容疑者編-2
翌朝、夫は目の下を真っ黒にして帰ってきた。髪はぐちゃぐちゃで酷い有様だった。
「酷いよぉ、文花ちゃん。病気の私を置いて帰っていくなんて」
文花は夫を無視して、粛々と朝食の準備を進めた。
中華粥とゆで卵だけの朝食だった。
「これだけ?」
「それだけよ。意識高い和食が嫌なんでしょ」
冷たく言い放つと夫は押し黙り、仕方なくお粥をボソボソと食べはじねた。
「文花ちゃんが殺したんじゃない?動機ならある」
今日の夫はやけに挑発してくる。やはり病院に放置し、この質素すぎる朝食は少し可哀想だったかもしれない。ただ、また人を犯人呼ばわりしている夫に同情する気も失せ、胃には優しいと思われる薄味の中華粥を口に運んだ。
「ところで、小説の執筆の方はどうかしら? 進んでる?」
夫は子供のようにプイと横を向き、文花の質問に答えない。浅山ミイの時は一行も書けなくなってしまった。書けなくなる可能性が大いにある。仕方がない。原稿が一応書き上がっている夜出版はともかく、原稿が書きかけだと思われる昼出版については謝罪しなければ。だから素直に愛人探偵をシリーズ化しておけば良かったのに。続編だって出来上がっていたのに。
あのボーっとして愚図そうな編集者の常盤、平和ボケしていそうな編集長の紅尾の顔を思いだし、見る目の無さを恨みそうになる。
夫は、朝食が終わって、プレハブに篭っていた。よっぽど口に合わなかったのか中華粥は半分以上残していた。
文花は向井からお土産で貰ったコーヒーを淹れ、同じくお土産のチョコを盛り付けてプレハブに持っていった。基本的に文花の料理は嫌ってはいるが、向井のお土産ぐらいだったら口にするだろうと考えた。
「あぁ、書けない」
プレハブで夫は仕事用の机に向かってはいたが、頭を抱えていた。髪もぐしゃぐしゃにかきむしっていて、相当ストレスが溜まっている事が伺えた。
「あなた、自暴自棄になったらダメよ。またミステリーを書けばいいじゃない」
文花は夫の側にコーヒーとチョコを置いてやった。
「ミステリなんか需要ないだろう。愛人探偵は重版すらかかってない」
「まだまだよ。何があるかわからないじゃない」
そっけない口調で言ったつもりだが、意外にも夫は励まされたようだ。
「そうだ、やっぱりミステリ書こうかな…」
「その調子よ。もう恋愛ものなんてウンザリ。もうやめて欲しいわ」
文花のハッキリした物言いに、なぜか夫はニヤついた顔を見せた。コーヒーを啜り、チョコもぽりぽり音を立てて食べ始めた。
「このチョコうまいな。コーヒーもチョコの香りがする」
「これは向井さんのハワイのお土産よ。わざわざあなたの為にもお土産買ってきてくれたのよ」
夫の顔が引き攣った。チョコを食べる手が止まっている。
「文花ちゃん、向井さんと不倫してる?」
「はぁ?」
「だって昨日もオシャレして一緒にいたじゃないか」
「あのねぇ、そんなんじゃ無いって言ってるじゃない。あなた、自分が不倫ばかりしてるから妻もそういうものだと思い込んでいるんじゃないの?」
夫は口籠もったまま、何も話さない。ただただ居心地が悪そうな表情を浮かべている。
ミイの事件の時も常盤と不倫しているだの、不倫して欲しいだの斜め上の事を言われた。この男の思考は一体どうなっているのだろうか?
ケチだし、小心者だと言う事はわかるが、それ以外について夫を理解しているのか?そう自分に問うと文花は夫を愛しているのか自信が揺らぐ。全く自信がない。
ちょうどその時、家の方でチャイムが鳴った。
急いで玄関の方の行くと、見知った顔があった。
ミイの事件の時の担当刑事の藍沢だった。
「どうも奥様。お久しぶりです」
一重の鋭い目で文花を見ながら藍沢が言った。




