028 哀愁
「――そうか。幸谷双糸が……〖糸〗が、死んだか」
「うんそうそう。ついでに雪谷も取り逃がしちった。ごめんちょ」
薄暗い地下。幸谷斡旋社の本部にて、僕は社長と対峙していた。
「それ如きで許されると?」
溢れかえる殺気。社長の影しか見えないというのに、奴が激昂しているとわかる。
「まあまあ、怒らないで。今この世界に〖糸〗は僕一人っきりだよ、社長」
「貴様のその口調が、いつまで続くかな」
やれやれ、自分が〖糸〗に敵わないと知っているくせに、強がる奴だ。
「幸谷殺羅。貴様はどうするつもりだ」
社長は右手の指を鳴らした。地下室という限られた空間で、壁に反響した破裂音が僕の耳を打つ。
薄暗い地下。幸谷斡旋社の本部。ああ、これはさっきも語ったか。
悪趣味な蝋燭の光が揺れている。壁際に、一列に並んだ社員たち。レッドカーペットならぬグリーンカーペット(社長が緑を好きだから)が敷かれて、僕はその上に膝をついていた。
「僕? 何が社長の望みなの?」
はっきり言って、もうどうでも良かった。
僕とリゼは僕と彼女でしかなくて、僕にとっては僕とリゼしかいなかったのだから。
世界は二人だった。
彼女がいなくなった世界に、未練はなかったけれど、彼女の想いはあった。
だから、逃げないで居る。僕はまだ、生きている。
「ならば」
社長は横柄に命令する。
「皇国へ行け、幸谷殺羅」
「それで? 承諾したのか? エリー」
「くく。今、その名前で僕を呼ぶのなんて、君くらいだよ」
影は、年を取らないという。出会ったころと同じ、鮮やかな金髪。
「質問に答えろ」
「ソード」
彼は無視して僕は自分の話を続ける。
「リゼが死んだこと、どう思う」
「相当だろ」
「相応、の間違いじゃなくて?」
「エリーにとって、相当だろ」
「別に」
もう慣れた。
隣にあの人がいないことも。
笑い声が耳に届かないことも。
自分一人で食べる味気のない夕食も。
もう慣れた。
「やれやれ。その『社長』のところに行く前に、俺の所に来てくれりゃあな」
「来たら、何だって言うのさ」
皇国に行け、と言われたから、しばらく会えないと思ってこの店に来たわけであって、特に用がなければ僕は来ない。
行きたくも、ない。
「俺が一緒に暮らしてやれたのに」
「僕はもう十六だよ」
「俺にとってはまだまだ子供だ」
「ん。君は何時までも生きるんだっけ」
影には、寿命がない。
生に期限がない。
概念だから。
モノと光があれば、影は生き続ける。
「何時からも、生きている。リゼも、その師匠も、ずっと前から見てきた。だから——」
「だから僕のこともわかるって? ごめんだよ」
僕は君の庇護下に入るつもりなんかはない。君となれ合うつもりだってない。
僕は、リゼと違うから。
「——そうか」
「そうだよ」
謝るつもりはなかった。
「今日は、何をしに来たんだ」
「いつもと同じ。手袋をもらえるかな。いつ帰ってこれるかわからないから、三組くらい」
「エリーは、リゼよりも物持ちがいいんだな」
「そう」
思い出話に付き合うつもりもない。
「はい。お代は、200でいい」
「え? これなら350はするだろ」
「餞別だ」
「それが感傷か」
「まだ知らなかったのか。そうだよ。こういうのが、感傷だ」
「僕なんかは、一生わからない方が良い感情だね。——ありがたく、もらっておくよ。向こうの国に行ったら、魔術でも学ぼうかな」
「やめた方が良いだろ」
「うん? 殺しちゃうかな?」
「そうだろ」
「ま、そうとも言うね。——んじゃ、ばいばい」
昔と変わらないドアノブを押す。
「俺は待ってるから」
「別に。そろそろ死ぬかもしれないし」
からりとした冬の空気の中に、足を踏み出した。