70話 遊び心と仕掛け罠
それから約一週間、私からフィランさんへの引継ぎは比較的順調に進んでいた。
もちろん、うまくいかないこともあった。
たとえば、トレントの世話方法を伝えている時なんて、彼らが呻くような声を発するたび、フィランさんの腰はどんどんと引けていく。
『いい風が吹いているなぁ、余計な葉が落ちて気持ちいいよ。もっと吹かせられぬものか』
『やめろ、葉を揺するな。君の起こした風で、俺の葉が飛んだらどうするんだ』
『はは、いいではないか。どうせ、嵐が来たら落ちていたさ。はげるわけでもあるまい』
『貴様、それだけは言うなと言っている。俺はただ元から葉が少ないだけだ』
トレントの声が聞こえる私からしてみれば、その内容は子供の小競り合いでしかなかったのだけれど、フィランさんは怖がりっぱなしだ。
こんな状態で、どうやってこれまで生活してきたのだろう。島にいれば、多かれ少なかれ危険もあったにちがいないのに。
私はそんなふうに疑問にも思っていたのだけれど……
「枝や葉の剪定は、日が効率よく当たるようなイメージで行う……と。あまり成長しすぎてからやると、苗自体が痛むから注意する。なるほど」
その怖がりぶり、つまりは慎重さが生きる時もあった。
なにをするにしても、逐一メモを取りながら、一つ一つ確認して覚えてくれる。そのうえ、細かい疑問点まで尋ねてくれるから、やりやすかった。
「ということは、これも剪定対象ですね、マーガレットさん」
「はい、正解です! 覚えるのが早いですね?」
「はは、違いますよ。忘れて間違えるのが怖いだけです。だって、俺のミスで植物が枯れたりしたら最悪です」
……とことん、慎重な人だ。慎重すぎて、もはやネガティブだ。
その性格は、植物の世話にはかなり向いていると言っていい。
なにも喋らない植物だけれど、その状態は刻一刻と変化している。対処が必要な状態に気付けるのは、一つの才能だ。
この分なら、カーミラさんと二人にお世話をお任せできる日も近いかもしれない。
そんなふうに思いながら、彼について指導をしていたところへ、そのカーミラさんがやってきた。
「マーガレット。今、少し時間取れる?」
「えっと……」
私はちらりとフィランさんを見る。
声にこそ出していなかったが、その半開きになった口を見れば言いたいことは分かる。
不安だから、残ってほしいのだ。
私はそれを察したうえで。カーミラさんに頷く。
「はい、大丈夫ですよ。だいぶ引継ぎも進みましたしね」
「そ。じゃあ、あたしの部屋に来てくれる? 見せたいものがあるの」
「分かりました! じゃあ、先に行っててください。すぐに行きますね」
ばっちりと約束を交わしてから、フィランさんのほうを再度振り見れば、明らかに動揺している。
わなわなと、はさみを握る手を震わせていた。
「ま、マーガレットさん。俺はどうすれば……」
「大丈夫ですよ。今までお教えしたとおりにやってもらえれば。分からないことが有ったら、あとで答えますよ」
「し、しかし! それはマーガレットさんがいたからで」
「心配いりませんよ。なにせ、その私が教えたんですから! 安心して、やれるところまでやってみてくださいな」
本当は、自分の指導力にそこまで自信があるわけでもない。
けれど、フィランさんに独り立ちしてもらうにも、自信をつけてもらうにもいい機会だ。
私はそう言い残して、カーミラさんの後を追う。
「本当によかったの、あの人の指導。邪魔したあたしが言うのもなんだけど」
「まぁまぁ、大丈夫ですよ。カーミラさんのいいサポートになってくれそうです」
「なんかそんな感じに見えないけど」
会話を交わしながら屋敷へと入り、カーミラさんの部屋へと向かった。
ここに入るのは、二度目だ。
前はぬいぐるみなどや、小物類が置いてあり、女の子らしい部屋だったと記憶していたが……
「わ、もしかしてこれを作ったんですか!」
今は部屋の真ん中に、丸太やタケノキなどをもとに作られた謎の工作物がでーんと置かれている。
興味を駆られた私は近づいていき、その仕組みを確認しようとする。
丸太にはスゲ草で編まれた紐が巻かれていた。
それを目で追っていくと、紐は少し高いところにある壁掛けのフックに掛かっていて、その先をさらにたどっていくと、丸太の上に置いてあるタケノキの板へと続いている。
そして、それは少し宙に浮いていた。
「そう。野ウサギ捕獲用の装置。これを実際に試してみたくって」
「……試す、ですか。どうやって――」
私が言い終わる前に、背中がぞわりとした。
後ろにいたカーミラさんが私の肩に手を置いたのだ。
「ちょ、カーミラさん!?」
「まぁまぁ、大丈夫よ。私も一応確認してあるから」
じりじりと前へと押し出される。そして思わず、丸太の上にあったタケノキの板に右足を踏み出してしまったとき、それは作動した。
踏んだことにより、丸太に巻かれていた紐が跳ね上がり、私の右足首を縛り付けんとする。
私はとっさに逃げようとするのだけれど、スゲ草には玉結びがついていた。どうやら、間違っても縛られないようにしてくれていたらしい。
が、しかし。かなり心臓に悪い!
「やめてくださいよ、こんな冗談……!!」
私はこう訴えるが、カーミラさんは腹を抑えて笑う。
「あは、やっぱりそうなるわよね。ごめん、マーガレット怒らないで。さっき一人で試してたらうまくいったんだけど、罠にかかるとき、つい心臓ばくばくしちゃって。
どうしても誰かに味わってほしかったの。ま、ちょっとした遊び心? トレントブランコの時の仕返しよ」
「トレントブランコは遊具ですけど、これは違いますよ!」
私はいまだばくばくとする心臓を抑えながら、つい声が大きくなる。
落ち着くまでしばらくかかったが、冷静になってみると、この仕掛け自体はかなり完成度が高い。
「このタケノキを削って穴をあけて、中に仕掛け板を入れておくのよ。それでこれを踏むと紐が引っ張られて、丸太に巻き付けていた紐がひっぱりあげられて、草の輪が締まるの。スゲ草も、編んであるから固いしね」
なかなかの熱量で語られるけれど、すぐにすべてを理解するのは難しい。
これを罠に関する知識がないところから思いつくのだから、さすがだ。
「普通じゃ思いつきませんよ、こんなの。これなら、本当に使えそうですね! さすがです、カーミラさん」
私がこうベタ褒めすると、彼女は「そうでもないって」と、しきりに前髪をさわる。頬も赤くなっているから、照れているのが丸わかりだ。
「まだまだ改善できそうだからやってみるわね」
そして、物作りが本当に好きなことも伝わってくる。
物作りになると、その情熱はケタ違いだ。
「ねぇマーガレット。新しい罠ができたら、またかかってくれる?」
「仕方ありませんねって、嫌ですよ……!?」