妃になるということ
「なにをしている」
それが誰なのか、ルイーズには声だけでわかる。
声のした方には、思っていた通り、護衛を引き連れたテオフィルが立っていた。
テオフィルが来てくれたことで、ルイーズの全身に安堵感が広がる。
ルイーズがまたたくと、その赤紫の瞳から涙がひとつぶ転がり落ちた。
ルイーズの涙を見てテオフィルは目つきを鋭くし、二人の方へ一歩近づいた。
「ルルを離せ」
いつもより一段低いその声に、アランは少し驚いた様子でぱっとルイーズを離した。
やっとアランの腕から逃れられたルイーズは、彼から距離を取るようにテオフィルの方へ後ずさる。
そんな彼女を見て苦々しい顔をしつつ、アランは皮肉げに尋ねた。
「テオフィル殿下、なぜここに?会場を放っておいてよろしいのですか?」
「そんなことはどうでもいい。お前……たしか、アランといったな。執務補佐官が妃選考に参加中の女性に手を出すなど、あってはならないことだ」
「なぜです?好きになってしまったんだから口説くくらいいいでしょう」
「本当にわからないのか?彼女は王妃になるかもしれない女性なんだぞ」
テオフィルの言葉に、嘲るようにアランは返す。
「ブリジット嬢のような華やかな美人が選び放題だというのに、あえてルイーズ嬢を選ぶとでも言うんですか?絶対に結婚しないと言い放っておいて?」
「……黙れ。誰を妃にするか、決めるのは俺だ」
イライラした様子でテオフィルは言うと、後ろに立っていた護衛に向かって命令した。
「悪いが、この男を執務官のところへ連れて行ってくれ。この男の処分は執務官が決める」
命令された護衛は、アランの腕をつかむ。
アランは一瞬ほの暗い表情をみせたが、特に抵抗することもなく護衛に連れられてこの場を立ち去った。
******
「…………」
二人きりになったルイーズとテオフィルの間を、沈黙が包む。
その沈黙を先に破ったのは、ルイーズの方だった。
「テオ、あの、ありがとう。どうしてここに?」
最後にルイーズが彼を見たとき、彼は令嬢に囲まれていた。遠かったし、ルイーズが外に出たことなど知らなかったはず。
ルイーズの素朴な疑問に、テオフィルは頬をかきつつ答えた。
「ジュジュが教えてくれたんだ。テラスに出たルルのあとを、男が付いて行ったって。何もなければそれでいいと思って一応見に来たんだが、来てよかったみたいだな」
「そうなの……」
相槌を打ちながら、ルイーズはぎゅっと両手を握りしめる。
さっきまで感じていた恐怖が抜けきらず、ルイーズの指先はまだ震え続けていた。
テオフィルはそんなルイーズの様子に目ざとく気付き、一歩ルイーズに歩み寄る。
「嫌だったら、突き放してくれ」
彼はそう言うと、その長い腕で静かにルイーズを引き寄せ、優しく抱きしめた。
一瞬驚いて体をこわばらせたルイーズだったが、すぐに力を抜いて全身をテオフィルに預ける。
テオフィルの腕の中は、アランのそれとはまったく違っていた。
いつの間にかはるかにルイーズの背を超えてしまったその体に包まれて、彼の体温を感じるだけで安心する。安心するのに、息をするたびにテオフィルの匂いがして、心臓がどきどきと大きな音を立てる。
肩の出た露出の多いドレスは、テオフィルの指先をルイーズの肌に直に触れさせた。
(触れている部分が熱い……)
――彼女は王妃になるかもしれない女性なんだぞ。
ふいに、先刻のテオフィルの言葉が頭にこだまする。
そのとき、ルイーズは唐突に、妃選考を通過して最後に選ばれるということは、今ここで自分を抱きしめている男と結婚することだ、ということを強く意識した。
今まで、ルイーズにとって妃選考は自分を試すための一行事でしかなかった。もちろん最後に結婚が待っていることは理解していたが、具体的なイメージを持って考えたことはなかったのだ。相手がテオフィルだからなんとかなるだろうと楽観的に考えていた部分も大きい。
しかし今、相手がテオフィルだからこそ問題な気がしてきてならなかった。自分が何もわかっていなかったことを知って、ルイーズは愕然とする。
だが、ルイーズがなぜ相手がテオフィルだと問題なのか考える前に、テオフィルはそっとルイーズから離れてしまった。
「大丈夫か?」
「……ええ、ありがとう」
問われて初めて、ルイーズはいつの間にか手の震えがとまっていたことに気が付いた。
テオフィルもそれを確認すると、ほっと息を吐き、苦笑しながら言う。
「頼むから、人気のないところで男と二人きりになるのはやめてくれ。俺の心臓がもたない」
ルイーズはテオフィルのその言葉に、少し考えながら返事をした。
「心配かけてごめんなさい。……たしかに私も、テオが女の子と二人きりでいるのを見るのは嫌かもしれないわ。なんでだろう」
「お前、ほんと……腹立つ」
「ええ?」
顔を覆ってしゃがみこんだテオフィルを、ルイーズは不思議そうな表情で見つめる。
しばらくしてテオフィルはうめくような声でルイーズに尋ねた。
「……あいつと何を話していたんだ」
「ええと……ちょっと秘密のはなしを」
ルイーズの答えに、テオフィルは顔をあげてルイーズを上目遣いで睨みつけた。
「言わないつもりか?」
「今は言えないわ」
「…………」
やがて、テオフィルはため息をついて立ち上がった。それからエスコートするようにルイーズの手を取る。
「とりあえず、会場に戻ろう。ジュジュもきっと心配してる」
「そうね」
ルイーズはその言葉に素直にうなずくと、テオフィルに連れられて夜会の会場へと戻っていった。




