95話 浄化聖水づくり。
それからしばらくは、中間地点に残り、ウルフヒューマンらに畑作業を教える日々が続いた。
マウロさんが小屋を増設してくれたり、食堂やキッチンの整備を進めてくれたりしたから、長く滞在できるようになっていたのだ。
はじめはどうなることか不安だったが、変に知識がないのが功を奏したのかもしれない。
その吸収力はなかなかのもので、早い段階で慣れてくれる。通常の世話程度なら、問題なくこなせるようになってくれていた。
ならば、すぐにでも瘴気の発生地点へと向かい、対処に乗り出したいところだったが、しかし。
瘴気の濃い地点というのは、踏み入れるだけで危険を伴う。
瘴気は魔物を凶暴化させるだけでなく、大量に吸い込めば魔力暴走を引き起こすなど、身体に悪影響を及ぼすこともある。
乗り込もうと思ったら、瘴気を緩和することのできる『浄化聖水』が必要だった。
「まさか、材料の一つに蜂蜜が必要だったなんてね。知らなかったよ」
「それが普通ですよ。うちの実家では自作してましたから」
「マーガレット君は頼もしいな。スキルだけじゃなく、知識まで豊富だ」
「……あはは、貧乏だっただけですけどね。買うと、結構高いですから」
リカルドさんとこんな会話を交わしながら向かうのは、少し前にギンと出会った魔蜂の巣があった地点だ。
本土からの支給品に蜂蜜ない以上、手に入れられる場所として思い当たるのは、そこしかなかった。
前に行ったときは夜だったから、少し新鮮な気持ちで、森の中を歩く。
そうして目的地に着くと、そこに待ち受けていたのは、なかなか衝撃的な光景だった。
「あら。こんなことになってたんですね」
「……なんだ、これは」
リカルドさんがそう呟いたきり、黙り込む。
無理もない。あのときはギンに気を取られて気づかなかったが、魔蜂の巣は下半分が壊されてしまっており、そこからぽたぽたと蜜が垂れてきてしまっていたのだ。
その甘い香りに誘われたのだろう、あたりにはたくさんの虫が飛び交っている。
なかなか、目にしていたくない光景だ。
田舎育ちの私でもそう思うのだから、これに繊細できれい好きなリカルドさんが耐えられるわけがなかった。
彼は口元をばっと手で覆うと、魔蜂の巣に背中を向けて、少し前かがみになる。そして、そのまま少しずつ距離をとる。
「悪い、マーガレットくん。だめだ、僕には見ていられない」
か細い声で漏らされた声には、いつもの余裕はいっさいなくなっていた。
こうなったらもう、リカルドさんには一度、小屋に戻ってもらおう。
私がそう思っていたら、そこへふよふよと漂ってきたのは、キラちゃんだ。
『あ、お姉ちゃんたち。なんでここにいるの?』
「キラちゃん! こんなところで、なにしてるの」
『なにって、ご飯食べにきたんだ〜。ここは最高の場所だよ!』
彼は跳ねるような声でそう言うと、垂れた蜜の元まで、ふよふよと飛んでいく。
口を大きく開けたと思ったら、飛び交う虫たちをぱくりと、その口の中に納めた。
続けて飛び交う虫たちを次々に捕食していく。
これには私も、目が点になった。
虫を食べていることは知っていたが、ここまでもりもり食べるとは思ってもみない。
『んー!!』
「……おいしいの?」
『うん! なかなかいけるよ〜。お姉ちゃんも食べる?』
「え、遠慮しとくね」
可愛いとばかり思ってきたが、ボキランも立派に植物魔だ。
今の彼は、まさに捕食者だった。少しののち、その場からは虫がほとんどいなくなっている。
おかげで、リカルドさんは巣を直視できるようになって、
「キラくん、本当に助かったよ」
真に迫る顔で、こう礼を述べていた。
『えへへ、すごいでしょ』
その言葉が嬉しかったのだろう。
キラちゃんがリカルドさんの腕に飛び込んでいくのを横目に、私は持参してきた小瓶を蜜が垂れてくる位置に置く。
一滴目がちゃんと瓶の中に入るのを確認して、ひとまずほっと息をついた。
これで、浄化聖水を作るための分量は確保できるだろう。
本当なら、巣の一部を切り取り採取するつもりで色々準備してきたが、それは不要になった格好だ。
が、しかし、壊れてしまった巣をこのまま放っておくわけにもいかない。
私たちにとっては助かっても、魔蜂からすれば、いくら集めても、こうしてぽたぽた蜜が垂れてしまったら、いつまでたっても蓄えにならない。
そればかりか、その甘い香りが危険な敵を寄せ集めてしまう可能性もある。
それこそ前みたく、別種の魔蜂に襲われてしまったら、いよいよ巣は全壊してしまうかもしれない。
蜜をいただく身としては、それはなるべく回避してやりたい。
となれば、できることは一つだった。