婚約破棄されたけど、看板娘になって元気に暮らしてます。
『マグニェッタ、君との婚約は解消させてもらう』
スラムの空き地で、彼から突然別れを切り出された。
『……どうしてなの、アキマス?』
彼がちらりと横を向く。
姿を現したのは、くりくりおめめに真っ白な毛並みの女性だった。
彼女はトコトコ優雅に歩いてくる。
その姿はここがスラムだというのを忘れてしまうくらい美しい。
『君も知ってるだろ? あのお城に住んでいるリリーナだ』
もちろん知っている。
この街で一番大きな家だし、綺麗なお嬢様と一緒にいるのを見たことがある。
若い猫たちにとっては憧れの存在。
もちろん私も含めて……
でもどうして、アキマスと一緒にいるのよ!?
『僕は彼女と婚約することになったんだ』
『そ、そんな……』
私はつい貧相な自分の体と比べてしまった。
やせ細った体に、固まった毛玉。
爪もきれいに砥げてない。
それに引き換え彼女の綺麗に揃えられた爪先。
毎日ブラッシングしてもらってるかのように波打つ毛並み。
経産婦のように落ちつきのある態度。
誰だって彼女を選ぶだろう。
……でも私だって逞しく生きてきたんだ。
一緒に暮らしていたお爺さんが死んでからスラムに移り住むことになった。
それからは自分の脚でご飯にありついてきた。
ぬくぬくと育った猫とは鍛え方が違うのよ!
それに彼女は一度だって私を見ない。
悪い事だなんてこれっぽっちも思っていないのかもしれない。
なんだか馬鹿にされてるような気になってきた……
私の脚はいつのまにか彼女に向かって駆け出していた。
そして勢いよく飛びかかった。
『この泥棒猫っ!!』
ところが彼女は微動だにしない。
次の瞬間、私は見えない壁にぶつかって弾かれることになった。
『う、うぅ……』
彼女はこれ見よがしに首輪についた綺麗な石を見せつけてくる。
『もしかしてその石は……』
偉そうな人間がよく持っている石だ。
悪意から身を守ってくれるバリアの効果があるって……
噂好きのアリアから聞いた事がある。
私なんかが勝てるわけないよ……
『マグニェッタ、無茶をするんじゃない。彼女は君とは住むところが違うんだ』
アキマスは魚をくわえてきて、動けない私の前にぽとんと落とした。
『これは手切れ金だ。僕のことはもう忘れてくれ……』
そして彼女と一緒に去っていった。
『…………悔しい。……悔しいよう』
それからどれくらい経っただろうか。
私は魚を食べ終わっても、その場を動けずにいた。
辺りは暗くなり、雪も降り始めている。
こんなじゃ私、寒くて死んじゃうよ……
その時、人間の男の子が通りかかった。
「ううぅ~寒い寒い。早く帰らなくちゃ。ん?なんだろう、猫かな?」
不意に男の子と目が合う。
「にゃ~ん」
もしかしたら助けてくれるかもしれない。
なんとか声をひねりだす。
「一緒に来る? う~ん、でもネームタグが付いてるからな……」
「にゃ~ん」
「でもよく見れば随分汚れてるし昔のかも……どうしよう?」
この機を逃せばもう駄目かも知れない。
私はなんとか立ち上がって彼の脚にスリスリした。
「君は行く所がないのかい?だったら僕の所に来る?」
「にゃ~ん」
何言ってるのか分からないけど、とりあえず返事する。
今までそうやって人間のおこぼれを貰って生きてきた。
「そっか、じゃあ一緒に行こうか」
「うにゃっ」
男の子に抱えられて変な声が出た。
服の中って暖かいな~
なんて考えてたら、彼の家に着いたようだ。
大きくはないけど綺麗な家だ。
「ただいま~」
「おう。ってお前何、猫を連れて来てんだよ。ここは食堂だぞ。わかってんのか?」
家の中には大きな人間がいた。
なんだか怒ってるような気がする。
でも男の子は気にしてない……?
「うん、わかってるよ、アスタ。僕の部屋に連れてくから。でもこの子、随分冷えてるから暖かいものあげようかなって……」
「ちっ、しょうがね~な。ちょっと待ってろ」
大男はそのまま奥に消えていった。
「もうちょっと待っててね」
「にゃ~ん」
それからちょっとして大男が戻ってきた。
「ほらよっ」
こ、これはホットミルク!?
随分昔に飲んだことがある。
まさかこんなご馳走が出てくるとは。
この男ブルジョワかっ!?
「おう、いい飲みっぷりだねぇ~」
あちっ。
熱いけど美味しい。
この男……顔は怖いけどいい人間だ。
今度フミフミしてあげよう。
「じゃあ、俺は明日の仕込みも終わったんでもう帰るわ。ライ、戸締りは頼んだぞ」
「うん、わかったよ。」
「にゃ~ん」
ミルクを飲み終わると男の子に連れられて別の部屋に入った。
「ここが僕の部屋だよ、狭いけど我慢してね」
「にゃ~ん」
「ちょっとごめんね」
そういって私のネームタグをこすった。
「う~ん。マグニェッタ……でいいのかな?」
「にゃん」
そう、それが私の名前。
どう、素敵な名前でしょ?
「マグニェッタ?」
「にゃん」
「僕はライ。分かる? ライ」
男の子は自分を指さしながら何度も同じ言葉を繰り返した。
どうやらライという名前らしい。
私たちはそのまま早く寝ることになった。
「マグニェッタと一緒だとあったかいなぁ」
「にゃ~ん」
私たちは小さなベッドで身を寄せ合って一夜を過ごした。
翌朝
「マグニェッタ、暗くなる前には戻ってくるんだよ」
「にゃ~ん」
私は自分の食い扶持を探すべく、ライの部屋を飛び出した。
人間の子供に養ってもらうほど私は落ちぶれちゃいないつもりだ。
それにライが普段働いてるのは食堂だから自分がいちゃいけない。
美味しそうな匂いがする店は入ろうとするとすごく怒られるんだ。
そんなの猫の常識だよ。エヘン。
というわけで私は明るい時間は今まで通りに外で過ごす。
暗くなる前には戻ってライと一緒に眠る。
そんな生活を続けていた。
とある朝、友人と再会することになった。
住む場所が変わっちゃったから彼女とは久々の再会だ。
『あらっ、マグニェッタじゃない。久しぶりね』
『アリア。うん、そうね。今すこし人間のお世話になってるの』
『そうなの。良かったわね。酷い目に遭ったって噂になってたから心配してたのよ』
アリアは私の周りをグルグル回りながら話を続けた。
『そういえば聞いた? アキマスったら例の彼女と一緒に別の街に行ったんだって』
『ふうん、そうなんだ』
動揺を隠して相槌を打つ。
『正直、身分が違いすぎて絶対ダメになって捨てられると思うのよね~』
『アハハ、そうかも』
ひょっとして励ましてくれてるのかな?
『それじゃね。また噂話を集めなくちゃ』
『ええ、またね』
そっか……あいつはもうこの街にいないんだ。
ようやく吹っ切れたような気がする。
それからさらに数週間がたった。
営業時間が終わった食堂では、アスタとライが深刻な表情で話し合っている。
私はそれを遠目で見ていた。
「この街はもう駄目だな。税はどんどん重くなるし、取り締まりも厳しくなっていくって話だ」
「そっか、それでどうするつもりなの?」
「ああ、実は……俺の腕を買ってくれてる人がいてだな。王都に店を持たないかって言われてるんだ」
「すごいじゃん!!」
「でもそうなると、色々と金が必要になってくる。お前の学業のためにコツコツ溜めてきた金もなくなる」
「これはチャンスだよ、アスタ。学校じゃなくたって勉強はできるさ」
「そうか……すまないな」
……全くわからん。
でも私がついてるからね。
それから数日後、私達は馬車に揺られていた。
どこか別の街に行くのかな。
お別れの挨拶とかできなかったな。
そんなことを考えていたらすっごく大きな壁が見えてきた。
「マグニェッタ、ここが王都だよ。僕たちがこれから住む街だ。この国で一番大きいんだよ」
「にゃん」
スラムとは比べ物にならないくらい大きな街だ。
それに人通りも凄い。
これ……お散歩してたら踏まれちゃわない?
私たちの住処は奥行きは有るけど、前よりも狭い家だった。
でも二階建て。早く一番上まで上ってみたい。
「にゃ~ん」
「おっ、マグニェッタも気に入ってるな。よしよし」
その日、ライとアスタは夜までずっと引っ越し作業に追われていた。
私はその間お昼寝しながら応援してた。
お腹が空いて目が覚めると二人は一階におりて料理を始めていた。
知ってるよ。
料理は前の日から準備するんだ。
いつのまにか食べ物も届いてるし。
ってことは明日から食堂を開くのかな?
私はどうしよっかな~とりあえずお散歩したい。
翌朝
私は二階の窓際で眠っていた。
日当たりのいい場所で気持ちいい。
営業時間になったので外に出る。
そこで私は体が硬直してしまった。
人が多すぎて怖い……
これ絶対踏まれるって!
むむっ。
誰かが私を見ている。
一体誰だ?
「お母さん。このお店、猫さんがいるよ?」
「あらホントね。見たことないけど、もうやってるのかしら……」
女の子が撫でてくる。
思わず反応してしまう。
「にゃ~ん」
「あはは、やってるって」
「それじゃあ、入ってみましょうか」
それから入口前で座っていると何度も同じように話しかけられた。
その度に返事をしてたら、ほとんどの人がお店に入っていった。
これもしかして……私のおかげ?
同じ考えだったかは分からないけど、アスタが外に出て来てクッションを置いていった。
「うにゃ」
そして私を乗せると、ミルクの入ったお皿を置いて戻っていった。
なるほど、私にここにいて欲しいのね。
任せなさい。
お店はそれから順調そうに見えた。
詳しいことは全然分からないけど。
ライとアスタが前より笑顔が増えているから。
なんとなくそんな気がした。
私専用の出入り口もできたし、寒くないように色々やってくれた。
それから数週間が経った。
私はいつも通りにクッションに座り込んで丸まっていた。
でも何か違う……
なんと通りの向かいの店にも猫がいたのだ。
その猫が私を睨んでくる。
これはライバル登場ね。
でもここでの客寄せは私に一日の長がある。
向こうは若い猫のようだけど負けるもんですか。
「にゃ~ん」
でもよく見れば力も強そうだしカッコイイかも……。
つい彼のことを見てしまう。
そうして何日も過ぎていき、お店が閉まると向かいの猫が近づいてきた。
どうしよ。胸がドキドキする……
『君にはがっかりしたよ』
『はっ? 何よ、いきなり』
『僕より前から看板猫として働いていると聞いて、どれほどのものかと楽しみにしていたんだ。それが……何度もこっちをチラチラ見てくるし、営業スマイルを忘れる始末。君は仕事に対して誇りがないのか?』
『な、なによ。そんなこと言われる筋合いないわよ』
『フン』
彼は尻尾をパタパタ動かして帰っていった。
な、なによ、何なのよ?!
ちょっといいフェロモンしてるからって!
ダンディで私好みだからっていい気にならないでよね!
ああ、なんだか爪とぎしたくなってきちゃった。
明日から本気の私を見せてやるんだからね。
それからの私はこれまで以上に仕事に取り組んだ。
時に蝶々を追いかけながらも笑顔を忘れない。
そんな私の姿を見ればあの猫だって見直すはずだ。
次の定休日になるとライからお散歩に誘われた。
近場くらいしか散歩してないし怖いけど、ライがいるなら大丈夫。
ライの肩掛けバッグに入って運んでもらうから怖くない。
隙間からひょいと顔を出してお嬢様気分だ。
わはは、私に跪くがよい。
「今日はいつもよりすごい人だかりだね。ちょっと広場に行ってみようか」
「にゃん」
ホントに凄い沢山人間がいるよ。
何してるんだろ。
あちこち見回してたら、ライが何か紙を受け取っていた。
「マグニェッタ、前にいた街に公爵令嬢がいただろ? 昨日王子様から婚約破棄されたんだって。それに公爵家から色々と余罪が出てきて大変みたいだ」
「にゃ」
なんですと!?
……さっぱり分からん。
それから数日後、私はこちらで出会った噂好きの友猫からリリーナの話を聞いた。どうやらこの街にいた彼女のお嬢様は落ちぶれてしまい、彼女自身も野良になったらしい。猫生何が起きるか分からないね、全く。
さらに数日後、いつも通りにお店の前にいると猫たちが通り過ぎて行った。
その中には嘗て婚約したこともあるアキマスの姿もあった。
彼は私を見つけると驚いた表情を見せた。
そして尻尾を立てながら近寄ってきた。
『マグニェッタ!ここで会えるなんて夢のようだ』
『私はあなたに用なんてないわ。ここから立ち去りなさい』
『遠く離れたこの地で再会できるなんて運命だよ。マグニェッタ。僕たちもう一度やり直さないか?』
この男……全然話を聞く気がない。
私は背中を丸めて威嚇……しようとした。
その寸前向かいの看板猫が仕事を放りだして寄ってきた。
『彼女が嫌がっているのが分からないのか、お前は』
『お前こそ誰だ!? 俺達の事に口を出すな』
『だったら、手を出してやる』
それから二人は私を巡って戦い始めた。
何度かの衝突でアキマスは意気消沈して去っていった。
喧嘩が終わると向かいの猫も黙って去ろうとする。
『あ、あのお名前だけでも……』
『私のご主人はぷーたんと呼ぶ』
彼はそれだけ言って元の場所に戻ってしまった。
『ぷーたん様……』
それから季節は巡り、また冬がやってきた。
風の噂によると、リリーナたちは猫カフェなるものに就職したという。
彼女はそこで女王様のように振る舞っていて人気らしい。
アキマスもそんな彼女に尻尾を振る一猫だそうで。
私はというと、ぷーたん様とお付き合いすることになりました。
普段はもちろん真面目に働いてます。
仕事終わりの積極的なアピールが実を結んでくれたみたい。
とはいえ、まだまだ付き合い始めでプラトニックな関係だ。
でもあとは発情期を待つだけかな……なんてね。