103話 精霊の少女と。
「なんだ、こいつ」
ギンが眉にしわを寄せながら、その小さな女の子をじろじろと見る。
『……とんだ無礼者ですね』
女の子はジト目でこう抗議をするが、ギンはそれでも物珍しそうな視線をやめない。
どうやら、彼女の声は私にしか聞こえていないらしい。
その特徴は、トレントやボキランたちとよく似ている。
「あなたは……植物魔なの?」
私は目の前の光景に驚きつつも、まずこう尋ねる。
すると、その子はギンから距離を取るように浮き上がりながら、小さな首を横に振った。
『わたしは、精霊でございます』
そう聞いて、私は目を丸くする。
「精霊……って」
存在自体は、知っていた。
物にはすべて魂が宿っており、それらが長い時間をかけて清廉なものへと昇華することで、精霊になる――。
たしかそんなふうに、母に教えてもらったことがあったっけ。
ただ見たことはなかったし、伝承上の話だと思っていた。
『信じられないのも無理はありませんが、本当でございます。わたしは、この大木の精霊。ずっと、あなたに呼びかけておりました』
「ということは、もしかしてあの引き寄せられるような感じって、あなたが――」
『はい、近くまで来ていただいたことで、わたしの願いがあなたに届いたのでしょう』
精霊さんは胸に手を当て、目を閉じて言う。
「精霊? ほんとかよ。うさん臭いな」
そこで、ギンがその羽をあろうことか、人差し指の先で突っついた。
『なっ、この無礼者!! わたしは樹齢千年。あなたの百倍以上の長い時を生き、そして精霊となり自由に動けるようになった高貴な存在ですよ!!』
それに対して精霊少女は怒りを露わにする。
長寿の割に子供っぽいなぁと思う一方で、ギンの気持ちもよく分かった。
いきなり出てきて、精霊だと言われても、完全には信じきれはしない。
だが、つじつま自体はあっている。
たしかに、謎の感覚に導かれて、私はここまできたし、スキルで判別できないことから鑑みても、特殊な存在であることはたしかだ。
ならば、ここは話を前に進めるほうがいい。
「あなたはどうして、私を呼んだの?」
私は精霊さんにこう聞く。すると彼女は、こほんと一つ咳払いをしてから、私のほうへと向き直った。
『あなたには、わたしたち精霊の声が聞こえる。姉の呼びかけに答えていましたでしょう? 川で仲間さんが溺れていたとき』
「え。じゃあ、あのときのあれって……というか、『もっと上』っていう呼びかけも」
『えぇ、わたしの姉が呼びかけていたようです』
驚きの事実だった。
だが、考えてもみれば納得がいかないこともない。心の中に直接語りかけてくるようなあの感覚は、精霊のように神秘的な存在にしかできないだろう。
そのうえ、だ。
『しかし、三週間ほど前。姉は、本体の木ごと、あの黒い壁の向こう側へと飲み込まれてしまいました』
三週間前といえば、上流からの呼びかけの声が聞こえなくなったときと、一致している。
要するに、わたしに声をかけてくれていた精霊さんは瘴気に飲み込まれてしまったことで、呼びかけられなくなっていたのだ。
『どうか、姉を救うために、お力を貸していただきたいのです。ご協力くださいませんか』
「だけど、あなたのお姉さんから『くるな』って……」
『やはり聞こえていたのですね。それは瘴気の影響でしょう。本心とは反対のことを言ってしまうのですよ。きっと姉は今も助けを待っているに違いありません。どう、でしょうか……?』
手を貸してあげたいのは、やまやまだった。
今目の前にいる精霊さんがとても悲しそうにしているのは見ただけで分かるし、そのお姉さんのおかげでマウロさんを助けられたのだから、その恩返しもしたい。
だが、今まさに、その黒い壁の向こうに入れなくて、私たちも困っているのだ。
「……ごめんね。すぐには叶えられないよ」
申し訳ない気持ちになりながらも、私は断りを入れる。
それに対して、彼女は首を俯けて、がっくりと肩を落とした。
『……そう、ですか。分かりました。無理を申し上げて、失礼いたしました』
精霊の力なのかもしれない。
その落胆は、まるで共振するかのように私の心にも伝わってくる。
「ごめんね。私たちも、あの中に入る方法を探してるの。だから中に入ることができたら、必ずその子も救う。それは約束する」
だから、こうフォローを入れたところで、
『今、なんと?』
その精霊さんは目を大きく見開き、私の鼻先まで一気に近づいてくる。
『あなたは中に入りたいのですか』
「え、そうだけど……」
『それであれば、わたしが叶えられます。少しの魔力を分け与えていただければ、あの壁を壊すことまでならできる』
その発言には、私も大きく目を見開かざるをえなかった。
「なにを言ってるんだよ、こいつ」
「ギン。この子、あの壁を壊せるんだって」
「……こんな小さな奴に?」
ギンの胡乱な目に、
『精霊ですから!』
彼女は腰に手をやり、胸を張る。
「……言葉は聞こえねえけど、調子乗ってるってことだけは分かった」
「あはは。どっちにしてもやってもらおうよ。他に方法があるわけでもないんだしさ」
「まぁ、そうだけどよ」
可能性が開けただけでも十分だった。
もし本当に、中への道が開けるなら、私たちとしては願ってもみないことだ。
「じゃあ、お願いしていい?」
私は小指をぴんと立てて、彼女のほうへと差し出す。
それを精霊さんが両手でしっかりとつかむことで、話がまとまった。