100話 一緒に来い!
中間地点まで帰ってくる間に、リカルドさんの容態は大きく悪化していた。
途中からは座っているのすらきつくなってしまったらしく、ぐったりとミニちゃんの幹のうえで倒れこむ。
挙句には、魔力のコントロールが効かないらしく、手のひらや足先から火を発してしまっていた。
不幸中の幸いだったのは、彼の身体になにが起きたかは、その症状からすぐに分かったことだ。
「……魔力暴走か。ウルフヒューマンにもなる奴いるけど、人間もなるんだな」
「うん。でも普通は、もっと長い時間、瘴気に晒されていたら、なるようなものなんだけどね。傷を負ったとはいえ、こんな少しの時間でなるなんて……」
リカルドさんを寝かせたベッドの横、私は見舞いにやってきたギンと言葉を交わす。
それに反応するように、リカルドさんは眉間をぴくりと動かし小さく呻いた。
すでに症状を抑えられるチルチル草を使った薬湯を飲ませていたが、まだ起きだせるような状態ではないらしい。
それもそうだ。
魔力暴走は一度なってしまったら、回復までに一月以上かかる場合もある。
中には、暴走する魔力を自力でコントロールして乗り越えてしまう人もいるというが、それはごくまれな例だ。
「それだけ瘴気が濃いんだろ。かなり危ない場所になってるみたいだな、上は」
「……うん」
「なんだよ。あんまり落ち込むなっての。まだ怪我で済んでよかっただろ。トレントがいてよかったじゃねえか」
慰めの言葉に、胸の奥からじんわりと痛みが広がっていく。
その原因は、ふがいなさだ。
私は顔をうつむけ、奥歯を噛みしめる。
怪我で済んでよかった、なんて思う権利は私にはなかった。
リカルドさんは私を庇ったことにより、ケルベロスの攻撃をまともに食らってしまったのだ。
私がもしもっと警戒心を持つことができていたら、少しでも早く気づけていたら、こんな状況は避けられたのかもしれない。
……いや、きっとそうだ。
実質的には、私がリカルドさんを傷つけてしまった。
それに、こうなってしまった以上、影響は彼の身体だけに留まらない。
まともに魔物と戦うことのできるリカルドさんがこの状態になってしまった今、このままでは、あの黒い壁が拡張していくのを指をくわえて見ていることしかできないことになる。
そんなのは、耐えられなかった。
私は椅子を立ち上がり、とりあえず小屋を後にしようとする。
「おい」
そこを、こう呼び止められた。
「どこに行くんだよ。もう暗くなるぞ」
そういえば、手当に時間がかかっていたから、もう日暮れの時間なのだっけ。
ただ、私には関係ない話だ。
今はどうにか、解決の糸口を見つけるために動かなくてはならない。
だって、私のせいでこうなったのだ。危険だから、なんてことは言っていられない。責任を果たさなくてはならない。
だから私は返事もしないまま、外へと出てしまう。
扉を閉めようとしたところで、ギンが扉に足を挟み、それを阻む。
「なぁ。なんで、俺を頼らねえんだよ」
彼は歯ぎしりののち、低く這うような声でこう呟いた。
その強い言葉に思わず動きを止めて、彼のほうを見れば、ギンは椅子の上、握りしめた拳を震わせる。
「そもそも、今回の件だって俺はまともに話を聞かされてねぇ。どうせ、ジジイにだけ言ったんだろ。大方、俺が聞いたら、ついていくって聞かないからだろ。俺は、そんなに足手まといかよ」
「違う……! そうじゃなくて、ウルフヒューマンたちは種族的に瘴気の影響を受けやすいって聞いたから……」
「だとしてもだよ。あれだけ特訓してんだ。俺はお前らに……、とくにマーガレットには、信用してほしかった。それでも、俺も連れて行ってほしかったんだよ。仲間だと思ってたから」
私が大きく目を見開いていたら、もっとも、とギンは溜息をつく。
「そんなふうに思ってたのは俺だけだったみたいだけどな。お前は今も、一人で動こうとしてるんだ。どうせ、一人でその瘴気の壁を解決できる方法探しに行くつもりだろ」
「それは……」
「分かってんだよ、お前の行動くらい。単純すぎるからな」
完璧に図星だった。
たしかに私は、なにかしらの解決方法がないか、一人で探しに行くつもりだった。
ただこちらにも言い分はある。
「それは、私のせいだから。リカルドさんがこうなったのは私のせいだから、私がどうにかしないといけないの!」
「だからって一人でやる必要ねえだろ!!」
驚くほどの大きな声だった。
そのうえ、感情が強く乗っている。私はその言葉に撃ち抜かれるように、はっと顔をあげた。
「さんざん勝手に助けておいて、こんなときだけ頼らねぇなんて許さねぇ。……言えよ、一緒に来いって」
「え」
「一緒に来い、って言え。言いやがれ」
「な、なんで」
「本当は助けてほしいって、マーガレットがそういう顔してるからだよ」
「……そんな顔、してない」
私は首を横に軽く振る。
が、本当は鏡を見なくてもわかっていた。
たぶん今の私は今にも泣きだしそうな、くしゃくしゃの顔をしている。
自分がどうにかしなくてはならない。そんなふうに勝手に追い込まれて、深い溝が生まれていた私の心に、彼のまっすぐすぎる思いが沁みていく。
「いいから言えよ。それだけ貰えりゃ、これまでのことはチャラにしてやる。俺はいくらでもお前の味方をしてやる。今度は俺がお前を助けてやる。たとえお前が望んでなくても関係ねぇ。だから言うだけでもいいから言え」
ギンは改めて私の目を見つめて言う。
とんでもない押し売りだ。家に訪問販売に来ていたら、間違いなく断っている。
だが、そのまっすぐで正直な視線にとらわれたらもう、自分に嘘はつけない。
だって本音では、私だって一人よりもギンがいてくれたほうが心強いに決まっている。そんなふうに思っているのだから。
顔をあげる。ギンの赤茶の瞳と正面から目を合わせる。
「……一緒に来い!」
そして私ははっきりと、そう口にした。
「……えっと、これでいい?」
が、慣れない口調にすぐに恥ずかしくなってこう付け加えれば、ギンは「一言余計だっての」とぶつくさ言ったのち、「まぁいいけど」と大きく息を吐いた。
「行くんだろ? なにやるんだよ、具体的に」
「……決まってない。なにか瘴気を薄められる方法がないか、スキルを使って探すつもりだよ」
「……あてなしかよ。まぁこの状況なら、それでやるしかしょうがねえか」
二人して、小屋を後にする。
なんとも締まらない始まり方だ。
それでも隣にいてくれるだけで、心強かった。