106話 天候変えちゃった。
「えっと、聞こえますか」
私はとりあえず声をかけてみる。
しかし、待ってみても反応はまったくない。
「それじゃあダメなんじゃないか。いっそ触れてみたら……って、これだけ渦を巻いてたら、触ることもできねぇか」
「うん。なにが起きるか分からないよ」
下手に動くわけにもいかず、私たちはその渦をしばらく観察する。
すると、それはやがて灰色へと変わっていき、ぽつりと。
頬に一滴触れたので上を見上げてみたら、一気に雨が振り出した。
「やっぱりこの精霊の影響で、天気が変わってたみたいだね」
「あぁ。改めて目の当たりにすると、すげえ力だな」
その勢いは、どんどんと強くなっていく。
この間、島を襲った豪雨と同じくらいの勢いだ。視界を遮られるほどの強い雨だった。
私とギンはどうにか避けようと頭の上に手をかざして、雨除けをできる場所を探す。
が、渦の内側にあったのは枯れ木一本だけだ。それでもその下に入り、ギンが私に言う。
「どうする、一回外に出るか?」
「ううん。どうせ、外も雨が降ってるし、もう濡れちゃったし、しょうがないよ。それより、この精霊の願いを考えてあげないと」
「でも、それがなんなのか分かるのかよ」
「それは……まだ分からないけど」
ろくに対話もできないような状況だ。
例の感覚も変わらず、私を遠ざけようとしている。
こんな状態で、どうやってその望みを知ればいいのか。
私が頭を痛めていると、
「……どうやら魔物らしいぜ」
ギンが身体を低くして、しっぽを立てて、警戒した声音。目つきを鋭くして、白もやのかかった景色をにらみつける。
すると少し遅れて、魔物らしきうめき声が聞こえてきた。
この声は、聞き覚えがある。リカルドさんを怪我させた、ケルベロスだ。
今度こそ油断するわけにはいかない。私はすぐに団子を取り出して、戦う意思を見せる。
が、そこでギンが私の前へと出た。
「ここは俺がやる。だからマーガレットは、こいつの願いを考えてくれよ」
「……ギン」
「格好つけさせろよ。お前のおかげで今なら全力でも戦えるようになったんだ。暴走することもねぇ。だから、早く頼むぜ」
ギンはそう残すと、雨の中へと飛び出して、ケルベロスたちとの戦闘を開始する。
見た目だけで言えば、獣同士の争いだ。
雨の中で行われる、噛みつき、引っ掻き、揉みあう戦闘の激しさはかなりのもので、私は圧倒される。
が、ぼうっと見ているような場合じゃない。
せっかくギンが作り出してくれたチャンスだ。無駄にするわけにはいかない。
精霊の願い、精霊の願い。
私は口元で何度も呟きながら、必死に頭を巡らせる。
が、それを阻むように、『近付いてはいけない』との感覚が精霊さんからは発され続けていた。
もはやそれが本当の願いなら話は早いのだけれど。
ついそんなことを思ったとき、頭に一つの気づきが降りてくる。
そういえば、あの精霊さんは言っていた。
瘴気に侵された結果、力が逆に働いてしまい、今の現象が引き起こされている、と。
ならば望みもこの感覚の逆、つまりは「近づいてほしい」と、彼女は思っているのかもしれない。
私はその思い付きにかけて、精霊さんのもとまで走る。
そのうえで、ためらう気持ちを振り払って、両手で彼女に触れようとする。
が、しかし、彼女を覆う水流がそれを許さない。
伸ばした手は簡単に弾かれてしまう。
そこで私は両手を結び、目を瞑る。そうして祈るのは、この強い雨がやむことだ。
彼女を覆う灰色の渦が天候を変えているのなら、逆に天候のほうを変えれば、彼女の周囲の渦に影響を与えられるかもしれない。
天候を変えられるかどうかについては、確信はなかった。だが、逆に「もしかしたら」という可能性は感じていた。
少し前の大雨の日、私は同じように雨が止むのを祈った。
結果として気絶をしてしまったが、その最後、私の魔力にこたえるように雨空が割れていく光景を見た――ような気がするのだ。
ただの勘違いかもしれない。だが、今の状況ではそんなものにでも縋っていたかった。
すると、どうだ。
あのときと同じように、握った手のひらの内側が淡く光り始める。
「……これって」
あのときの感覚と同じだ。大量の魔力が一気に、手のひらから抜けていく。
ただ前とは違うのは、耐えられないほどではなかった点だ。
スキルを使い続けたことで私の魔力量が増えたのか、意識を保っていることができた。
そのまましばらくすると、雨の勢いが弱まっていく。
明らかな変化に驚きつつも、ここは粘り時だ。
私はより強く手のひらを固く結び、目を瞑って祈りをささげる。
そうして、少しののち、肩を打ち付けていた雨の感覚がなくなって、私ははっと目を見開く。
すると、どうだ。
そこには、太陽が出ていた。
雨は完全に上がっており、あたりを渦巻いていた風の渦も綺麗さっぱりなくなっていた。
……今度こそ、間違いない。
どうやら私は本当に、天候を変えてしまったらしい。
私は驚き、自分の手のひらを見つめる。
「……マーガレット、お前、今」
そこへギンの呟きが聞こえて、私は彼のほうへと顔を向ける。
と、ちょうどそのときのことだ。
血だらけのケルベロスが彼の背後から、その肩口に噛みつこうと飛びかかるのが目に入った。
「ギン、後ろ!!!」
私はすぐに声をあげる。
が、よほど驚かせてしまったのか、ギンの反応は遅れている。
このままじゃまずい。
私はなかば反射的に、彼のほうへと駆け出そうとする。
そして一歩目を踏み出したところで、ケルベロスの三つの首それぞれに、火が灯った。
それによりケルベロスはその場で悶え始めて、地面へと叩き落される。
そこへ追撃として、火の玉まで見舞われたら、もう動かなくなっていた。
間違いなくギンの攻撃ではない。
あんな火属性魔法を使えるのは――
「ぎりぎり間に合ったみたいだね」
リカルドさんだけだ。