013 幸谷双糸
大声を上げたリゼが手に持った試験管を見ると、本当に血のような色をした液体が入っていた。
「火ってことだよね」
「そうなるな」
「へえ。まあでも、僕は普段、魔法なんか使わないからな」
「エリーはどうなった?」
思わず血の色に見入ってしまっていた。慌てて自分の手元に目を落とす。指の間に挟んだうちの一本が色を変えていた。
「おー。琥珀みたい」
「土、か。へえ」
土とか、火とか、そういうことはよくわからなかったし、どうでもよかったけれど、リゼが満足そうだったから、別にいいか、と思う。
「ソード、これってさ、数日経ったら色が変わったりする?」
「変わらないと思うが」
「じゃあ、持って帰りたい」
僕がそう言うと、リゼは驚いたようだった。
「いいねえ、その考え! ソード、僕もそうするよ」
ソードが試験管の栓を取りに行く、と階段をまた上がっている間も、リゼは試験管の中身を揺らして楽しそうだった。
「……はい。コルク」
試験管の口にコルクで栓をすると、リゼはそれを大きな手提げ袋にしまい込んだ。さっき買った石板やら何やらもそこに一緒に入っている。中身をごろごろと動かして調整した後、右肩にそれを背負った。
「もう帰るのか」
「そうだね。あんまり遅くなると、帰りが面倒だ」
さっきは早く帰れ、なんてことを言っていたのに、今になって帰ることを惜しむなんておかしなことだ。
「それじゃあね。またそう遠くならないうちに来るよ」
リゼがドアを押し開けると、ベルがからりと鳴った。
エフソードがショーウィンドウの中から手を振っていた。それに小さく振り返して、いつもより歩くのが早いリゼに小走り気味についていく。
来た時と同じ道をたどる。市街地を抜けて、地面が舗装されていない森に入った。どうもここは陰気で嫌だ。
「リゼ?」
不意に、前を歩くリゼが足を止めた。
手提げ袋を僕の目の前に突き出す。
「持てばいいの?」
手に取ると、リゼが笑みを浮かべた。
その笑みは、これまでに見たどんな表情よりも凄惨で、残酷で、冷酷だった。まるで、これからショーを始めるピエロの、化粧の下の心のような得体の知れなさがあった。
「出てくればいいよね、子鼠さん」
手袋を嵌めなおして、そんな風に云う。
と、木と木の間から、白い閃光のようなものが突き抜けた。僕には当たらないことがわかっていたから、ただ棒立ちしているだけだったし、リゼにも当たらないだろうと思っていた。
「——ッ」
だから、隣でリゼが急に体を折り曲げたのには驚いた。
まるで死にそうな顔をしながら、口から赤を滴らせる。
「リゼ⁉」
し、と唇に指をあてられた。急に、木々のざわめく音が大きく聞こえる。
〔捕らえたか〕
〔負傷した模様! ただの矢ですが……。しかし、子供を連れているからでしょうか、『裁縫糸の幸谷双糸』も大したことありませんね〕
〔子供か。また奴の気まぐれだろう……狂者の考えることはよくわからん]
誰かと誰かの話し声が聞こえる。笑い声交じりなところを鑑みると、随分余裕なようだ。
リゼはもう自分一人で膝をついていた。僕が隣で顔をのぞき込んでも、特に何を考えているかはわからない。
ざわめきが大きくなって、茂みから足の先が出た。軍用のつま先が硬くなっている靴が、やや湿った土に足跡をつける。
「見つけたぞ幸谷双糸!」
最近暇でよく見ていた、ちゃちい子供向けのアニメの噛ませ犬と同じ科白を吐いて、短髪のマントを着た男が手を掲げた。
「本当か!」
その言葉を合図に、あちこちから同じような恰好をした男たちが顔を出す。
「いいか? 報奨金は均等に分けるんだぞ!」
リーダー格なのは、さっき通信で話していた声の太い男のようだった。
じり、と輪が詰まる。僕は何をしていいのかわからず、ただリゼの背中に手を当てていた。
「もう、いいよ」
リゼにそっと上腕を叩かれて、その手を脇に降ろす。顔を見ようとしたけれど、長く垂れた髪の所為で見えなかった。
「ねえ、報奨金目当てのあなたたち……僕は見ての通り、子供連れだ。言わなくてもわかると思うけど、この子には未来がある。どうか……見逃してはくれないかな」