75話 満を持して、中間地点へ!
引き続き、よろしくお願いいたします。
送風器が贈られたその日から、ノルドさんは仕事に復帰していた。
マウロさんに建築関連の技術を教わっている彼の首元では、送風機の中でクルクル草が回転して風を送る。
その効果は絶大で、汗をだらだらと垂らすこともなくなって、実に快適そうに仕事をしていた。
もう少し暑くなるんだったら、私も欲しいかもしれない。
なんて思いながら、私は私で、フィランさんへの引継ぎを進める。
と言って、彼も普段の管理くらいなら、もう問題なくできるようになっていた。
魔道具を作っている間、あえて一人で仕事をさせたことも、いい効果をもたらしたらしい。
ひとまずの引継ぎとしては十分と言える域である。
とすれば、そろそろ中間地点の開拓に移行してもいい。
私はもう、ずっとうずうずしていた。
が、慎重派なリカルドさんからのGOサインが出たのは、引継ぎ開始から約一週間後のことであった。
その日は天候にも恵まれていた。
ほどよく雲が出ており、暑すぎず快適な気温で、お日様はほどよく照り付ける。
まさに、開拓日和だ。
「よし、準備はできたかな二人とも」
早朝、日が昇ってすぐ。
出発する直前に、屋敷の前でリカルドさんが私とマウロさんを見てこう確認する。
この日を、待ちわびていた私はもう準備万端だ。数日前から、持っていく苗の準備や農具一式の手入れなんかをして、今日を迎えていた。
いつもどおりのエナベリ水に、スゲ草団子に、チルチル団子も、オーバーオールのポケットにできる限り入れてある。
ぬかりはまったくないはずだ。だから大きく首を縦に振る。
「……俺も問題ありませんよ」
私の隣、マウロさんはこうぼそりと言い、目を脇の大荷物へと向けた。
そこにうず高く積まれているのは、建材類だ。
細かい部品は木籠に入れられており、綺麗に分類がされていた。
今回、これらの建材を一挙に運び込み、それから何日か通って、建設作業をしていく算段なのだろう。
「ま、せいぜい気を付けて行ってくることね」
見送りに起きだしていたカーミラさんが、玄関扉に寄りかかり、あくびをしつつ言う。
今回、彼女は留守番だ。
今日の段階では、ひとまず下準備であり、彼女の力を活かせる場面がなさそうだからである。
「カーミラくん。逆に、僕の部下のことを頼んだよ。それと朝食はもう準備してあるから、キッチンを見てくれるといい」
「ありがとうございまーす」
「それと洗濯物だけれど……」
「もういいですよ、大丈夫ですから。早く行った方がいいですよ」
まるでお母さんと娘みたいな会話を終えたのち、カーミラさんはこう残して、またあくびをしながら屋敷の中へと戻っていく。
リカルドさんはまだ言い足りないという感じだったが、切り替えたのか、にっとほっそりした唇の端を上げる。
「マーガレットくん、じゃあお願いしてもらってもいいかな?」
「はい!」
私は元気よく答える。
それからすぐに上を向き、敷地内を囲うように群生するトレント達の方へと声を張りあげた。
「みんな、今から上に行くよ! 荷物とかの運搬、お願いしていいかな?」
彼らとは、前々から約束済みだった。
上流に行きたい子を募集してみたところ、意外と乗り気な子が多く、とりあえずは群れのうちから三匹を連れていくことになっていたのだ。
『おれが一匹目だよ。今日もよろしくね』
移動の際にもっともよく乗せてもらっているミニちゃんを含む、三匹が出てくる。
『いやはや朝早くから出かけるなんていつぶりだろうか』
『まったくだ。でもいい機会だね』
彼らは手際よく、私たちがまとめていた荷物を、枝を組むなどして持ち上げる。
正直、彼らなしで持っていこうと思ったら、それなりに大きな船でもどれくらいかかるか分からない量だ。
だが、彼らはあっさりとそれら全てを持ち上げてくれた。
さすがとしか言えないパワーである。
そうして荷物の積み込みが終わったら、いよいよ出発だ。
ルートは基本的に前にたどったのと、同じ道を伝っていく。
『開墾』スキルの一部である水の感覚を頼りに、川沿いまで進むと、そこからは上流を目指して進む。
多少の魔物が出ても、トレントが蹴散らしてくれるから安心安全快適な旅路だ。
だから早く起きすぎた分少し仮眠を取ったりしていたら、昼前には目的地についていた。
そこの情景はあまり変わっていない。
森の中にぽっかり穴を開けたように、草原が続いている。
その端に、私たちは降り立った。
それからすぐ、私はあたり一帯に水を撒く。
昔はじょうろ程度の水しか出なかったが、今や多少広範囲に水を噴出することができた。
「マーガレットくん、なにをやってるんだい?」
「前に来たときに、カラシ草を見ましたでしょう? その花粉がこうやって、水を撒いたら、浮き上がっているものが水に含まれて落ちるので、かなりましになるんですよ」
前は説明しようと思っていたら、途中でクルクル草を見つけて、話が途中になっていたのだっけ。
水を撒き終える。それから私は腰に手を当て、ふうと一息ついた。
「……さて、なにからしましょうか」
「まったくだよ。途方もない感覚だ。まぁでも、とりあえずは小屋を建てる準備かな」
「そうですね。マウロさん、どのあたりがいいとかって――」
私はそこにいると思っていた、建築家の彼にそう聞いたのだけれど……
マウロさんはとっくに一人で、なにやら作業に入っていた。
腰が埋まるくらいの高さまで草が生い茂っている中に入って、地面に棒を突きさしていたから、たぶん、地面の固さを調べているのだろう。
「はは、彼らしいな。よし、じゃあ僕たちは僕たちで草抜きをしようか」
「ですね。こっちはこっちで進めちゃいましょう」
「僕が鎌で草を同じ高さに刈り取るよ。丈が揃ってるほうが抜きやすいだろう?」
「ありがとうございます!」
そこから私は、リカルドさんの協力を得ながら草むしりへと入った。
何度やっても、ついつい夢中になってしまう作業だ。
私は草を、むしりにむしる。
生えていたのは、カラシ草、スゲ草、などの雑草の類だ。
夏が近づく季節だ。強力な生命力を誇る雑草の類は、一層その勢力を増している。一部の雑草などはかなりの高さがあったが、だからこそやりがいがあった。
かなり作業を進めて、私はふうと一つ息をつく。
随分やったと思って、自分の辿ってきた範囲を振り返って見て、びっくりした。
いや、それどころの話ではない。
目を疑うような光景がそこにはあったのだ。
「り、リカルドさん……!」
私は、まだ異変に気付いていない彼に声をかける。
「なんだい、マーガレットくん」
「う、後ろ!!」
私が指さすのに後ろを振り返った彼も、唖然としていた。
無理もない。
なにせそこには、もう小屋が出来上がっていたからだ。
こじんまりとした大きさではあるものの、一人なら十分に暮らしていけそうな広さだ。
どう考えたってこんな短時間で建つような代物ではない。
私とリカルドさんは、一度草むしりを中断して、これを完成させただろう人の元まで戻る。
「マウロさん! これ、なにをやったんですか⁉」
つい前のめりにこう聞けば、彼はさらっと言う。
「前に言っていたと思うのですが、【構築】のスキルです。一度、下で組み立て終っていたので、魔石を用いて形状記憶をさせました。それをここで組み立て直しただけですよ」
……たしかに聞いたことはあったけども。
ここまで大掛かりなことまでできたとは思いもよらなかった。リカルドさんに至っては、目を丸くして、なかば放心している。
「な、中を見てみても?」
「はい、どうぞご自由になさってください」
私は恐る恐る、小屋の中を開ける。
すると、そこにはもう家具まで据え付けてあった。
「……こんな用意までしていたのかい?」
「はい。ノルドさんにもいろいろとお助けいただきました」
寝台が二つに、調理台、トイレまで用意してあるのだ。なんなら、すぐにでも使えそうな雰囲気である。
リカルドさんともども、室内に入って中を見回す。
そこへ、扉の前に立っていたマウロさんが後ろから呟くように言った。
「お二人は、今日ここに残られては?」
と。
その衝撃的な提案に、私はぴくりとも動けなくなる。
「下にあるものと同じ柵を用意しております。それを設置しておきますから、お二人は草抜き作業を続けられたほうが早く作業が進むかと思います。念のため、戦えるリカルド様は残った方がいいでしょう」
そこへ彼は続けて、こう言う。
提案自体は、なるほどまともなものだ。
下とこの中間拠点との往復は、日中の半分以上の時間を要する。そりゃあ、ここに残ったほうがその時間の分、作業の進みはいいに決まっている。
だが、この仕切りもなにもない部屋でリカルドさんと二人……?
誰か男の人と二人で泊まった経験なんてこれまで一度もないのに、この美丈夫と?
私がすっかり硬直していると、
「まぁ、たしかにそうだね。一応、万が一のために食料の一部は瓶詰めして持ってきているし、水も湧水を汲めばいい」
リカルドさんは顎に手をやり、ふむと一つ頷く。
……もしかしなくても、前向きになっているらしい。
リカルドさんはどこまで考えているのだろう。二人で同じ部屋に泊まることになるのを分かっているのだろうか。
ただこんなこと、正面から聞けるわけもない。
「えっと、どうしようか。僕としては、君がいいなら残って作業をしてもいいかなと思っているけど」
黙り込む私に、リカルドさんが微笑みを称えながら投げかけてくる。
あまりにも、きらきらとした笑みだった。
その美しさに、思考が飛んで、私は自分でもわけがわからないうちに、首を縦に振っていた。