82話 獣人青年の恩返し?
その日、私とリカルドさんは手持ちの食材に、道中で捕まえたウサギ肉や採取した野草などを合わせて、ウルフヒューマン族の集落近くにどっさりと置いてきた。
ギンはよほど疲労困憊だったのか、まったく起きださなかったが、集落の場所は、彼に尋ねずとも難なく分かった。
昨日、彼が倒れていた蜂の巣付近に行けば、その通ってきただろう地面に、鉤爪の痕がくっきりと残っていたのだ。
が、道が険しかったことや、足跡がうねうねと蛇行していたこともあり、その日はほとんどをその行程に費やす。
早朝に出たが、戻ってきたのは夕刻頃だった。
結局その日は、建築用に運ばれていた木材の一部でもう一台のベッドづくりだけを行い(安眠にとっては、死活問題!)、翌日を迎える。
その日から私たちは当初の目的に立ち返り、中間地点である小屋の周りの整備へと戻ることにした。
一度、ふもとまで帰るという選択もなくなかったのだけれど、ギンを連れていくことを考えれば、移動距離が長すぎるという判断だった。
いくらトレントの上が快適とはいえ、さすがに安静状態とはいえないしね。
食材の確保と調理をリカルドさんが担ってくれるから、私は整地を進める。そのかたわらで二人して、ギンの手当を行う。
――そうして三日ほど。
早朝はっと目を覚ましてみたら、隣のベッドで寝ていたはずのギンが、忽然と姿を消していたのだ。
「まさか、あの子……。無理して、どこかに行こうとしたんじゃ……」
リカルドさんは、ここ最近の慣れない狩猟・肉体労働の疲れからか、まだぐっすりと眠っている。
それを起こすのも忍びなくて、私は一人、そろりと起き上がる。
一応、魔物たちに襲われる可能性も警戒して、いつもの道具セットを身に着けて小屋を出ることにした。
『マーガレットさん、ずいぶん早いね?』
そこで、起きていたらしいミニちゃんにこう声をかけられる。
「なんか目が覚めたの。それより、ギン見なかった? 耳と尻尾のついた子」
『んー、おれもいまさっき起きたから。探すの手伝うよ』
「ありがと。寝てなくてもいいの?」
『大丈夫だよ。動き足りないくらいだからね』
そう言う彼にも乗せてもらい、とりあえずは小屋の周辺から探索していく。
少し遠くまで足を延ばしてもらったが、それでもその姿は見つからない。
それで仕方なく引き返してきて、ちょうどミニちゃんから降りたところで、小屋の程近くにある草陰がごそりと揺れた。
なにか獣でも出たのかもしれない。
私はとりあえず、チルチル団子を投げつける。
が、出てきたのは耳としっぽのついた青年、つまりはギンで。
団子はその顔の端にあたって、ぽとりと地面に落ちる。
それでぴくりと、彼の眉間が動いた。
「いてぇ。お前、なんのつもりだよ……。俺は犬じゃねぇんだぞ?」
「ま、魔物かと思ったの!」
「そりゃ、こっちのセリフだ。あんな、トレントみたいな化け物が動いてたらこえぇよ」
「だからそれは説明したでしょ。というか、急に出てくるのも悪いと思うよ!? あと、急に出て行くのも悪い! 怪我してるのに」
「お前らが過保護すぎるからだっての。もう動けるんだよ、ほら、このとおり」
と、彼は持っていた草籠に入れていたものを傾けて、こちらへと見せる。
その中では、魚が数匹入っており、いきよく跳ねている。
「俺がそこの沢で捕まえたんだ。安心しろ、食えるやつだ、これ。感謝しろよ」
彼はふんと鼻を鳴らして、自慢げに言う。
が、私が気になったのは彼の手足に入っている生傷だ。
このところ毎日手当をしているから、それが新しい傷であることは分かる。
足袋がぼろぼろになっていた。
服も破れて、毛もいたるところについているから、たぶん獣化して捕獲したのだろう。
私がため息をつくと、彼は首を傾げて、「辛気くさいやつだな」などと言う。だからとりあえず彼の手を引き、小屋のほうへと連れ帰ることにした。
「なんだよ」
「なんでも、だよ。ほら、まずは足の裏から」
と呟く彼を外に待たせておいて、私は中から手当セットを取り出してくる。
このところは連日、治療を行っていたから、怪我治療用のアイテムはここにまとめてあったのだ。
「いいのに、これくらい。俺たちは普段、山で狩りやってんだぞ。これくらい、日常茶飯事だ。ほっときゃ治るんだよ」
ギンは不満げにこう言うが、私はそれをスルーして、椅子に座る彼の足元にしゃがむ。
血が出ているところを、数日前同様にヨモギエキスで消毒していった。
「たしかに、人間よりは早いみたいだけど……。でも、ちゃんと手当したほうが治るまで早いよ。それに痕にならない」
「……そんなもん、気にしなきゃいいだろ」
「場合によっては、大変なことになるかもよ? 身体を中から食べられこわーい病気とかになるかもしれないし」
私は手を動かしながら、あえておどろおどろしく声を潜めて言う。
「……な、なんだよ、それ」
すると、ギンは声を震わせて言う。
平気そうに振る舞っているつもりのようだが、明らかに怯えているのだから、なかなかに可愛らしい。
「まぁ極端な事例の話だけどね」
「……脅しかよ」
「まぁそんなところ。勝手に出て行って怪我するんだから、ちょっとくらい強く言わせてもらうよ」
「……うるさい、俺の自由だろ。いつ出て行ったって」
まぁ、究極的にはそうなのだけれど。
それでも彼も、完全にそのつもりがあったわけではないのはたしかだ。
「でも、帰ってきたんだ?」
私が上目にこう聞けば、彼は一度耳をぴんと立ててから、こちらから目を逸らす。
その横顔はみるみるうちに火照っていくが、彼はそこで顔を横に強く振る。
「……飯だ。俺、魚は生で食えねぇんだ」
「あら、好き嫌いが理由だったの」
「そう、それだけだ」
それはそれでいいのかもしれない。
私も美味しいものは正義だと思っている側の人間だから、気持ちは分かる。
まぁもっとも彼の反応を見るに、ただそれだけが理由ではないのだろうけれど、ここはこれ以上何も言わない。
「……なぁマーガレットもリカルドも、なんで、俺みたいな奴の世話をするんだ? なにか見返りを求めてるのか」
「あは、求めてないよ、別に」
だからといって、なにが理由というものもないけれど。
「単純に、それが当たり前だから、ってところかな」
「……じじいに聞いた話じゃ、人は残虐だって話だったぞ」
「まぁ、そういう人も中にはいるかもしれないけどね」
ヒューマンウルフは長生きすると聞く。
たぶん、彼のおじいさんが言っているのは、昔この島に来た人間のことをさしているのだろう。
気になりはするが、まだ若い彼に聞いてもしょうがない話だ。
ちょうど手当が終わったので、私は布を取り出してきて、止血のために傷口をしばる。
それに少し力が入りすぎて……
「いって……!! くそ、マーガレット。お前の本性も、やっぱりそれか!!」
あらぬ勘違いをされることになってしまった。