98話 瘴気の原因のもとへ
浄化聖水を作ること自体は、蜂蜜の採取さえできれば、そう難しいことではなかった。
他の材料は、エスト島でも普遍的に手に入る薬草だったので、それらを【開墾】スキルを使って手に入れ、精製することで十分な量が出来上がる。
となれば、もう躊躇っている理由はなかった。
養蜂箱を設置した日から数日後の明け方、私とリカルドさんとは二人、ミニちゃんに乗せてもらって、小屋を出発する。
目指すのはもちろん瘴気の発生源である上流だったのだが……、私は心残りから後ろを振り返る。
「マーガレットくん、どうかしたかい?」
「えっと……。ウルフヒューマンたちには言わなくてよかったのかなぁと思いまして」
「あぁ、そのことか。下手に混乱させるだけだからって族長さんと話し合って、言わないことにしたんだよ。瘴気の話は、生活拠点を奪われた彼らには重たい話だろうからね。いつもどおりに生活してもらったほうがいいだろう? もちろん、ギンくんにもね」
……誰のことを気にしていたかまで、リカルドさんには見抜かれていたらしい。
あれだけ一緒にいた仲だ。
そんな彼にも秘密のまま出発するのは、なんだか隠し事をしているみたいで、少し後ろめたさがあったのだ。
だがリカルドさんの言う通り、妙な心配をかけないで済むのなら、それに越したことはないのかもしれない。
「それにウルフヒューマンたちは瘴気の影響を受けやすいみたいだからね。危険をおかしてもらう必要はないよ」
「……そう、ですよね」
リカルドさんの意見は、理路整然としていた。だから、もやもやは残っていたものの、私はそれを心の中で打ち消して、前へと振りなおった。
瘴気は、やはり上流のほうで発生しているらしい。
道中、上へと進むごとにその濃さはだんだんと増していく。
横を流れる川を見やると、その色は下流で見たときよりかなりどす黒くなっていた。
そのうえ、空気も淀んでおり肌をぴりぴりとひりつかせる。
その影響は、出現する魔物にも表れていた。
「ギギギィッ!!」
群れをなして飛び出してくる魔ウサギは、麓で見たものとはサイズが桁違いだ。
それに、体の表面に血管が浮かび上がっており目も血走っているから、間違いなく、平時とは様子が異なる。
怖い。
本能的な恐怖を感じ、私はとりあえずチルチル団子を手に構える。リカルドさんも火属性魔法を使う構えに入るのだが、しかし。
なにかする前に、ミニちゃんのツタが勢いよく伸びてきたと思ったら、魔ウサギたちをまとめて払いのける。
『心配ないよ!! あれくらい!! なんだか、おれも身体がぞくぞくとして、力がみなぎるんだ』
そういえば、トレントたちも魔物なのだった。
たぶん、瘴気の影響を受けて、その力を増しているのだろう。
頼もしい話ではあったが、濃すぎる瘴気は、暴走させてしまう可能性を秘めている。
「ミニちゃん、落ち着いてね?」
だから、私たちの体を支えてくれている枝に触れながらこう投げかければ、『うん! 心配いらないよ!』とはっきりとした声で返事があった。
少なくとも、まだ自我がコントロールできなくなるような状態ではないようだ。
もしかしたら瘴気の影響は、魔物の身体の大きさ次第で変わるのかもしれない。
「……なかなか恐ろしいな。魔ウサギがあれだけ巨大化するのか」
「たしかにそうですね。もし魔イノシシなんて出たら……」
と、私が嫌な想像を呟いたそのときだ。
その魔イノシシが数匹、正面から猛然と駆けてきた。
そもそも、こんなペースで魔物に出くわしたことがない。
どうやら、数自体も増えているらしい。
『わ、かなり早いな!!』
角を掲げて、突進をしかけてくる魔イノシシの素早さには、ミニちゃんも対応できなかったらしい。
枝や葉をくぐり抜けて、かなり大きな魔イノシシが二匹、こちらへと駆けてくる。
このままではミニちゃんが刺されてしまいかねない。
どうにかしようと思っていたら、先に動いたのはリカルドさんだった。魔イノシシに真正面から、火の玉をぶつける。
倒しきるまでは至らなかったが、二匹が怯んだタイミングで、私はすかさずチルチル草を挽いた粉を水に乗せて放つ。
すると、魔イノシシたちは一転して、戦意を失ったのか途端にその歩を止めてくれた。
「さすがだね、マーガレットくん」
「リカルドさんこそです。ありがとうございます!」
二人、手を合わせて、窮地を脱したことを祝う。
『助けられちゃったよ。本当に二人はすごいなぁ』
なんて、ミニちゃんにも褒めてもらえた。
この分なら、力を合わせれば、瘴気への対処もどうにかなるかもしれない。
私はそんなふうに希望を描いていたのだけれど、川沿いを辿っていった先に見えたものは、それをあっさりと無に帰してきた。
「……なに、これ。壁……?」
急な崖を登った先に見えたのは、ドーム状の黒い壁だ。
その壁は、かなり禍々しいオーラを放っていた。
これまで感じていたものとは、数段格が違う。
まだ壁までは距離があるにも関わらず、ぞわりと身体中の毛が逆立つような感覚にさせられた。
「リカルドさん。あ、あれも、瘴気の影響なんでしょうか」
「僕も知らないよ。ひととおりの勉強はしてきたつもりだけど、こんな光景ははじめて見た……。どうするにしても、ここからじゃ、分からない。とにかく、近づいてみるしかないかな」
「……ですね」
私はミニちゃんに、再度進んでもらうようにお願いをしようとする。
が、しかし、ミニちゃんは全身の枝や葉をうねうねと縮めたり、伸ばしたりと、明らかに落ち着きがなくなっていた。
ここまでの瘴気になれば、魔物である彼への影響もかなり大きいらしい。
『マーガレットさん、リカルドさん、ごめん。身体が落ち着かないんだ、言うことを聞いてくれないんだ……! 傷つけるつもりはないんだよ!』
ミニちゃんが震えた声で言う。
私たちを落ちないよう止めてくれていた枝にも、力がこもっていて、少しきつく締め付けられる。
どうやら今は、ぎりぎりのところで私たちに危害を加えないために踏ん張ってくれているらしい。
こうなってしまったら、彼に無理はさせられない。
「もう大丈夫だよ、崖を降りていいから、ゆっくりしててね」
私はすぐにチルチル草を乾燥させて挽いた粉を水に溶かして、彼の根元へと与える。
普段なら、少量でミノトーロ達が眠ってしまうくらい強力なこの水だ。
しかし、瘴気の影響が強い環境下では、その効果が薄れるらしく、たっぷりと与えたところでようやくミニちゃんの症状が落ち着いてきたから、私たちは彼にその場へとおろしてもらう。
『マーガレットさん、本当に行くの? 危険だと思うよ。やめておいたほうがいいんじゃないかな』
トレントのような、強くて賢い魔物が言うのだから、まず間違いない。
が、しかし、放っておいたら、あれが中間地点や麓まで影響を与える可能性を考慮すれば、なにもしないわけにもいかない。
「ありがとう、でも行くよ。ミニちゃんも気をつけてね?」
だから、こうとだけ言い残して、私はリカルドさんとともに、さらに壁のほうへと近づいていった。
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