006 黒い液晶
窓のすぐそばに置いてあった、黒っぽい平面を覗き込む。鏡のように自分が映って、思わず身を引いた。指でつついてみると、指紋が残る。奇麗に磨き上げられていたから、これはもしかしたら装飾品なのかもしれない、と思って袖の端で拭いておいた。
「リゼ、これは?」
「え?」
ふ、と息を吹きかけてみる。硝子のような面が曇った。
「……」
リゼが喋らないので、キッチンの方を振り返る。すると、リゼは手で目から鼻までの顔半分を覆ってしゃがみこんでいた。
「どうしたの?」
「テレビを知らない子なんて、いるんだ……」
「え?」
その吐息交じりの声から察するに、リゼは笑っているようだった。それも、呼吸がしにくいくらいに激しく。
「それはね、えーっと……まあいいや。そこ押してみてよ。その、右下のとこ」
言われたとおり、右下の灰色の点を押す。マットな質感の出っ張りが手に当たった。
プ――ツン。
思わず、一歩足を引いた。目を見開いて硝子を見る。
「誰⁉」
「あはあははははあッはははあははははははは!」
リゼがキッチンで大声をあげる。 ずっと耐えていたものについに耐えきれなくなったような笑い声だった。
「おっかし―」
どういうことだ、とリゼを見つめた。
「それはね、どこか遠い場所で撮られた映像をそこに映すことのできる機械なんだ」
「写真みたいなもの?」
「そうだね。同じ。精霊たちに頼んで、色素を重ねて画像を再現してもらう。使用者は、もちろん精霊と交信できる者 ――強い魔法を使える人に限られるから、すごく技術としては価値の高いものだけど、最近は広く普及してる。だから僕も使えるんだ」
「そう、なんだ」
改めて面を見つめた。僕と同じ人間が映って、手や足を動かしている。かなり大きいけれど。
「それ、実際にそこにいるわけじゃないからね。驚いた?」
「うん。驚くって、こういうことか」
「さっき僕が齢を言った時も驚いたよね。心臓が上に跳ねて、思わず身を引いちゃうみたいな感じ、でしょ? それが驚くってことなんだよ」
目の端をぬぐいながら、リゼが言う。
「……」
「もっと、いろんな想いが身につくといいね」
リゼが並べてくれたシチューは、ばらばらのお皿に入っていた。
「一人で暮らしてたから、揃ったお皿がなくて」
照れ臭そうに肩をすくめる。
「おいしい?」
「うん。院のより」
よかった、と笑みを浮かべた。
「リゼって料理上手なの?」
「どうして? 別にそんなにだけど」
「ほら」
スプーンにのせたニンジンのかけらを見せる。
「断面が、すごく奇麗だから」
「ああ……」
別に、大したことじゃないよ、と言ってリゼは誤魔化した。
「僕は、何も料理作れないから、尊敬する」
かみ砕いたニンジンは、院のとは違って味が強かった。
「教えてあげるよ。簡単なことだけだし」
「僕は、教えられてばっかりだね」
「その分、誰かに教えればいいよ」
教えられるものは、教えられる。
リゼの信条なのか、聞いたことのあるフレーズだった。
工房にいた時と違って、夜になるのが早かった。一つの布団に二人で入って、狭かったけれど温かかった。
「エリー」
「どうしたの」
「これから、よろしくね」
おやすみ。