84話 狼青年はお風呂が嫌いらしい。
「嫌だ」
と、ギンの叫ぶ声が小屋の中で響いて、外まで漏れ聞こえてきた。
部屋の扉を固く内側から引っ張り、開かないようにして、いわば立てこもり状態。
「絶対に入らねぇぞ」
彼は、さらにこう続ける。
それに対してリカルドさんは軽く空を見上げて、頭に手をやった。
「……やっぱりこうなるか」
ギンが徹底的な拒否の姿勢を見せているのは、お風呂だ。
私が【開墾】スキルで作った水をタケノキ水筒にいれ、リカルドさんの火属性魔法で温めて作った、ほどよい温度の湯だ。
しかも、竹の匂いが移って、心地のいい香りまで漂っている。
なんなら私が入りたいくらいなのだが、ギンにとっては、そもそも「湯」であることが受け入れがたいらしい。
この展開は、読めていた。
というのも、私たちはすでに挑戦済みだったのだ。
最初の頃は、どうにか風呂に入れようとしていたが、ギンはお湯に浸した布で拭くことさえ嫌がる。
そこで一応、身体を水で拭いてもらうくらいはしていたのだけれど、やはり湯よりは汚れが落ちにくく、匂いが残っていたらしい。
「……どうしましょう、これ」
私は膠着した状況に、思わずこう漏らす。
すると、マウロさんが「マーガレット様」と私の名前を呼ぶからそちらに耳を寄せれば、彼は小声で言う。
「小屋の裏手に、非常口があります」
「え、そんなのあったのですか」
「はい。こちら、そのカギになります。気づかれないように、裏手へどうぞ」
さすがは設計者だ。
私はマウロさんから鍵を受け取ると、湯に浸した布を絞って、足音を消すようにして裏へと回る。
「そろそろ出てきたほうが賢明ですよ、ギン様」
「うるせぇよ。嫌だって言ってるだろ」
「ですが、日が暮れてしまいます」
「関係ねぇよ、そんなの」
マウロさんが言い合いを仕掛けてくれたおかげもあった。
私は小屋の戸をそろりと開けるのだが、それでも気づかない。
だから、ゆっくりと足音を立てないようにして、彼の背後から近づく。
そして、もう少しで捕まえられる――となったところで、床が少し音を立ててしまった。
「お、お、お前、いつのまに!?」
「あら、気づかれちゃった……」
「謀ったな、くそ。嫌だって言ってんだろ、もう!!」
ギンはそう叫びあげると、同時にぽふんと獣の姿へと姿を変える。
どうやら感情が高ぶりすぎて、獣化してしまったらしい。
彼は、私を威嚇するようにガルゥと呻き鳴く。
前方についた緋色の目は、鋭い眼光でこちらを捉える。
「マーガレットくん、大丈夫かい!?」
と、リカルドさんから心配の声が飛ぶが、問題はない。
はい、と短く答える。
普通であれば、こちらもなにか対抗手段を用意しなくては、襲われてしまうところだけれど、今はそんな緊迫した状況でもない。風呂に入るのを嫌がってる子どもを躾けているのと変わらないのだから。
「大丈夫だよ、本当に熱くないようにしたから落ち着いて」
だからあくまで冷静に、私は腰を屈めてこう投げかけるのだけれど、それに対する返事は……
扉の上部に干していた服を口で咥えて引っ張り落とし、それを前脚で蹴上げてくるという物理攻撃だ。
これには思わず頬がぴくぴくと攣る。
こうなったら、もう最終手段だ。
私はポケットからチルチル草を練り込んだ団子を取り出す。
ただ置くだけでは食べてくれないことは分かっていた。もう初めに出会ったときみたく、お腹を空かせているわけでもない。
が、団子をふわりと宙に放ってやると……
「あ、やっぱり!」
ギンはそれを目がけて、大ジャンプ。
大口を開けて、その団子に跳びついた。
そして着地を決めるや、すぐに地面で丸くなり始める。
そして、その変化がするりと解けた。
ギンはといえば、眠っているらしい。
ぶかぶかの服を着ていたおかげで、大事なところは見えていない。
「リカルドさん、マウロさん、これで大丈夫ですよ~」
安堵の息をついて少し、私が外に呼びかければ、二人が中へと入ってくる。
「……よく抑えられたね?」
「あは、まぁうちの実家には犬がいましたから」
たぶん、本能的なものだろう。
犬同様に狼もなにか動くものを見ると、跳びついてしまうのだ、きっと。
「じゃあ、今のうちにお風呂に入れましょうか! タケノキは消臭にもなります」
「そうだね。でも、ここからは僕がやるよ。ほら、その彼もえっと……男の子だろう?」
リカルドさんは頬を赤く染めながら、辿々しく言う。
抽象的とはいえ、なにを言わんとしてるかは分かった。
「いいんですか? 私、弟もいましたし、布だけ巻いてくれれば平気ですよ?」
「いや、だめだ。絶対に僕がやる。君は中に入っていてくれ。絶対に出てこないこと! やるからには徹底的にやるから」
リカルドさんはそう言いつけると、ギンを抱えて小屋の外へと出ていく。
気になってそわそわしつつ待っていたら、しばらくののち、拭き上げ終わったらしい。
そしてその手腕はさすがというべきだろう。
全く匂いがしなくなっている。
「……消えましたね」
慣れてしまっていた私だけではなく、小屋の荷物整理をしてくれていたマウロさんも、こう太鼓判を押してくれたのだから問題ないはずだ。
ギンは、身体を拭き上げられてからも、なかなか起きなかった。よほど深く眠り込んだらしく、待っていたら日が暮れそうだった。
だから、私たちは四人でトレント達に乗り、ふもとへ向けて出発することにした。
その途中、ついにギンが目を覚ます。
「なんか嫌なことがあったような……?」
と言うから、私はくすりと笑う。
「気のせいじゃない? とりあえず、もう少しゆっくりしてたほうがいいと思うよ?」
「え、あぁ、うん、まぁそれもそうか」
うん、素直な子でよかった。
【重大告知】
なんと、このたび書籍化が決まりました!!
みなさまの応援のおかげです。ありがとうございます( ;∀;)
MFブックスさんからの書籍化となります★
許可が下りましたら、書影を公開させていただきます!!
引き続きよろしくお願いいたします!