋め尽くし、カチャカチャと音を鳴らして地面を叩く。
その音が次第に近寄ってくるのが伝わる。
だめだ、このままでは逃げ切れない……!
「……失礼します」
「なっ、おい!?」
突然Iが腰に手を回してきたかと思うと、ウェストポーチに入れていた寄せ玉を掠め取っていく。
残数は二つ、それらを握りしめIは言う。
「私が囮になります。指揮官はそのうちにお逃げ下さい」
「馬鹿を言うなッ!! 昨日の話を忘れたのか!? 俺は死ぬなと言ったんだ!」
「勿論覚えています。ですが、私も指揮官を死なせないと言いました。指揮官の命令に背くことにはなりますが、お許し下さい」
「許す訳ないだろう! 返せ! それを使えば二人で逃げきれる!」
「状況を正しくご判断下さい。残る寄せ玉ではこの数を引きつけるのは不可能です。ですので、一つ目で全体の足を鈍らせ、ギリギリまで私が囮になった後に二つ目を使います。そうすれば指揮官の撤退時間は稼げる筈です」
「だから俺は――」
「お願いです、やらせて下さい。私は死んでも、また明日には基地で新しい体で目覚めます。ですが、指揮官は貴方一人だけなのです。どうか、またお会いするためにも……お願いします」
「〜〜ッ!! 明日! 必ずコーヒーを淹れに来い!」
「――はい。では、行ってまいります」
俺から離れるIは笑顔で、胸が痛くなるほど美しく映った。
背後では一度目の炸裂音の後に、数秒間の銃撃音が響き渡る。
音が止んで少し間隔が空き、また銃撃音が響き出し、次第にその勢いは弱まり、やがて音は止むと同時に二度目の炸裂音が空気を揺らした。
振り返ることはしない。彼女と約束したのだから、俺は生きて帰るのだ。
俺は、俺は――
「クソッ! クソッ! クソッ! クソッタレがぁ!!」
バイクを走らせ、背後から迫るデモンを置き去りにする。
ドームまでの道中、自身を呪う言葉を吐き続けながら、それでもバイクを走らせた。
基地へ戻ると、門兵やすれ違う者達は皆驚いた顔で俺を見てきた。
当然だろうな、生きて帰るなんて思ってもいなかったのだろう。
「おいおい、よく帰ってこれたな! 無事だったか!」
「あぁ……Iのお陰だ……」
「そ、そうか……それで、Iは?」
「…………居ないよ」
「居ないって……おい、大丈夫か?」
「少し、放っておいてくれ……」
今は誰とも話す気になれなかった。
とにかく、一人にしてほしかった。
作戦レポートもまとめず、自室のベッドへと倒れ込む。
何も考えたくない、ただ、それだけだった。
目覚めたのはチャイムの音でだった。
一定間隔で何度か鳴らされるチャイムを鬱陶しく思いながら時計に目をやると、日付は変わっていた。
「何やってるんだ俺は……」
まさか自分がここまで弱い人間だとは思いもしなかった。
憂鬱ではあるが、今はチャイムの主を部屋に入れるべきだろう。
渋々と立ち上がり、ドアを開ける。
ドアの前には見慣れた姿の少女が立っていた。
「おはようございます。昨日はお疲れ様でした。任務の詳細は後ほどお聞かせ願います」
「……あぁ。入れ」
「失礼します。早速ですが、コーヒーをお淹れします」
「……出来るか?」
「学習済みです、お任せを」
ぎこちないながらも迷いのない動作で、作業を進めていく。
俺はそんな彼女の真剣な横顔を、離れて見つめることしか出来ない。
「どうぞ」
「……、ありがとう。頂くよ」
持ってこられたカップは一つ。
真っ黒な深淵にも見える水面が、湯気を立てている。
「――――っ…………」
「いかがでしょうか? お口に合いませんか?」
「いや、なんでもない。なんでもないんだ」
砂糖は入っていなかった。
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