023 指揮者
「待て、幸谷殺羅」
「まだなんかあんの?」
「誰に言われてここを襲った」
「それ訊いて意味あんの? ゴローニュって人だって聞いているけど」
絶対に偽名だと思うけどね。
「……心当たりにないな」
「もういい?」
「まあ待て。もう一つ」
「何?」
「今思い出しているところだ」
「へえ、そう。ゆっくり思い出すといいよ」
僕は机から降りる。さっき千切ったカーテンの素材を確認した。
別に使いやすそうな糸ではないな。
次に、文机。右側に備え付けられた引き出しを次々と引く。
「お、いいもん」
ライターを発見した。クックはまだ《《考えている》》。
ライターはポケットに突っ込んで、さらに引き出しを下まで開ける。他には何もなかったので、文机は三つに分けてばらばらにした。
クックはまだ『考えている』ようだ。何も言ってこない。
ベッドの方を見た後、クックが身動きしないので、背を向けて大きな戸棚の方に手をかける。
「いい服ばっかりだね、クック」
返事はない。
「ん?」
振り返ると、ベッドの上に姿はなかった。
しくじったかな。放っておき過ぎたのかもしれない。
「死ね、幸谷殺羅」
「あっれぇ? 逃げたんじゃないんだ」
てっきり助けを呼びに行ったものだと思っていたクックが、後ろから声をかけてきた。
「裁縫形態、第五番。啐啄同時、百発百中」
死ねばいい。
クックが弾けた。
——思ったよりも時間を食ってしまった。
廊下に出る。右、左に首を振ると、子供たちがぞろぞろと部屋から出てくるのが見えた。僕と同じくらいの年頃の子も何人か見える。
「……」
ふと気づくと、腰ぐらいの背丈の子供が、僕をじっと見つめていた。
「何だい、坊ちゃん」
聞いても男児は答えない。
不気味な目をした子供だ。溝のような色をしていて、まるで吸い込まれそうだった。
生まれた時から伸ばしっぱなしにしていて、無造作に縛っただけであろう髪の毛は、先が夕焼けの海の色をしていた。
「……」
男児は、僕をじっと見つめただけで去って行った。まるで、何かに操られているように。
出口の方に行くと、双糸が玄関のドアの上に座っていた。
「遅かったね。お話してたの?」
相変わらず、オーケストラの指揮者のような手の動きだ。自分をドアの上に縛り付けて、なおかつ糸を使っているのだろう。
「双糸は何をしているの?」
「みんな寝ているからね。起きそうにない子供たちは糸で誘導しているんだ」
試しに外に出てみると、夢遊病患者のようにふらりふらりと、奇妙な歩き方をした子供たちがいっぱいいた。
「この子たちはどうするんだろうね」
「さあ? 全員引き取るわけにもいかないだろうしね。放っておくんじゃない」
「あ、そう。そろそろ終わる?」
「うん。残り二、三人だよ」
言った通り、ふらふらと奥から二人の子供たちが出てきた。
「これで全部?」
見たところ玄関口に居るのは二十人に満たないくらいか。僕がいた時よりは随分少なくなっている。
「ん? おかしいなあ。もう一人いるはずなんだけど」
「もう死んでるんじゃない?」
いや、それは違うと思うけど、と言って双糸がドアから飛び降りた。
「あ、来た」
ドアから院の奥の側へまっすぐ続く廊下から、しっかりした足取りで一人の女の子が歩いてくる。
水色の髪を肩口まで伸ばして、赤い帽子を頭にかぶり、アイロンの効いたブラウスを着てデニムのショートパンツを履いている。ぱっちりとターコイズブルーの瞳が開いていて、目線は僕らの方を見ていた。
「あなたたちが私を助けたのですか」
少女が喋っているとは思わなかった。およそ五歳くらいに見える。それにしては、やけにしっかりした喋り口だ。
「そうだね。僕らがここを崩した」
「ありがとう」
舌ったらずな口調でそれだけ言って、少女は外に出て行った。
「変な娘だね」
おかしな娘、と言っても良かった。
「うん。でも、多分依頼人の目的はあの娘だろうね」
「どうして?」
「あの娘は、僕が襲う前から起きていたから」
この場所が襲われることがわかっていたに違いない。そういうことなのだろう。
「僕らがここを壊したことは、あの子供たちにとって不幸かな」
「ん。もしここが、殺羅の言う通りの場所だとしたら、それは幸せかもね」
「まあ、僕には関係ない。……僕らはいつも通り、依頼されたとおりに人を亡くすだけだから。そうでしょ」
「そうだね。年明けくらいに、もう一つ依頼があったかな。それまで、何をする?」
「僕は、旅に行きたいなあ」
夜明けが近かった。僕らは帰り道をたどりながら、今後について話し合った。
そんな時間が、心から楽しいと思った。