55話 夢か現か
窓枠が強風によって、がたがたと揺れていた。
さらには横殴りの雨粒が、窓を強く打ちつける。
尋常ならざる雨の勢いだった。
外の景色が黒い霧の中にあるみたいに、ほとんどなにも見えやしない。轟音だけが響いて、その荒々しさを伝えてくる。
そんな事態にまずよぎったのは、トレちゃん達のことだ。彼らの中には、老木の域にさしかかっているものも多い。
不安に駆られた私は窓を開けて呼びかけようとするのだが、
「みんな、大丈夫!? くっ……!」
風の勢いに押されて、開けることすらままならない。
動悸がどんどんと激しくなる。心臓の鼓動が身体中に伝わっているかのようだ。それに駆られて、私は部屋を飛び出る。
屋敷の外へ出ようとするのだけれど、ここも開かない。
仕方なく裏口から出ようと正面扉から振り返ったところで、ばったりとリカルドさんに出くわした。
いや、彼だけじゃない。
マウロさんも、カーミラさんも、リカルドさん部下の方も、そこには集まっている。
「マーガレットくん、悪いけど外に出すわけにはいかないよ」
「でも、トレント達が、それにミノトーロ達も心配なんです」
「気持ちは分かるよ。でも、僕らが行ってなにかできるかい?」
「それは……」
私は、言葉に詰まらざるをえない。
たしかに前のオムニキジ襲来の時とは違って、私が出て行って、どう対処できるものでもない。
そんなことは、庭師をしていた私がもっともよく分かっている。
大雨に降られたときに出て行けば、怪我をする可能性も高い。上がってからどう対処するかが一番大事なのだ。
ここで様子を見に行っても、ただ怪我をするだけ。分かってはいるのだけれど、理性的な思考と身体とがどうしても一致しない。
頭の真ん中にフラッシュバックしていたのは、過去に王城を竜巻が襲ったときのこと。
大切に育ててきた植物魔・オルテンシアの一部が根本でぽきりと折れてしまい、彼はそのまま息絶えた。
つい数刻前まで、ぴんぴんとしていたのに、だ。
「とにかく、今は様子を見守るしかないよ」
「でも――」
と、続けようとして気づく。
リカルドさんの目角にも力が入っていて、唇を少し巻き込むように噛みしめていることに。
悔しいのは、彼も同じらしい。
それを押し殺して、「私のために」と忠告をしてくれているのだ。
そんな意思を前にすれば、いかに自分が勝手な行動をとろうとしていたかを痛感する。
「今は見守っていよう。やむまで、起きて待っていればいい」
「そうよ、マーガレット……。あたしだって悔しいけど…………」
「俺も出て行くのは反対です。失礼ながら止めさせていただきます」
リカルドさん、カーミラさん、マウロさんが口々に言う。
『そうだよ、お姉ちゃん! ボクだって仲間が心配だけど……今は祈るしかできないよ』
そこへ、屋敷の中に避難していたらしいキラちゃんがやってきて、こう宥めてくるのだから、振り切って、外へ行くわけにもいかない。
だが、なにもしないのでは落ち着かなくて、私は窓際まで駆け寄る。
すると、その時にはトレちゃんが屋敷を覆うように移動してきていた。前にオムニキジが襲来したときと一緒だ。
また屋敷を守ろうとしてくれているらしい。
「トレちゃん、みんな、大丈夫!? 自分の身を守ることを優先してね!!! 大丈夫だから」
窓が開かないので、私は必死に呼びかける。
が、雨音や風の音に紛れてしまっているのか、返事は聞こえてこない。
豪雨はなおも、酷さを増しているようであった。
いよいよ玄関先にまで水が入ってくるから、かなり水が溜まってしまっているらしい。
耳に入ってくる音は、次第に鼓膜を強く打つようになる。
それでもなお祈るように外の景色を見ていたその時だ。
もっとも見たくなかったものが、目に入ってしまった。折れた太い幹が風に流されながら、地面へと落ちていったのだ。
「うそ……」
ふっと、足から力が抜ける。
私はその場で、膝から崩れ落ちた。瞬きすることさえできなくなる。
「マーガレットくん、大丈夫かい!?」
リカルドさん、カーミラさん、マウロさんの三人が一斉に周りを囲むが、反応さえできない。
ただ茫然と窓の外を見つめるのが精いっぱいだ。
なんて無力なのだろう、私は。
こんな緊急時になにもできないなんて。
トレちゃんは今、嵐から屋敷を、私たちを守ろうと必死になっている。その結果として、身体の一部が千切れてしまうほどの怪我を負った。
だというのに、その思いを受けても私はこうして、屋敷の内側から泣き叫ぶしかできない。
それが悔しくて、歯がゆくてたまらない。
「もう、やんでよ……」
結局、神頼み。これしかできないのだ。
これじゃあ、まったく昔と変わらない。
スキルが進化したって、大自然の前には、逆らう事すらできない。
私はひどく小さい。
気付いてしまった事実に、熱いものが目から溢れだす。
それは頬を伝ったのち、願うために結んでいた手の中に、ぽつりと落ちてきた。
「……へ?」
すると、どうだ。
強く結んだ私の手の中から突然に、青色の光が煌々とあふれだしてきた。
急速に身体の外へと魔力が流れ出ていく感覚がある。
「マーガレットくん、なんだい、それは」
リカルドさんが聞くのに、私はただ首を振る。
自分でもまったく分からなかった。
こんな現象が起きたことなんて、今までは当然ない。
また【開墾】スキル……? スキルが私の願いに反応した?
色々と可能性はあるが、もうなんでもよかった。
この状況がどうにかなるのなら、少しでも変えられるのなら、それでいい。なにかが起こってくれという一念だけを込めて、指と指を握りこむ。
そうしてしばらく経った頃、私の視界はブラックアウトした。
その間際、ぷつりと意識が途切れる直前、曇天の切れ間から綺麗な夕焼けのオレンジが覗いた――ような気もする。
夢か現かは、分からないけれど。