097 おうち
この家に帰るのは久しぶりだ。というか、家と名前のつく場所に帰るのすら久しぶりだ。
「こちらですか……随分広そうですね」
「本当に二人で住んでいたのか?」
鍵を開けた僕に続いて入ってきた二人が、僕を差し置いてリビングまで歩いていく。
「コリンはいいとして、どうしてソードはついて来るんだ」
「部屋がリビングルーム以外に三つ……これは高いですよ。五十はするんじゃないですか、借りるにしても」
「それは皇国の物価だな。こっちだったら三十八ってとこか」
こっちの話を聞いてねーし。
「閑静な住宅街、といった雰囲気ですね。静かで落ち着いていて僕好みです」
「お前は住まないだろ?」
可愛い妹ちゃんとの家があるだろうがよ。全く二人とも、僕が何をしにここに来たのかさっぱり心得ていないようだ。
「何をしに来たのですか?」
「知らん」
「はい?」
「ソード、こういう時は何をするものなんだ」
ソードが行けと言ったから来たんだぞ、と変わらず物色を続けるソードを見る。
「いや、部屋の手入れとかをするのかと思ったんだが。あまりにも使って居なさすぎやしないか? この部屋」
「そりゃあ十年くらい留守にしているからねえ」
「そうじゃなく……」
またそういう言いづらそうな顔をしやがる。いい加減僕らは触れづらい存在なことくらいわかりやがれよ、どれくらい生きているか知らないけどさあ。
「生活感がない、とそうおっしゃりたいんですよね」
ほら、良いところを取られた。ところで、生活感がないとはどういうことだ?
「人が生活しているとき独特の匂いとかいったものが感じ取れないんですよ。いくら十年留守にしていたって、この部屋が初めに点検された時のままのように保たれているわけがない」
「リゼは奇麗好きだったからな」
「それっぽちでまとめられるものですか」
「さあ」
普通って何だい。
みんながどんな生活をしているものなのか僕はご存じないからその問題には答えようがないよ、と逃げた。
以上だってことは解り切っているけれど、弟子の言葉という形でそれを突きつけられるのが無性に怖かった。
僕が人間に近づいているからなのかなア。
「まあ、俺もそれほど人間らしい暮らしはしていないからな」
「影とおっしゃいましたっけ。エフソードさんの場合は構わないんですよ、存在として人間ではないのですから」
エフソード、って迷いなく発音できるんだな。滑舌が良い。
「けれど、師匠は人間として位置づけられている。在り方が人間なんですよ。それなのに生き様が人間らしくない。——だから嫌われる。だから敬われる。だから恐れられる。それは師匠が裁縫糸であれる理由なんだ、と言ってしまえばそこまでですが。師匠が人間側に少しでも歩み寄ろうという動きを始めたのであれば、もしかしたらその生き方は——不便かもしれませんね」
難しいことを言うね。
存在としての在り方とか。その辺の話はルカの野郎が得意そうだ。
あーあ。
人じゃないものが人に歩み寄ろうって思っちゃ、いけないんだろう。そんな風に思って、ほんの少しばかり凹んでいると、
「俺の側から見れば、『俺以外としての人間』の枠からは、そこの坊主も十分外れているけれど」
とソード。そうだそうだ、もっと言ってやれ。
「……と仰るのは」
「普段からそうやって取り繕った話し方をしている奴には裏がある」
「……ふふ……それこそ思い込みですよ」
絶対にそうではない話し方をするなあ。きっと何か理由があるに違いない。
「そういえばお前、初めて会った時っていうか——弟子にしろって頼んで来た時からその喋り方だな」
そう言うと、コリンはこちらを見て少しだけ微笑んだ。怪しい。
「まあ、僕の口調なんてどうでもいいじゃないですか」
ぱち、と手を合わせるのがなおさら怪しい。
「師匠、このお家をどうします?」
「え? 別にすることもないし、このままでいいんじゃないか」
「わざわざ来た意味がないだろう。せめて整理ぐらいしたらどうだ」
面倒くさいことを言うなよ。リゼの部屋なんて入りたくもないぜ?
「それが良いかもしれませんね。もしかしたら師匠のお師匠様の書置きやら何やらが見つかるやもしれません」
「まあ、リゼのことだからな……どこに何を隠していてもおかしくない」
変に意気投合をそこでしないでくれ。
「まあまあ師匠、僕らも手伝いますから」
「力仕事は任せろよ」