93話 信じてみてもいいかもしれない。
料理が到着してからもウルフヒューマンらの警戒は、なかなか収まらなかった。
「皆のもの、浮き足立つでない」
最終的には、族長さんが強く嗜めたことで、一応は人の姿へと戻ってくれて、料理の置かれたテーブルを立食形式で囲む。
リカルドさんが用意してくれたのは、想像していたいわゆるパーティーメニューとは違った。
「食事をあまりとっていなかったところから、いきなり重たい食事をしてしまっては消化によくありませんから、控えめにご用意しました」
さすがはリカルドさん、よく考えている。
そして、「控えめ」とは言うが、その料理は十分見た目にも鮮やかで、美味しそうでラインナップも豊富だ。
野菜がくたくたになるまで煮込んだスープが数種類に、リゾットやパンがゆなど、メインどころもいくつか大きな鍋に用意されている。
すぐにでも食べたい……!
お腹が空いていたこともあり、思わず手が伸びるくらいには美味しそうだったのだけれど、ちらりと横を見れば、ウルフヒューマンらは誰も料理をよそうことすらしていない。
「若い者から先に貰うといい」
族長さんがこう促しても、みんながお互いの顔色を伺っている。
そんななか、空気を読まないことに定評のあるマウロさんだけが、無言の支配する空間の中で、食事を始めていた。
リカルドさんが苦笑いして、カーミラさんがため息をつく中、今度はギンも黙々と食べ始めた。
……なかなかカオスな状況かも!
どうしようかと思ってしばらく、足にぴとりとなにかが触れる。
見れば、小さなウルフヒューマンの女の子が皿を握りしめて、尻尾を揺らしながら私を見上げていた。
その背後では親御さんが不安そうにしているから、空腹に勝てずに近づいてきたのだろう。
「なにが食べたい?」
私がしゃがみこんでこう聞けば、彼女はギンの方を指差す。
「ギン兄と同じの、ほしい」
「……ギン兄って、妹さん?」
「違う。でもギン兄はギン兄」
たぶん、同じ集落の小さな子どもで、ギンとは兄妹のように接しているのだろう。
たしかに、同じウルフヒューマンであるギンが食べているものなら、安心して食べられるかもしれない。
私は彼女の皿を受け取ると、そこに貝のリゾットをよそって、手渡す。
恐る恐るといった感じながら、少女はそれを一口食べると、大きく丸い赤茶の目を見開いた。
「どう?」
と聞けば、返事の代わりに彼女は次々にリゾットを頬張りはじめる。
ちゃんと、美味しいと思ってくれているらしく、しっぽがふりふりとかなり早く揺れる。
けれど、早食いなのはギンを見習ってはいけない。
「ほら、もうちょいゆっくり食べようね」
私はこう声をかけてみるが、結局そのペースは落ちない。
しっかり皿を空にしてから、
「おいしい。すごいおいしい!」
彼女はこう笑顔で述べてくれる。
「ね、お爺も食べて」
その無邪気さが凍り固まっていた空気を変えてくれた。
だんだんとウルフヒューマンの人たちが、食事に手をつけていく。
その様子に、ギンがほっとひとつ息をついたのを私は見逃さなかった。
「助かったよ、ギン。先に食べてくれて、ありがとうね」
「別に、他の奴らのために食べたわけじゃねぇよ」
「なんだ、じゃあ褒め損だったね」
「……わざわざ撤回しなくてもいいだろ」
照れ隠しなのか、本当なのか。
顔を背けたことでなんとなく察することはできるけれど、それはこの際どっちでもいいのかもしれない。
大事なのは、ウルフヒューマンらがご飯を食べてくれたという結果のほうだ。
私はほっとしつつ、賑やかになっていく会場を俯瞰する。
そこで目に入ったのは、族長さんが少し離れたところで一人、腕組みしている姿だ。
ほんのり微笑みを浮かべており、さっきまでとは違い、少し柔らかい雰囲気を感じる。
そこで私は思い切って近づいて、まず軽く会釈をした。
すると、深々と礼がなされる。
「不躾なことを言ったにもかかわらず、ここまでのご歓待、痛み入ります」
言葉遣いも態度も、かなり丁寧だった。
それも、彼ら独自のものではなく、私たちが考えるそれと同じ丁寧さだ。
それに面食らいつつも首を横に振ると、族長さんは森の奥を見つめるように、遠い目をする。
「……わしが昔、はじめて接した人間も、あなた方のように手を差し伸べてくれた。わしらが縄張り意識の強さから拒絶したのにも関わらずだ」
昔語りが始まる。
彼によれば、数十年前、エスト島にいた人間に、狩の途中で助けられて、ひょんなことから友好関係を結んだらしい。
そのなかで、人間流の礼儀や作法などを習ったというから、たぶん私たちのように流されてきた貴族だったのだろう。
はじめは何の問題もなかったらしい。
が、港に大きな船が来てから、その人はある日を境に急に態度が変わってしまい、ウルフヒューマンらを遠ざけるようになったらしい。
それどころか、最後には魔法攻撃まで仕掛けてきて、関係は完全に決裂してしまったそうだ。
「たぶん彼は本国から命令を受けて、わしらとの関わりをたたざるを得なかったのだ。それでもわしは、絆を感じていたがゆえに、その行いを許せなかった」
彼はそこまで言い切ると、過去を悼むようにゆっくりと目を瞑る。
「失礼。随分前の話ですから、忘れてください」
そう言いつつ、彼の声音ははっきりと震えていた。
信頼していた者に裏切られた記憶というのは、深い傷になってその心を抉る。
時間が経っても、その跡は消えず、痛みは残り続ける。
その過去を知れば、あれだけはっきりと拒絶されていたわけは十分に理解できた。
「あの、じゃあどうして今回はここまで来てくれたんです?」
「昔のことを引きずって、みなを殺すわけにはいかない。ギンの言う通りだ」
それに、と彼は続ける。
「……あなた方は、あの暴れ者のギンを、その絆で変えた。ならば再度信じてみてもいいかもしれない。そう思ったのですよ」
話を聞いた後だったから、「信じる」という言葉が私の胸に強く響いた。
「絶対」なんて無責任なことは言えない。
でも、できるなら、その想いを裏切りたくはない。
そのためにやれるだけのことはやりたい。
私が熱くなってくる心臓に手を当てていたら、彼はひとつ咳払いをする。
「少し話しすぎました。わしも、なにか料理をいただいてきます」
「それがいいですよ。リカルドさんの料理は、どれも抜群ですから!」
こうして賑やかなうちに、食事の時間が過ぎていく。
あとはお片付けだと思っていた私だったが……
「では、最後に演奏を一つ」
リカルドさんがみんなに内緒で大きなサプライズを用意していた。
ヴァイオリンを持ち出して、演奏を聴かせてくれる。
弾いてくれたのは、王都では有名な定番の曲だ。
だが、力量が圧倒的に違うから、私が過去に聴いた時とはまるで別の曲に聞こえる。
まるで音が生きているようだった。
前にこうして外で聞かせてもらったた時よりも、豊かで、奥深いように感じる。
これには、ウルフヒューマンらも聞き入っている様子だった。
「おぉ、何十年ぶりだろうか。いい音色だ」
と、族長さんも唸って何度か頷く。
もしかしたら音楽は文化を超えるのかもしれないーー。
私はそんなふうに思ったのだけれど、前回同様にトレントが歌い出してしまったところで、その淡い期待は崩れ落ちることになった。
ウルフヒューマンは強く反応して、獣化をしてしまう。
「け、結局こうなるの……」
食事前と同じ光景が広がるなか、私は呆れ気味にひとりごちる。
そこへ後ろから、ヴァイオリンを持ったままリカルドさんが近づいてきた。
「はは、僕が欲張ったかな」
「えっと、というと?」
「久しぶりにたくさんの聞き手がいたから、演奏したくなってしまったんだよ」
照れたように笑う顔は茶目っ気もあり可愛い。
けれど、事態のほうはといえば、全然可愛くなかった。
収拾がつくまでに、それなりの時間を要する。
まぁこれはこれで賑やかでいい……のかな?
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