045 二年間の月日と、幸せな王女様
皇子様が提示した期間は二年だった。やや長いようにも思うが、毎日こっそりと牢を抜け出してあちこち見て回ったり、従僕の獣人少女や皇子様と喋ったりしていれば、案外長く感じないものだった。
「皇子様、そろそろかい?」
「ええ、そうですね。そろそろ皇帝アトラスよりあなたに面会の命が下るはずです」
皇帝か。僕が生まれるほんの五、六年前に即位した人のはずだ。何でも、『人でないように強い』と言われている。これは会うのが楽しみだ。
「ええ、楽しみにしてくださっているのはとてもいいんですけれど」
「何だい? 何か問題が起こったとか?」
「あなた、壊れた手錠をそのままにしておくのですか」
これは盲点だった。ここに来てすぐに外したから、自分の腕に着く銀の輪っかのことなんてとうに忘れていた。
「まあ、あの人はそんなこと気にしないと思いますが」
「鷹揚だな」
「小さいことは自分には関係ないと思っていらっしゃるんですよ。それほどまでに大きなものを見据えていらっしゃる。会えばわかりますよ」
今の皇帝は、民からの信頼も厚く、なおかつ敷く政も無茶なところがなく、安定した統治を保っているらしい。歴史上によくいる皇帝だが、それ以上ではない、との噂だったが。
「会えばわかりますよ。あの人は、違う」
何がだい、と訊こうとしたところで、小指に張った糸に振動を感じる。
「来やがった」
「行っていらっしゃい」
皇子様は目を閉じて首を折った。
***
手錠を誤魔化す時間はなかった。かなり叱られたというか窘められたけれど、僕の危険性を考慮してか、嵌めなおされることはなかった。拘束と言っていい圧力は、左右に衛兵が立っているだけで、もしや逃げられてもいいと思われているのでは、などと錯覚する。
「貴様がエリスか」
玉座、というのだろう。紅い天鵞絨張りの椅子の上で、輝く黄金髪の男が大儀そうに座っていた。
「そうだよ」
「外せ」
外せ、と言われた護衛たちが困惑した空気を醸し出す。
「ですが、皇帝様」
「俺がこの女に勝てないとでも思うか?」
ぶった切るように告げると、恐れをなしたかのように衛兵たちはそそくさと退散した。
「嘘をついたね」
「ああそうだ、俺は貴様に勝てやしない」
この場所に足を踏み入れた時からわかっている。圧倒的な力量差を感じている。今までに三六七六瞬間、僕はこの男を殺せた。
「何のお話だ」
「この世界について」
しかし、この男は僕を手駒にしようとしている。
「僕を何に使うつもりだ」
「愛娘を二度と取り返しのつかないどん底に突き落とすため」
全く表情を動かさないまま、皇帝は言ってのけた。
「その娘を愛しているとお前は言い張るのか」
「愛している。だから手駒にする。他の誰よりも愛が深いから、手元に置いて駒にする。何もおかしくないだろう」
こいつもやっぱり、壊れている方の人間か。話すのが面倒だなあ。壊れているのは自分もなので、文句はあまり言えないけれど、正直こういう卓越したタイプの壊れている人間は手に負えない。どうしようもなさすぎる。
「あの娘が将来この国を治めるためには、あの娘は一度どん底に落ちなければならない」
「質問。娘って何番目だ」
「三番目の娘——名前はブランカという」
「ブランカちゃんに何をさせるつもりなんだい」
「世界を変えさせる」
「具体的には」
「貴様に教える必要もなければつもりもない。どこの誰が自分の乗る馬に知恵をつける?」
「じゃあ、僕は何をすればいいんだ」
「ブランカに、世界の厳しさを教えてやれ。——今日付で、貴様にはこの王宮内の自由な立ち入りを許可しよう。そこから学び取ったことを、ブランカに突き付けてやれ。いずれその時が来たら、貴様の牢獄にブランカを送ってやる」
「全然話が読めないんだけれど」
「あの娘は、自分が幸せだと思っているらしい」
「結構なことじゃないか」
「それはまやかしだ」
「ほう」
「貴様の眼から見たあの娘が、幸せかどうか。あの娘は、本当に幸せなのか。それを突きつけてやってほしい」
「自分でやれよ」
「嫌われたくないものでね。これでも子煩悩な父親なんだ」
「は、笑わせるね。——了解だよ。その話を請け負うとしよう。でもな、皇帝。この任務が終われば出て行くからな。あの牢屋ともおさらばだ。良いか」
「好きにしろ。役目を終えた札になど興味はない」
一段高くなったところを降りて、背中で皇帝に別れを告げる。
破天荒な王様だ。自分よりはるかに格上の相手を手駒として従えようとするなんて。
「そうだ。情報の分析には、皇子の頭脳を使うといい。あの小僧は、あれでかなり有能だぜ」
「もともとそのつもりだよ」
訳が分からなくなってきた。皇帝は皇子を捕らえたのじゃないのか。なぜああも友好的な口を利く?