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Ⅺ:forever



「おい! なにしてんだ!」


 大きな声に体がすくんだ。先輩がすぐそばにいて、私の背後の男の肩をつかんでいた。


 まったく予期していなかった相手が突然現れたことに、私の頭が追いつかなかった。


「お前も黙って痴漢されてるんじゃない。いつもの毒舌はどうした」


 珍しく怖い顔をした先輩がそこにいた。


 なんで? なんで先輩がここにいるの?


 あ、そうか、休日だし、先輩だって電車で出かけることだってあるよね。


 ようやく頭の回転が戻ってきた。


「あ、いえ。今騒ぐと逃げられそうだったんで、どうやったらこの痴漢を社会的に抹殺できるかなって方法を考えてて……」


「だからって触らせっぱなしにするやつがあるか」


 電車が駅に着き、ドアが開いた。


 その瞬間――。


 痴漢をしていた男が私を外へ突き飛ばし、猛スピードで走って逃げていった。


 突き飛ばされた私は駅のホームへ倒れ込む。

 膝をコンクリートに強打し、突いた手のひらにも痛みが走った。


「由紀乃!」


 先輩が膝をついている私に駆け寄る。

 ドアが締まり、電車が発車する。


 私はまったく関係ない駅で、強制的に降ろされてしまった。


「もう、先輩のせいで逃げられちゃったじゃないですか。もうすぐ停車しちゃうから発車してから騒ごうと思ってたのに」


 わざとおどけて笑ってみせた。

 本当は突き飛ばされたショックで、体に力が入らなかった。


 悔しかった。

 突き飛ばされた瞬間、恐怖を感じてしまった自分が許せなかった。


 走って追いかけて取り押さえて、二度と日の下を歩けないようにしてやりたかったのに。


「立てる?」


 先輩の手を借りて立ち上がるけれど、足に力が入らない。

 先輩はすぐ近くのベンチに座っている人へ声をかけてくれた。


「すみません、彼女さっき突き飛ばされて怪我をしてしまって。席譲ってもらってもいいですか?」


 ベンチに座っているおじさんは迷惑そうにこっちを見るだけで動こうとはしない。

 席を占領している荷物をどかす気配もない。


「平気ですよ先輩。ただのすり傷ですから。

 私、この駅って降りたことないんですよね。近くにキズバン売ってる店とかありますかね」


 なぜか先輩に抱きしめられてしまった。


 いいのだろうか。誰かに見られたら本命彼女にバレてしまうのに。


 弱っているときに優しくすれば女はみんな喜ぶとでも思っているんだろうか。


 本命彼女(キープ)がいるのに、(サブ)と関係を持つような人に優しくされても、すごく薄っぺらく思えてしまう。


 どうせこれも、女の人を喜ばせるテクニックなんだろうな……って。


 1年間、先輩とつきあってみてよく分かった。


 先輩は頭が良い。そして人あたりがすごくいい。そして相手をとてもよく観察している。敵を作らないような立ち回り方は、見ているととても勉強になった。


 先輩は天性の人たらしだ。


 サークル内でも先輩の彼女になりたがっている女子は少なくない。


 先輩が医者になった未来を想像してみる。


 玲奈のように、中学や高校で突然治らない病気を宣告されてしまった女の子の前に、先輩が主治医として何年も治療に携わっていけば――。


 女の子が主治医に対して抱いた憧れや信頼を、恋愛感情に錯覚してしまうこともあり得るかもしれない。


 それをきちんと大人の対応として、線引してほしいと願うのは私の心が幼いのだろうか。


 きっと私は、大人という存在を過大評価しすぎているのかもしれない。


 実際、先輩と私が痴漢とやり取りしてる間も、周りの大人は見て見ぬふりだった。


 逃げていった痴漢を追いかける人もいない。突き飛ばされて膝をついてる私に、視線すら向けない乗客たち。みんな私よりも大人の人たちだ。


 私達のことを『最近の若い者は』と見下す大人たち。


 私達よりも人生経験が豊富であり、これからの未来を担う子供たちの親であり、今の社会を支える労働力でもある貴重な人的資源たちだ。


 終わってる。

 もう何から何まで終わってる。


 馬鹿らしい。


 なんてむなしいんだろう。


 涙が止められなくなり、先輩の肩に顔を押しつけた。


「……先輩」


「ん?」


「ギター弾きたい……」


 私の背中をなでていた先輩の手が止まる。

 先輩が苦笑したのが振動で伝わってきた。


 きっと呆れたのだろう。

 いらつくと、すぐギターで発散しようとする私に。


「ん。じゃあキズバン買ったらな」


 優しくて、甘やかすような声だった。


 情緒が不安定なときに優しくしてくれるパートナーがいるというのは、きっとありがたいことなのかもしれない。


 本当の彼氏だったら、こんなときくらい弱みを見せて甘えてもいいのかもしれない。


 けれど自分のポジションはあくまでも浮気相手(サブ)なのだ。本命彼女(キープ)から連絡が来れば、きっと先輩は本命を優先するに決まっている。


 そんな仮りそめの関係。一時的な関係。


 玲奈もそんな関係を自分の主治医と続けている。


 なんでこんなに(もろ)い関係を継続するんだろう。


 ……違うのか。


 普通の恋人同士だって、いつ終わりを迎えるかなんて分からない。夫婦になったって、毎日どこかの誰かが離婚している。


 仮りそめだと。

 (いびつ)な関係だと。

 はっきりと答えが出ている関係。


 破綻することがわかりきっている関係。


 なんの期待もしなくていい。

 確実に終わりがある。

 だから何の不安もない。

 未来なんてものはないのだから。


 それがこういう関係の良さなのかもしれない。



 深みにさえ、はまらなければ。

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