86話 守ってくれた。
もしかしたら獣人は、人よりも体温が高いのかもしれない。
じんわりと、その温かさが私の膝から広がっていく。
それに気を取られていたら、彼は目元を腕で覆って言う。
「……んなこと考えてねぇ」
「ふふ。私でも分かるなんて、嘘が下手すぎる。色々考えすぎなんだよ、ギンは」
「うるせー。この距離で説教はやめろよ」
彼はそう言うと、身体を捻るようにして、今度こそ起き上がった。
そこへ私はナプキンにくるんでいたパンを半分にちぎって、彼に差し出すと、胡乱な目がこちらへと向けられる。
「……んだよ、これ」
「焼きたてのパンだよ。まだあったかいから、美味しいよ。たぶん焼きたて」
「そういうこと聞いたんじゃねえし」
「分かってる。でも、説得したところで戻ってくれないでしょ。他のご飯も必要ならあとで持ってくるけど?」
私が笑顔を作ってこう言えば、彼は渋々といった感じながら、一つ息を吐いた後、こちらに手を伸ばしてくる。
そして二人、それを食んでいたちょうどそのときであった。
いきなり牛舎の外、畑のほうから甲高い悲鳴が聞こえたのは間違いなくカーミラさんの声だ。
私は、慌ててパンを口に詰めて、藁の束から飛び降りる。
高い音に驚いたせいでパンを詰まらせたのか、むせ込むギンを置いて、声のした方向――魔法壁の向こう側へと向かえば、そこではカーミラさんが明かりを手にしたまま、尻もちをついていた。
その目前にはなんと、
「魔蜂……!!」
恐ろしい魔物が待ち受けていた。
それも、その大きさと禍々しい黄と黒の色味からして、この間見かけたのと同じ、かなり大きい種だ。
そういえば蜂は、一度刺したことのある相手に再度近づいてくることがあるという。
もしかしたら、今日の移動中にギンを見つけてついてきてしまったのかもしれない。
「な、なんなのよ、これぇ!!」
カーミラさんはこう叫び、私の足元にがしりとしがみついてくる。
『すまない、ちょこちょこと動くものだから中に入れてしまった』
そこへトレちゃんが上からこう教えてくれた。
彼らに非はない。
いくら通常より大きい蜂とはいえ、トレント達にしてみれば、そのサイズは小さいのだからしょうがない。
今できることといえば、一つしかない。
「と、とりあえず、壁の奥に逃げましょう。そこなら、少なくとも近づいてこられないはずですから!!」
「で、でも、腰が抜けた……かも」
「え」
それは、非常にまずい。
私の水魔法では倒せるまではいかないだろうし、リカルドさんを呼ぶのもここからでは難しい。
もうこうなったら彼女を引きずっていくしかない。
不規則に、不気味な羽音を立てて飛び回る魔蜂を前に、私が動き出そうとしたそのときだ。
私の横手を横切るようにして、その獣は魔蜂へと跳びかかっていった。
「ギン……!」
私が叫んでいるうち、彼は飛び回る魔蜂にその爪を振りつける。
野生の勘がなすところなのだろうか、実に的確な攻撃であった。
一撃で魔蜂は地面に沈んでそのまま動かなくなった。
が、しかし、ギンはひとたび獣化してしまえば制御がきかなくなる。
こちらを振り向いた彼は、ぐるると喉を鳴らして、前脚をかきながらこちらを睨みつける。
「ギン、落ち着いて。大丈夫、大丈夫だから!!」
こんなことになるとは思っていなかったから、団子の類は持ち合わせていなかったから、昼間のようにはいかない。
だから私はだめもとで、彼にこう言い聞かせるが、それだけで獣化はとけないのは昼に見たとおりだ。
手に汗を握る膠着状態が続いたのは、ほんの少しだった。
いよいよ彼が地面から豪快に飛び上がってきて、私は思わず顔の前に腕をかざして目を瞑る。
が、いつまでたっても痛みは襲ってこなかった。
なにが起きたのか最後には後ろからトレちゃんがギンの身体を枝葉で縛り、それにより動きを取れなくなった彼の獣化はそこで解けた。
ギンが人の形へと戻ると、トレちゃんは彼を解放する。
「ありがとね、助かったよ」
『なに、これくらいは造作ないことだ』
私がトレちゃんに礼を述べる一方、ギンは獣化の影響で一部が破れたローブを抑えるようにしながら、私たちの横を、無言で通り過ぎる。
そのまま、元いた牛舎のほうへと足を向ける。
彼は落ち込むように俯いていた。その原因は、もう明白だ。
たぶん、またしても暴走してしまったことを悔いているのだろう。
「どこいくのよ」
そこへ、カーミラさんが立ちあがりながら声をかける。
その少し棘があるようにすら感じられる声に、私は背筋にひやりとしたものを感じるが、
「屋敷はそっちじゃないわよ」
彼女がこう続けるから、私は驚いて目を見開く。
直接的でこそないが、彼女は「屋敷に戻って、一緒に食事をとろう」とそう言っているのだ。
「ほっとけよ、飯ならパンもらったし、俺はどこでも寝られるんだ」
「そういうことを言ってるんじゃないわ」
「……ちっ。怖いんじゃないのか。というか、怖いだろ、あんなの見たら」
「でも、あんたはあたしを守ってくれた。それも事実でしょ。あたしの発言が聞こえていたんでしょ。悪かったわ、謝る」
彼女の謝罪はいつも唐突だ。
が、その代わりにいつもまっすぐである。それが刺さったのかどうか、ギンは右足を前に出したところでぴたりと止まる。
カーミラさんの持っていた明かりに照らされ、その影はかなり長く前に伸びていた。
それを見るかのように俯きながら、彼はぼそりと呟く。
「お前のためじゃねぇよ。血が騒いだだけだ」
「なんでもいいのよ、それは」
「……そうかよ」
彼は吐き捨てるようにそう言うと、再び歩き出す。
が、その向かう先は屋敷のほうへと修正されていた。
彼が十分に離れてから、私は思わず笑みを漏らしてしまう。
「なによ、マーガレット」
「いえ、なにも。ただ、カーミラさんは結局優しいな、と。ここにいたのも、ギンを探してくれていたんでしょう?」
「……やめなさいよ、マーガレット。そんなのじゃない。ただほら、なんとなく気分悪いじゃない? あたしの発言が聞こえてたせいかも、って思ったら、ほら。ちょっとね。って、もういいでしょ」
カーミラさんはそこまで言うと、大きくため息をついた。
「あたしたちも早く戻りましょ。さすがにお腹がすいたわ」
「ふふ、ですね!」
その後、ギンも含めて全員で食事を取る。
これで一応、仲間として受け入れてもらえたらしい。
びびりなフィランさんは震えっぱなしだったけれど、それはご愛敬だ。
フィランさんはオチ枠ですw
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