91話 恥を忍んで。
パソコンが唐突に煙をあげて壊れる悲劇に見舞われ、遅れました……
「え」
まったく思いがけないことだった。
そのせい、指先から力が抜けて、私は飴玉を地面に落としてしまう。
「過去になにがあったかは俺は知らねえよ。ただ俺にとっての人間は、今ここにいるこいつらだ。俺を助けてくれて、世話までしてくれたこいつらを、俺は信じてぇんだよ」
こう続けられたから、聞き違いなどではない。
本当に、ギンが喋っている。
飴玉を使っても、ここまではできなかったのに、それを彼はこの状況で乗り越えたのだ。
これには、ギンの暴走ぐせを知っているだろうウルフヒューマンらも一様に、驚いているようだった。
歩みを止めて、その場にしゃがみこむ。
そんななか、族長は獣化状態を解いた。
「…………まさか、お前がその姿で会話できるまでになるとはな」
人の姿へ戻ると、しわがれた声で呟く。
ギンが「ジジイ」と呼んでいるだけあって、元の姿は、ご老人だった。
ただし、身体のほうはまったく老け込んでいない。
その肉体が鍛え上げられているだろうことが、見た目からだけでも分かる。
「それも、その人間との信頼がお前をそうさせたのか?」
人の姿でも、たっぷり蓄えられた髭も厳めしい顔も威厳たっぷりだ。
圧すら感じる問いかけに、ギンは獣化状態をといてから答える。
「……分からねぇよ、そんなの。でも、ジジイ。てめぇのやり方は間違ってるんだよ。こいつらは、違うんだ。まだ大した時間、一緒にいたわけじゃねえけど……大事なんだよ、俺にとっては。だから、悪く言うんじゃねぇ」
彼の口からははじめて聞く、はっきりとした言葉だった。
これには、じわじわと心の底が熱くなっていく。
もちろんこれまでだって、彼の気持ちは、なんとなく理解していたつもりだ。
だが、やっぱりこうして言葉にしてもらえると、ほっとする。
一方通行ではなくて、ちゃんと彼にも、仲間だと思ってもらえていたのだ、と。
「……そうか」
族長はギンの言葉を受けて、長い時間をかけて、ゆっくりと深いため息をついた。
それから踵を返して、去っていこうとする。
「あの」
そこで思わず、私は族長さんに声をかけていた。
「……なんだ、人間の女」
「食事、足りていないのですよね。私たちは、見返りなんかは求めません。ただ、下で作ってる食材が余っていますので、食べてほしいんです。どうか、受け取ってくれませんか」
このまま、彼らが戻ってしまったら、ウルフヒューマンたちの飢餓問題は解決をみないことになる。
そればかりか、歩み寄る機会はもう訪れないかもしれない。
せっかくギンが作ってくれたチャンスだ。
できるなら今、繋ぎとめておきたかった。
「僕からもお願いしたい。毒などが入っていないことは、同じ食事を同じ席でとることで証明しますよ」
リカルドさんがこう付け加えてくれる。
ここまではよかったのだが、
「てめぇ、族長だろ、ジジイ。過去に引きずられて、仲間に満足に飯食わせられねぇで、なにが族長だよ」
……ギンの言葉は、完全に喧嘩腰だった。
彼なりに援護してくれたつもりなのは分かるが、今はまた火種になりかねない。
ここで族長さんの足がぴたりと止まる。
これは、やっぱり戦う羽目になったりして……と私は身構えるのだが、結果としてそうはならなかった。
そこで族長さんがこちらを振り向き、なぜか地面に膝をつく。
「えっと……?」
いきなり、どういう風の吹き回しだろうか。
私とリカルドさんがお互いを振り見て、首を傾げていたら、族長さんはその体勢のまま、頭を下げる。
「……頼めますでしょうか。そのガキが言うことにも一理はある。一度はいただいた食料を捨てた身。ですが、恥を忍んで、どうかお願いしたい」
それに合わせるようにして、獣化を解いたウルフヒューマンたちは、一斉に同じ体勢をとる。
なんだか、軍隊みたいな統率の取れ方だ。
王都で衛兵たちが予行演習をしていた光景が頭に浮かんでくる。
いきなりの方針転換だったが、こちらからしたら願ってもみない。
「全然! 気にしないでください! 仕方ないですよ!」
「あぁ、そうだね、すぐに準備に取り掛かろう」
気が変わらないうちに、と笑顔でこう応じたのであった。
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