秘密のはなし
初夏の夜に、涼しい風が吹き抜ける。
すでに月も沈み、大広間から漏れる明かりだけが頼りの闇の中、ルイーズは庭に作られた池の前にたたずんだ。
(もうそろそろパーティーも終わりかしら……)
考え、ルイーズはグラスに注がれていたノンアルコールカクテルを口に含む。
彼女がさわやかな酸味のあるそのカクテルを味わっていたそのとき、ザシュ、と誰かが近くの地面を踏む音がした。
驚いて顔を上げると、気づかないうちに赤い髪の男性が近くに立っていた。
見おぼえのあるその男性に、ルイーズは必死で記憶を探って名前を絞り出す。
「アラン、さん……?」
「素晴らしい記憶力ですね、ルイーズ様。休憩中ですか?」
そこにいた男性は、パーティーが始まる前に執務官に紹介された執務補佐官の一人だった。
執務補佐官アランは、人好きのする笑顔を浮かべて労るようにルイーズを見つめる。
ルイーズは彼が知っている人だったことにほっとして、笑顔を返した。
「ええ。少し疲れてしまって」
「がんばっていらっしゃいましたからね。でも、最後の追い込みをしなくて大丈夫ですか?」
「もう少し休んだらまた戻ろうと思うの」
ルイーズは言いながら、残りのカクテルに口をつける。
アランはそんなルイーズの挙動を見守りつつ再び口を開いた。
「僕はルイーズ様のファンなので、ぜひとも勝ってもらいたいものですが、今回は厳しいかもしれませんね……。なんせ社交力をみる、という点においては今回一番目立っていたのはブリジット様でしたから」
ルイーズは彼のそんな言葉に、ふ、と笑みをこぼした。
「別に、毎回一番になる必要はないわ。選考を通過できればいいの。最終選考まで残れさえすれば、私の勝ちは決まったようなものだから……」
言いながら、首からさげたネックレスに触れる。
ルイーズを見つめていたアランは、首をかしげて尋ねた。
「なぜそう言い切れるんです?」
ルイーズはアランの方に向き直る。
たれ目でそばかすの散った優しげな彼の顔に、ルイーズは何を話してもいいような気持ちにさせられた。
「……内緒にしてくれる?」
「もちろんです」
ルイーズは視線を落とし、続ける。
「実はね。誰にも言ってないのだけれど、私には奥の手があるのよ」
「え?不正ですか?」
ぎょっとしたように尋ねてくるアランに対し、ルイーズは笑ってゆるゆると首を振る。
「違うわ。正攻法よ。これを見て」
そう言ってルイーズがネックレスについていた袋から取り出したのは、小さな黒い石だった。
「この石が何か?」
いぶかしげな顔をするアランに、ルイーズはゆっくりと説明した。
「これはね、王家に伝わる秘密の石なの。小さい頃、誰にも秘密という約束でテオから教えてもらったのだけれど、この石はいつもは王城のどこかに隠してあるんですって。それで、もしこれを最終選考で持っている女性がいたら、必ず王太子はその女性を妃に選ばなければならないらしいわ」
「なんですって?!そんな話聞いたことがない!」
驚いて大声を上げるアランに、しーっと人差し指を立てながらルイーズは続ける。
「だから、秘密の石なのよ。もしこのことが公になったら、これを探すことが妃選考になってしまうでしょう?でも、神聖な石だから、王家は必ずこのしきたりを守るわ」
「そんな、だってただの石でしょう?」
アランは眉をひそめてルイーズの手の中の小さな黒い石を見つめた。
全く信じていない様子のアランに、ルイーズは笑う。
「そう思うでしょう?見ていて」
ルイーズは言い、石にそっと口づける。
すると、石は一瞬間をおいて、ほのかに赤く光りはじめた。
その光を見て、アランは表情を変える。
「光った!?ただの黒い石ころが……?」
「不思議でしょう。これは女性の口づけにだけ反応するの。だから神聖なのよ。妃となる女性が石を見つけるのではない、石が女性に自分を見つけさせるのだ、と言われているわ」
ルイーズはふふ、と笑い続けた。
「そして、私はとうの昔にこの石を見つけていたのよ」
アランは、石とルイーズを何度も見比べる。
ルイーズがそっと石を握ると、淡い光はゆっくりと消えた。
「はい、どうぞ。試しにあなたもやってみる?」
ルイーズが石を差し出すと、アランはこわごわとその石を受け取る。
それからおっかなびっくり石に口を寄せるが、石は何の反応も示さなかった。
「本当だ……」
もうすっかり信じ切った様子のアランは、感心したように石をつまみあげ、夜会の会場から漏れる光で石を観察した。
何の変哲もない石に見えるが、確かに言われてみればその整った丸さも神聖にみえてくる。
ルイーズはそんなアランをほほえみながら見つめ、石を返してもらうために手を差し出した。
「大切なものだから、そろそろ返してもらってもいいかしら?」
「あっ、そうですよね、すみません。はい――」
渡そうとしたアランとルイーズの指の隙間を、石が転げ落ちる。
「あっ!」
「あっ!!」
二人が声をあげるのと同時に、石はポチャンと音を立て、よりによって池の中へと落ちてしまっていた。
「そんな……」
絶望した顔を隠せないルイーズに、アランは必死で謝る。
「す、すみません!!ああ、どうしよう……そうだ」
彼はズボンのすそをたくしあげ、ためらいなく池の中へと入って行った。
驚いてルイーズは声をあげる。
「アラン、駄目よ!風邪をひくわ」
「大丈夫です!」
そのままアランはざぶざぶと池の中を探す。
幸い池は膝下くらいまでの深さしかないため、彼がおぼれるようなことはない。
しかしルイーズは心配でさらに叫んだ。
「アラン、もういいわ、いいのよ!」
アランはそんなルイーズを無視して探し続けていたが、しばらく経ってからあきらめたように首を振りながら池からあがってきた。
「本当にすみません、みつかりませんでした……」
意気消沈して言うアランに、ルイーズは泣きそうな笑顔で告げる。
「いいのよ。こうなったら仕方ないわ、妃選考は実力でがんばるしかないわね……」
内心かなり落ち込んでいるはずなのに健気に笑うルイーズ。
そんな彼女を見て、アランは意を決したようにぎゅっと一度拳を握ると、つかつかと近寄り強引にルイーズを抱きすくめた。
ルイーズの手からグラスが滑り落ち、ガシャンと音をたてて割れる。
突然変貌したアランに驚いて声が出せないルイーズに、彼は言った。
「ごめんなさい。もしあなたが石をなくすことが運命だったというなら、僕は喜んでしまう。……僕、さっきルイーズ様のファンだと言いましたが……本当は、ずっとあなたの活躍を見てあなたに惹かれていたんです」
「そんな……困るわ。離して」
アランの腕から抜け出そうとするルイーズの目に、ふと大広間の窓が映る。
逆光でよく見えないが、何人かがそこからこちらを興味深そうに見ているようだった。
おそらく向こうからすれば、男女がむつみ合っているように見えるのだろう。
人から見られていることにパニックになったルイーズはさらに抵抗するために必死になったが、アランは力を緩めることなく続けた。
「妃選考なんて、辞退してください。どうか僕と付き合ってください」
「お願い、離して」
生まれて初めての異性の腕の中は、ルイーズにとってただただ怖いだけだった。
必死で振りほどこうとしているのに、全く体を動かすことができない。
ルイーズの目に涙が浮かんだところで、二人だけだったはずの空間に、突如良く通る低い声が響いた。




